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これは、夏休み前から続く、俺しか知らないであろうストーリーだ。
誰にもこのことは伝えていない。
伝えたとしても、きっと簡単には理解できないだろうから。
「……そう……ですか……。もう、終わりなんですね……」
「えぇ……。大試君、アナタにはきっと、複雑な想いをさせてしまっているのでしょうけれど、こればっかりはどうしようもないわ」
もうすぐ夏という季節、昼下がりのちょっとお高い喫茶店。
個室もあって、カップルでの利用とか、秘密のお話がしたい方々に人気のお店……らしい。
ネットで調べただけなので、俺もよく知らない。
プリンが美味しいと書いてあった。
まあそれはいいや……。
俺は、心を落ち着かせるために2つ目のプリンに手を付けた。
「お相手とは、もう?」
「いいえ。告白されただけで、返事もまだよ。私も正直初めての事で、戸惑っているのよ」
「でしょうね……」
テーブルを挟んで俺の向かいに座っているのは、黒髪を長く伸ばし、煽情的な服装をしている美人のお姉さんだ。
ハッキリ言って、10人の男に聞いたら、9人は結婚したいと答えるくらいの美貌の持ち主だな。
残りの1人は、そもそも女を性的な対象と見れない奴だ。
「まあ、そこから先は、俺がどうこう口出しできる事でもないですから……」
「確かにそうかもしれないけれど、それでも、ケジメというか、私の気持ちをしっかり貴方に伝えておくべきだと思ったのよ。いつか、心の準備ができていない時に、私が他の男性と腕を組んで歩いている所を貴方が見たら、きっととても驚くでしょう?」
「そりゃまあ……。はぁ……、本当に、もうどうしようもないんですね……」
「鬼一さん……」
「少しだけ残念だけれど、これも時代よ」
俺が今話しているのは、前に助けてもらった天狗の鬼一さんだ。
目下の悩みは、人々の認識によって自己を作り変えられてしまうという妖怪の性質で、どんどん女性の体へと変化して行ってる事だったあのTS天狗さん。
しかし、どうやらそのTSも行く所まで行ってしまったらしく、言葉遣いまで完全に女性になってしまっている……。
もう、あの日の天狗のおっさんはいない……。
「それに、私はむしろこの状況を喜んでいるの」
「そうなんですか?」
「えぇ。町の人々が、私の事をとても好意的な、もしくは性的な目で見てくれるのがとても嬉しいの。前までは、どれだけ強大な力があると言っても、日陰者でしかなかった私が、人々の前に姿を堂々と表しても何の問題も起きないなんて、とても嬉しいのよ」
「そんなもんですか……」
それは、まあ、もう俺にもどうしようもない分野の話なので、ひとまず置いておこう。
今早急に話し合いたい事柄、というか、今日鬼一さんに呼び出された理由は、もっと重大だけれど、一見ありふれた内容でもある。
だからこそ、俺もどう答えたらいいのか悩んでいるんだけども……。
「そんな生活の中で私は、出会ってしまったのよ。運命の男の人に……」
「うーん……」
男、なんだよなぁ……相手……。
「きっと彼は、私の正体を知っても受け入れてくれるとは思うのよ。でも、勇気が出ないの……」
「でしょうね……」
大妖怪TS天狗ですからね……。
そりゃもうカミングアウトの後の展開は、予想がつきませんわ……。
「こんな事、大試君の他に相談できる相手なんていないから私……」
「普通いないと思いますよ……」
「でも、どうしても彼と結ばれたいの。力を貸してくれないかしら?」
「力を貸すって言ってもどうやって?」
「こう……妖怪についてのイメージ改善とか、そういうのを……」
「ノープランなんですね……」
「えぇ……」
なんでこの妖艶な年上お姉さんみたいな見た目で、思春期の女の子みたいな恋の悩みしてるんだ……?
いや、そうだった。
この人最近までオッサンだったんだった……。
童貞を殺すセーターなんて着てるけれど……。
話を聞いたところによると、鬼一さんは最近ドラッグストアでアルバイトをしていたらしい。
女性の見た目に近づいてきたせいで、生理用品や女性用の下着などの調達先に困ったそうで、何度か俺に頼んできていたので、それを解決するためにドラッグストアに勤めたという所まではまあわかる。
問題は、そこで一緒にアルバイトをしている男子大学生だ。
彼と一緒に仕事をしていくうちに、とても仲が良くなってきて、数日前にとうとうお付き合いを申し込まれたんだそうだ。
うん、健全だな。
相手がTS中の天狗じゃ無ければ。
「俺は、その鬼一さんに告白してきたって言う男性の事を良く知らないので、余り適当な事を言うのもどうかと思うんですけれど、鬼一さんがこの前まで男だったって事に関して相手が知らないのであれば、鬼一さんさえOKを出せば問題なくゴールインできると思います。その位鬼一さんは、美人になっちゃってますし、胸もお尻も大きくてセクシャルアピールもすごいです。失敗するイメージが浮かびません」
「けれど、私は性転換を経験しているし、何より妖怪で……」
「鬼一さん、こんな事を言って酷い奴だって思われるかもしれないんですけど、それでも敢えて言うので聞いてください」
「何かしら……?」
俺は、覚悟を持って断言することにした。
これ以上ここで話を聞いていると、自分の中の何かがゴリゴリ削れていく気がしたから……。
「この前まで男性だった鬼一さんにはわからないかもしれませんけれど、女性の嘘は、嘘をつき続ける場合に限り許されます」
「そうなの!?」
「はい。ネットで見ました」
ネットの自称女性たちが言うには、そうだった。
「そもそも、鬼一さんがその男性に対して秘密にしている事って、ぶっちゃけカミングアウトする必要が無い事だと思うんですよ。だって、別に鬼一さんが他の男と何かの経験があるって訳でもありませんし、これから浮気をしていくという訳でもないんですし、鬼一さんさえ黙っていれば誰も不幸になりません。相手だって、変なカミングアウトされるよりは、秘密にされ続けている方が幸せだと思います」
「でも、私は妖怪で……」
「妖怪とはいえ、世間からの天狗のイメージが、人間とセックスできる女性型の妖怪ってのが強くなってしまっているから、何の問題も無く男女の関係にもなれますし、恐らく妊娠だってできるでしょう。つまり、化粧と一緒で、秘密にすることがお互いの為になる事柄なんですよそれは」
「そう……かしら……」
多分な。
知らんが。
まあ、失敗したらしたで良いだろ、ってくらいのノリで行こうや。
アンタのその見た目でお付き合いOKの返事もらって喜ばない男なんてそうそういねーからさ。
何より、んなもん俺に聞かれたって困るしさ……。
「ありがとう大試君、アナタのおかげで、勇気が出たわ」
「それは良かったです」
「この後、早速返事をするわ!私、幸せになるのよ!」
「陰ながら応援していますよ」
こうしてなんとかこの日は、密会を切り抜けたのだった。
俺のスマホに、鬼一さんと、さわやかイケメンのツーショット写真が報告として送ってこられたのは、その次の日だった。
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