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アサガニシガ一阿沙賀と悪魔と大江戸学園七不思議  作者: ウサ吉
第五幕 阿沙賀とニュギス
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106 大嘘吐きの本当の嘘



師匠せんせい師匠せんせい! 迷亭師匠(せんせい)!」

「……おやこれは、随分と久しいじゃないか門一郎くん。百年ぶりくらいだっけ?」


 それはかつての記憶。

 遠く遠く、もはやただひとりの魔女しか覚えていない古びれた過去である。


「また馬鹿なことを。十年と経っていません、まぁ若作りの師匠せんせいからすればそれくらいの感覚なのかもしれませんが」


 魔女と向き合って話すのはまだ少年と言っていい年頃の男だった。

 敬語で話すわりにさして敬意は感じず、親しみのほうが大きいだろう。

 そして、迷亭もそれを自然と受け入れている。


「こら君、それ普通に暴言だからね? 女性に年齢問題を持ち出すのは最低だよ」

師匠せんせいは女性は女性でも魔女でしょう」

「魔女でも女性なのさ。それはさておき、急にどうしたんだい、武者修行の旅とやらは終わったのかい」


 少年はかつて、数年ほど迷亭に師事していた。

 けれど見る間に師を凌ぎ独り立ち、どこぞへと旅立ってしまった。迷亭をこの場所に残して。


「はい、研鑽に終わりはありませんが、旅は終えてきました。

 師匠せんせい、おれは旅の中でたくさんの人と悪魔に出逢いました。その果てに得た気づきをもってこうして帰参したわけです」

「へぇ、そりゃ興味深いね。なにを見出したのか、ちょっと僕にも聞かせてくれないかい」


 様々な意味で期待する弟子の少年の成長に、迷亭も大いに興味をそそられる。


「――人間も悪魔も等しく、わかりあえる者とわかりあえない者がいるということです」

「ふぅん? なんだかいかにもありきたりじゃないか。君らしくもない」


 落胆したわけではないが、もうすこし驚かせてほしかったというのが本音である。

 少年は肩を竦めて。


「色々ありましたから。御霊会って機関と敵対したり共闘したり、魔界で力不足を感じたり、裏切りにあったり友を失ったり……」

「え、ちょっと? いま魔界に行ったって言ったかい? 嘘だろ、えぇ?」

「おれは、わかりえあえるような友人を、わかりあえないような奴らに汚されたくはない」

「君は本当に人の話を聞かないよねぇ。そういうところが僕と噛み合わないんだよなぁ。あーあ、どこかで僕の嘘に惑わされずに、かといって話をちゃんと聞いてくれた上でいつまでも駄弁っていたくなるような魅力ある益荒男ますらおはいないものかなぁ」

師匠せんせい、どうでもいい話をしないでください」

「君も大概自分勝手だねぇ!?」


 どちらも自分を優先するタチである。

 だからこそ少年は迷亭のもとを去ったのだ。

 たとえ未来に起こり得る災厄を知っていても、自らのやりたいことをやりたいようにやって生きたいと主張して。


 そのはずが。


「そのために、いつかの約束を果たすことにします」

「おや……口約束など破られて当然だとか言ってなかったかい」

師匠せんせい――師匠せんせいの結界はおれが継ぎます」

「本当にこっちの話を聞いてないよねぇ!?」


 それはもう五十年も昔の。

 ある師弟の会話であった。



    ◇



「――それでタイムリミットは?」

「二十四時間、ってところかな」


 そこはなんの変哲もない教室……にしか見えない亜空間。

 常の異相空間よりも深く、そして精巧に用意した迷亭の世界である。今回は特に時間を極限まで遅滞させ、できるだけ外での時間が経過しないようにしてある。


 そこには実に大勢の人間と悪魔、そのうえ魔女で犇めいていた。

 人間四名、悪魔十六柱、そして魔女一名。

 各々が自陣営で集まり、あとは適当に座席に座っている。

 阿沙賀、ニュギス、遠凪、キルシュキンテ、リア、遊紗が真ん中前列付近で集まり。

 その後ろにドワとメリッサ、残る試胆会五柱が集合。

 後方、窓際の席にアティスを筆頭に六の臣下が並んで。

 そしてごく当然のように、教壇では迷亭が座っている。


 誰より最初に口火を切るのは阿沙賀である。

 最前列から迷亭に問いを投げ、それに教師のごとく返答がくる。


「あと二十四時間もすれば、ザイシュグラくんは人間界に到達してしまうだろう」

「思いのほか長ェな。まァ、魔界と人間界の距離と考えれば、妥当なのか?」


 世界と世界の距離など知るわけもなく、なんなら転移と同じで一瞬で飛来してきても驚かなかった。実際は時間がかかるというのなら、今は好都合だろう。

 疑問が含んである言葉に、遠凪がそれ以前を疑問に思う。


「というかそもそも、迷亭の発言が嘘か本当かオレにはわからないんだけど」

「あぁ、そうだね」


 と受けるのは迷亭本人。

 遠凪としては阿沙賀に都度確認するしかないのかと言うパスだったのだが、殊の外険しく魔女が言う。


「先に言っておくね、僕はこれまで多くの嘘をばらまいて、未だにけっこう真偽不明の点も多いし疑わしいことだらけだろうけど――ことザイシュグラくんの件に関しては一切の虚偽なく語ると断言しよう」

「!」


 それには試胆会全員が驚いた。

 特に阿沙賀の驚愕はひとしお。その言葉の真偽すらおよそ把握できたからこそ余計に驚く。

 なにせ、迷亭は本当に本音でそう言っている。


「オメェ変なもんでも食ったのか? 熱があるとか……」

「いや阿沙賀くん流石に失礼すぎないかな、言いたい気持ちはわかるけどさ」

「それに関しましては、わたくしのほうで請け負いましょう」


 このままでは馬鹿げた会話がはじまってしまうと理解して、やれやれとばかりにアティスが口を挟んだ。

 彼女は学園結界を読み解き、そこに刻まれた履歴を参照、迷亭のことについてもある程度把握できている。彼女とザイシュグラの因縁についても。


 おずおずと、そこで遊紗がアティスに視線を向ける。


「あの、アティス、それが迷亭の封印を緩めた理由なの?」


 阿沙賀と戦っていた段階で突如として割り込んできた迷亭。

 そのなぜはアティスが迷亭の封印を自ら解いていたせいであった。

 遊紗は薄々それを感じていたが、その理由についてはまるで想像もつかずに疑問に思っていたのだ。


 アティスは憂うような眼差しで遊紗へと返す。


「ごめんなさいね、遊紗。でも事が魔王に関連した事案、知ってしまった以上は問いただす必要があったのよ」

「ううん、べつに怒ってないよ、謝らないで。ただ、すこし気にかかってた部分を解消したかったってだけだから。これから聞くのは、たぶんもっと大ごとなんでしょ?」

「えぇ」


 頷き、アティスは教壇の迷亭へと視線を戻す。

 この場における語り部は彼女であり、そのことを認めて今は黙する。


「では僕の言葉に対する担保がなされたということで、順を追って説明していこうか――でもその前に、一点の確認からはじめよう」


 全員の顔を見渡して、迷亭はおふざけもなしに語り始める。

 ずっとずっと嘘に押し隠していた本当を、秘していた自らの本懐を、惜しげもなく。


「これはね、実はずっと昔から悪魔の諸君に――特に高位の悪魔、アティスくんやニュギスくんに聞いてみたかったことなんだけどね。

 君たちは、境界門について果たしてどれだけの知識を有しているのか?」


 ほぼ名指しのような問いかけに、アティスとニュギスは視線を交わし合い、アティスが代表して返答をする。


「……正確に言うのなら、ほとんどなにもわかっていませんわ」

「あぁやっぱり、そうなのかい」

「そもそもそんなものは実在しないというのが一般的な解釈でした。御伽噺、可能性の与太ていどが精々でしょうね。実在したことに驚愕しましたわよ」


 だからこそ知識としてあるのはそういう絵本や胡散臭い書物から得たものだけ。

 実際に境界門を目の当たりにしたとしても、その知識がどれだけ事実に即しているのかと問われると疑問である。


 重ねて迷亭は問う。


「では、父君からなにがしかの話を聞いてはいないかい?」

「……ありません」

「本当に? なにも?」

「貴女ではないのです、嘘など吐きません。なにが仰りたいのです」


 なにを残念そうにしているのか、ちょっと腹が立つアティスである。

 迷亭としては別段にからかいの意もなかったために、そう感情的になられると苦笑しかできない。素直な性格は姉妹で同じか。


「いやなに、確認だよ確認。他意はないさ。事前になにか知っていることがあるのなら先に言っておいて欲しいのさ。これから話す推測は根拠が少ししかなくてね、ツッコみどころだらけだったらどうしようと怯えているのさ」

「……推測ですの」

「仮説と言ってもいいね」

「んだよ勿体つけてねェでさっさと言えよ、時間ねェんだろ?」


 なにやらアティスと迷亭の間で無意味な探り合いがはじまってしまいそうだったので、阿沙賀のほうが促すことになる。

 進行役が全方位から嫌悪と疑惑を抱かれてる女なもんだから、ちょっと感情がでるとすぐ逸れる。


 事態を重く見ているアティスとしてはそのように言われては黙らざるを得ず、迷亭も軽い謝罪だけ置いてから本題に戻る。


「では境界門というものについて、僕と門一郎くんの見解を伝えようと思う」



「――境界門とは人為的な門である」



「!」


 今度の驚愕は全員に等しく走った。

 とはいえ驚きの質には差異があり、二の句がバラバラだ。

 だからどうした? という無知の意見。

 ならばまさか、という察しの良い意見。

 ありえるのか、という根本の疑問意見。

 

 迷亭は存分にその反応を堪能してからわざとらしく付け加える。


「おっと人じゃなくて悪魔の仕業だから……人為的っていうのも違うかな? とまれ自然発生じゃないということさ。世界の最初からあるというわけでもない。ある特定の存在によって開かれた、概して啓術における終節と同質のものと考える」

「その特定の存在ってのは」

「もちろん……魔王様さ」


 人界にやって来ることを望む魔王――魂喰コンジキ魔王ザイシュグラ。

 様々な理不尽や面倒事の根源とも言える境界門の存在自体が奴の仕業であるというのか。


「これもまたやっぱり僕らの推測でしかないのだがね、しかしある程度の根拠はあるよ」


 誰も言葉を失っているうち、迷亭はさらさらと説明を続ける。

 長年の間、誰にも語れずにいたことだ、その言葉回しに淀みはない。


「まず基礎知識として召喚術とは門の制作よりもその維持にこそ技術と魔力が必要になるのは知っているね?」疑問符を置きながら相槌も待たず「では果たして、永続する門というのは作り出すことができるのか?」

「!」


 永続する異世界へと繋がる門――それはまさしく境界門に他ならない。

 召喚術は、一時的な門の建築でしかないがために召喚という言葉をあてられている。同じ門でも永続したとするのなら、確かにそれは制作工程が等しくとも別物だろう。

 けれどそんな無法、ありえはしないだろう。


 うん、と迷亭は自分で出した疑問に自分で答える。


「不可能、とまず思うよね。でも、それは実際に試してみたわけじゃない。やる前から無意味だと思うから不可能としてやらないだけ。

 ではたとえば破格の技術と莫大な魔力、そして長い長い時間をかけられる埒外がいたとすれば……絶対に不可能と誰に言い切れるだろうね」


 その不可能――永続する門こそが境界門の正体なのではないかと、迷亭と大江戸・門一郎は思い至ったのだという。

 常識的にはありえない。直感的にも無理であり、熟考の上でも不可能だと思える。


 そうした条理を破り捨てるからこそ、魔王なのではないか?


 そう魔王とは、単体で世界そのものと比肩しうる存在のことを指す。

 故にこそ異なる世界の反発にすら打ち勝って、そして返り討ちにしてしまえる。

 いやそれとも、世界が我が身を投げ打ってようやく滅ぼせるような、そういう存在が魔王なのかもしれない。

 魔王が人間界に訪れれば滅ぶというのは、そういうことだ。


「おそらく百年。百年かけて常に莫大なる魔力を消費し続けてゆっくりじっくりと穴を広げて固めてトンネルを作る。寝ても覚めても不変に常時百年、世界間の門を作成し続けられる魔力量と集中力、そして繊細極まる空間技能を駆使して……それの結実こそが境界門なのではないか?

 ――と、そのように僕らは推測したのさ」


 魔王という規格外が、百年という途方もない長さをそれのみに専念してわき目もふらない。

 専念というのが、本当に文字通りなのだろう。他ごとの全ての排泄という意味であり、一瞬でも注力を休まない。瞬きすらせずに、ほんの微かにだって執念を緩ませない。

 不眠不休は前提、一心不乱を常態に、忘我没頭であり続けた。

 

 あぁそれはなんて。


「イカレてんだろ……」

「そうだねぇ、イカレてるねぇ。

 それができると思うことはいいさ、でも実際にやってのけるというのは狂気の沙汰さ。あのクズは度し難く狂っていると、僕もずっと思っていたとも」

「…………」


 やはり、だ。

 迷亭は、なんというかザイシュグラに対する悪感情を隠さない。

 ポイントを見つけては罵倒を挟む。機を見ては嫌悪を示す。

 なんでも嘘で包み隠す女の、珍しいほど直情的な姿は逆にそれが彼女の本音であることをよく表しているようだった。

 いやどんだけ嫌いなんだ。


 別に奴が嫌いなのは同意するが、それで感情的になりきるほどでもない。阿沙賀は取り合わず続ける。


「てーかなんでそんなアホみたいに手間暇かかる境界門なんてこしらえたんだ? アティスみたいにひょいって来ればいいだろ」

「魔王がひょいで来たら滅ぶんだって!」

「そもそも魔王はひょいとはやって来れないのさ」


 遠凪がツッコみ、迷亭は冷静に返す。

 阿沙賀にはよくわからない。なんで魔王が来れないのだろう。


 アティスは確かに魔界で最も優れた空間使いという話だが、彼女以下でそれ以外にも幾人か人界に渡れる悪魔もいるという話だ。

 ならば魔王だって理論上は可能ではないのか。


「いいや理論的に不可能なのさ。魔王の通れる門なんて誰にも……魔王本人にさえ作れないんだ」


 世界の抵抗力は力の強い者にほど強力に作用する。

 魔王などという究極の力では、その負荷は想像を絶する。魔王自身でさえ魔王を世界間移動させることはできない。


 もしも可能性があるとすれば、それは空間術に特化した魔王が新たに生まれるくらいしかないだろう。

 たとえばアティスが魔王に成りおおせるような、そういう未来でも来ない限り魔王は異界に転移できない。


 転移は、である。


「じゃあ逆になんで境界門ならいいんだよ」

「だからひょいと行かずにゆっくりじっくり掘っているからさ。抵抗力の瞬間的な力には敵わないが、削いでいくことはできた。ちょっと気を抜けば瞬く間に押し戻されてしまうがね」


 飛行機で行けばバレて撃ち落とされてしまうが、徒歩なら気づかれずに密入国できるみたいなもんか。

 阿沙賀はそのように納得するが、同時に飛行機で行く距離を陸海問わず超えて歩いて行くという想像に結び付きゲンナリする。


「だからって百年断続的にって、やっぱりイカレてやがる……」

「しかもそれで移動は叶ったとしても、やっぱり人間界の滅亡と魔界への影響は免れないんだよな?」

「当然さ、それとこれとは別問題だからね」

「…………」


 阿沙賀と遠凪はもはや言葉もない。

 無駄を恐れぬ蛮勇。徒労を突き抜ける狂気。

 であればこそ成し遂げられた地獄の門……ザイシュグラという狂人を除く全てが不幸にしかならない最悪の奇跡である。


 迷亭は彼らの同意がうれしいのか、すこしだけ口角をあげて続ける。


「ちなみに先ほど言った根拠なんだけどね……実は学園にある境界門、僕が見つけたんだ。繋がる以前、未完成のを偶然ね」

「は?」

「時空の歪みを感知してなにかなぁって見に来たら、外側から随分と強い力で掘られ繋がりかけていることに気づいたのさ。それが、おおよそ百年前」

「百年とかいう日常じゃ使われない単語が頻出するの怖っ。てーかオメェ歳いくつだよ」

「こら、女性に年齢を尋ねるなんて紳士とは言えないよ阿沙賀くん」


 いやツッコみどころはそこではない。

 特に大声をあげて遠凪が立ち上がる。


「いや待てどういいうことだ!? おかしいだろ、迷亭が先に? 境界門を見つけた?」

「そうだよ。でもそれは未完成だった。まぁ完成されたら絶対困ることになるのは目に見えてたから嫌がらせ込みで邪魔したらザイシュグラくんに一発で見つかってさぁ、文句を言われたけど門を掘るのに力注いでたから本当に文句だけしか来なくて、ふふ、あれは可笑しかったなぁ。むしろ邪魔立てに気合が入ったよね」


 思い出し笑いなんぞしているが、遠凪としてはそれどころではない。

 なにか今、とてつもなくおかしな情報が出てこなかったか。根本的に前提としていた部分をひっくり返すような、そういう情報が。


 遠凪は奥底で感じたその違和感を即座に言葉にはできなかった。

 なんとか頭を回転させ、言葉をつなぎ合わせてそれらしく問いに変える。


「じゃっ、じゃあ、迷亭の嫌がらせが功を奏して境界門開通が遅れたってことか? いやそれでもやっぱり順番がおかしくないか? この結界はじいさんの……大江戸・門一郎の作成のはずだ。でもじいさんが結界を張ったのは五十年近く前、その前から門があったというのなら……」

「あぁうん。だって最初に門を封じたの、僕だもん」

「また嘘かボケェ!」


 たしか以前の話だと迷亭と大江戸・門一郎の邂逅は二、三十年前。迷亭からこの学園を訪れたという話だった。

 全然まるきり話が違うではないか!


 ここに来てのとびきりの嘘っぱちに、遠凪はもとより試胆会全員が白い目で迷亭を睨むが、気にしちゃいない。普通に続きを喋っている。


「えぇと、時系列で整理すると僕が最初に境界門を見つけて、それを結界で閉じた。

 それが約百年前。

 でもねぇ、僕なんかじゃあ魔王の干渉に耐えきれなくてねぇ。十年か二十年くらいでもう限界、境界門は完成してあわや世界滅亡! となるところを魔王と契約を交わして、彼が訪れるのを少し待ってもらったのさ」

「契約? たしか、ザイシュグラの野郎が言ってたやつか?」


 いやあれは大江戸・門一郎との、という話だったか? それとも三者による、ということだったのか。

 迷亭はこともなげに頷く。


「あぁうん、先ほどザイシュグラくんの言ってたそれであってるよ。けど、うん、これに関してはちょっと後に回そうか。わかりにくくなっちゃうからね」


 割と含む言い回しにどういうことだと問いただそうとするも、その前にするりと迷亭が爆弾発言をかましてしまう。


「で、その稼いだ時間の間に門一郎くんを見つけて、僕の弟子にした」

「はぁ!?」

「弟子!?」


 いつか大嘘こいた際には自分が大江戸・門一郎の弟子になったとかほざいていたが、まさかあれが真実の逆さまだったということか?

 なんてどうでもいい伏線なんだ! いやこれ伏線か?


「だって僕じゃ駄目だったんだもーん。僕より才能あってぇ、悪魔に好かれてぇ、そんな人材見つけちゃったら教え込むしかないでしょ。人類存亡の危機でもあったわけだしねぇ。実際、成長した門一郎くんは僕の結界を改良強化して今の学園結界を敷いた。魔王ですら容易く手出しのできない凄まじい強度にしてね」


 それが五十年前ということか。


 なんというか、これまで聞き及んでいた情報に虚実が入り混じっていて噛み砕くのに時間がかかる。

 主に迷亭のせいであるが、事実を隠しておく必要があったというのなら巧妙すぎて拍手を送りたくなる。実際、今日まで境界門と魔王に関係があるなんて夢にも思わなかった。多弁の割にその件に関しては一言も漏らしていなかった。


「というか大江戸・門一郎由来と思ってた迷亭のボケさ加減はむしろ起源のほうで、大江戸・門一郎のほうが迷亭の薫陶うけて迷惑野郎になったってことか……?」

「門一郎くんは最初から最後まで門一郎くんであって僕の影響なんて欠片も受けちゃいないよ、あの子全然ひとの話聞かないし。啓術技能に関しては教えたけど、すぐに勝手に上達して僕を超えていったさ」

「えっ」


 ふとそこで、遠凪が酷く青ざめる気づきを得た。


「ちょっと待てよ。じゃあオレって迷亭から見たら……孫弟子だったのか?」

「うわァ」


 恐るべき事実に、椅子ごと退いて距離をとる阿沙賀である。

 遠凪は慌てて悲鳴のように。


「ヒくな阿沙賀!? 頼むから!」

「てーかおれも気づいた。迷亭の呼び方が先生だったのってそういうことか。師匠せんせいってことだらァ?」

「流石、阿沙賀くん、よくわかったねぇ。門一郎くんには師匠せんせいとよく呼ばれていたものさ」

「無視しないでー!」

「孫弟子うるせェ」

「やめろ!! マジで!!」

「いやそこまで嫌がられると僕も傷つくんだけどなぁ?」


 どれだけ衝撃的な真相が明らかになろうと、紡がれてきた嘘が白日に晒されようと。

 迷亭という女は嘘吐きであり嫌われ者。そのパーソナリティは一切の変化をしない。

 それは個人として等身大に見ているということであり、ある意味で嘘吐き迷亭には得難い救いでもあった。

 いや嫌わているのは普通に悲しいのだけれど。


 思ったのと違う部分への食いつきの強さに呆れながらも、迷亭は話を戻す。


「それで最後に先ほど後回しにした魔王との契約の件なんだけどね」

「あぁ、二十年くらいで抑えきれんくなったって話だな?」

「そう切り取られると僕の落ち度に聞こえるじゃないか。魔王相手、というのを忘れないで欲しいね」

「……たしかに。相手を考えれば二十年も抑え込めたのは破格だ」


 こればかりは迷亭を褒めこそすれ責められまい。遠凪も同意する。

 阿沙賀としては別に褒めも責めもする気はなく、ただ話を促して。


「で? 門一郎が封印を強めた五十年前までは、どうやって止めてたンだ?」

「五十年止まってくれと契約したよ」

「またストレートな……問題はその代価だな?」


 契約で停止させたというのは順当。

 魔王ですら契約遵守は絶対の業であり、両者の合意をもって成立した契約は破りえない。

 だが当然、それに見合う対価を払ってこそ契約は合意される。


 魔王という存在を五十年も停滞させるに足る対価とは、なにか?


「人間界の存続維持、さ」

「……は?」


 よく意味を飲み込めず、単調な疑問符を浮かべてしまう。

 そんな、魔王が余計なことをしなけば保たれるものがどうして対価になりうるか? だったらはじめから人間界に来なければ――あぁいや、そうか。

 魔王が降臨した上での、存続維持ということか。


「彼の目的は滅びではない、ということだね」

「そこで最初の問題に戻るのかよ……」


 つまり魔王が人間界に訪れたら人間界も魔界も滅ぶ、という大前提である。

 ザイシュグラは人間界に行きたいのであって、滅ぼしたいわけではないのだ。


「だから僕に魔王が人間界に存在してもいいようなフィールドを作れという注文だね」

「は? できんのか?」

「わかんないねぇ」

「わかんないで契約成立したのかよ……」

「全力を尽くす、という条文で成立したよ。その結果は確約しなかったけどね」

「嘘吐きの約束ァ」


 それ絶対信用しちゃいけないやつでは?

 まず間違いなく全力を尽くしても駄目でしたが目に見えてるじゃん。


「とはいえ門一郎くんの協力もあって割とそれなりに可能性のあるものはできたんだけどね」

「できたのかよ!」

「というか学園結界に組み込んでいたよ。試胆会の破棄と同時に反転し起動した。つまり今現在、学園を覆っているのが大江戸学園第二結界――魔王が在ることのできる人界領域、さ」

「第二結界……」


 また知らない仕様が浮き彫りになったな、と遠凪などはもう笑うしかない。

 一方でそれすら把握し、していたからこそこうしてこの場に参加しているのがアティスである。


「それの精度は? どうなんですの」


 この質問に、どうしても答えてもらわねばならない。


 全力を尽くすことが契約条件であるなら、阿沙賀が言ったように「やっぱり駄目でした」がまかり通る。

 けれどそれは契約上の話で、実際に「やっぱり駄目でした」では済まない。

 ザイシュグラはこの地に現れる、それはまず確定であり、ならば。


 この学園第二結界が人界存続の最後の要となるのだから。


 結界が正常に機能せず魔王に耐えかねて崩壊したのなら、それは同時に人界の崩壊であり、また魔界への影響も免れない。最悪の場合は諸共滅び去る。


 故に魔界の住人として、その中でも民を導く立場の姫君として、アティスは問わねばならなかった。

 しかし。


「正直わからないんだよねぇ」

「……でしょうね」


 はぁと淑女ならざるほど重々しいため息が、アティスの可憐な唇から零れ落ちた。


 ぶっつけ本番、やるだけやって後は流れで……なんともいい加減なことである。

 手は抜いていない。本当に迷亭と門一郎は全力を尽くしたのだろう。

 だからとそれが保証になるわけでもない。


 実際の魔王と対峙したわけでもなく、その全力を理解できているわけでもない。見落としや思慮不足は必ずあるだろう。

 なんならすべては机上の空論とさえ言える。

 そういう不確定要素を含めて確実に、とは言えないという当たり前の話である。


 そもそもが前代未聞なのである、魔王が滅びを承知で人間界に訪れるなどと。

 それを想定し、訪れた上で滅びを防ぐように結界を用意するなど。

 

「だからできれば彼がこちらに来る前になんとかできるといいんだけどね」

「それができれば苦労はしませんの」

「だねぇ」


 苦笑して、現状の不安定さを肯定する。

 なにもかもが不確実、誰も彼もが危機に瀕してひとつかふたつの世界の終末が近い。


 それを打開することなどできるのだろうか。

 魔王を退ける方法などこの世に存在するのだろうか。


 わからないから、ただいま迷亭が語るのは知りうることだけ。

 それを聞いた者らがどうするのか、どうしたいのかは勝手にすればいい。


「ともあれこれが僕とザイシュグラくん、そして門一郎くんとの因縁ってやつさ」


 魔女として生きた長き旅路、懐かしき記憶。

 そしてそこにこびりつく忌むべき悪夢――振り返ればなにもかもを鮮明に思い出せる。

 故にこそ決着をつけねばならない。


 楽しい思い出を、魔王ごときに汚されたくなどないのだから。



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