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私は、松永様の庇護のもと、馬の種付けを担当している。
馬の種付けとは、つまりは馬同士を交尾させて次代を作り出す行為だ。
生物における交尾とは、実は危険な作業だ。
特に馬の場合、交尾する時は、雄が雌の上に乗り上げるような体勢になるため、事態中に比べて意外と細い後ろ脚に強大な負荷が掛かる。
これによって、脚を骨折することもあり、骨折した馬は大抵そのまま薬殺することになる。
何故なら、馬にとって脚とは心臓の補助も行うくらいに重要な機関なので、脚を上手く使えないと、足先から腐って死んでしまうからだ。
骨折しないとしても、雌の強力な後ろ足により蹴りが雄に炸裂し、生殖器の破壊、最悪顔面に蹴りが入って即死することまである。
それでも人工授精による繁殖をさせず、未だに種付けを行っているのは、人工授精によって繁殖させた馬は、王家は元より貴族家に納入できる正式な魔馬として認めてもらえないからだ。
理由?
よく知らん。
松永様がそう決めた。
恐らくだが、人工授精という科学的なアプローチを嫌い、伝統的な手段こそが最善というスタンスなだけだと思う。
長々と説明したが、つまり私の仕事は、とても難しく、尚且つ責任が重大な仕事なのだ。
専門性が高く、替わりを用意するのが難しい人材。
それが私たち一族なのだ。
そんな立場に胡坐をかき、どんどん景気の悪くなるこの業界から脱出できなくなってしまった私たちに、松永様からの指示を断る事はできなかった。
私の可愛い息子に選民思想を植え付けた上で、犀果家の保育所に送り込めとのお達しを受けた時には、何をいっているんだと思った。
詳しく説明を聞くと、どうやら犀果家への嫌がらせのためらしい。
なので、仮に試験で落とされたとしても問題ないそうだ。
その時はその時で、シナリオを用意しているらしい。
小学生がやる虐めのようなレベルだなと唾を吐き捨てたい気持ちに苛まれたが、男爵家である我が家に、松永侯爵様に逆らう選択肢などありはしない。
仕方なく、今年4歳となる我が息子を犀果家の保育所の入園希望者として送り込むことにした。
まあ、これを妨害行為と考えて入園を拒否されるならそれでいいし、逆に受け入れられたとしても、我が家には別にデメリットも無い。
子供に変な思想を植え付ける事に抵抗もあったが、事が終わってから矯正する事も可能だろう。
そんな風に、軽く考えていた。
「パパ!ただいま!」
「あ、あぁ……。お帰り。随分楽しそうだな?」
「うん!いっぱいあそんだ!」
「そう……か……」
私が教え込んだこととはいえ、ステレオタイプなクソ貴族のような言動をするようになっていた息子が、何故かあの保育所に入ってからとても利発で可愛くなってきた気がする。
そもそも、この前まで私の事を「父上」なんて硬く言っていた筈だが、いつの間に「パパ」になったんだ?
成長に伴って、「親父」になるならともかく……。
貴族としてどうかは置いておいて、正直に父親として考えると、あのクソガキっぽい息子より、今の息子の方が100倍良い。
というか、お小遣いを無限に渡したくなる。
妻に怒られるので、絶対にやらないが。
それにしても、何がこの子を変えたのか?
切っ掛けは、保育所に入れた事しか思い浮かばないんだが……。
「なぁ、圭太。保育所では、どんなことをしているんだ?父……パパにも教えてくれ」
「うん!いいよ!」
何て可愛い笑顔をするんだ!?
やはり、家の息子は天使なのかもしれない!
「えっとね、つみきとかであそんでる!」
「積み木?」
「うん!ほかのやつらとけんかになったらせんせーがおこるんだけど、そのあとだっこしてあたまなでてくれる!」
「だっこ……?」
「あとね、きらいなやつがいる!」
「嫌い?どんな人なんだ?」
平民か?
それならば、松永様からの指示通りの行動をしてくれていることになるが。
「なっとうおんな!」
「なっとう……納豆?」
「うん!おれになっとうたべさせようとしてくる!あと、すごくつよい!」
「それは……何者なんだ?」
「じょしのリーダー!じょしはみんな、アイツのぐんもんにくだった!」
「軍門に下るって……。保育所でいったい何をやっているんだ……?」
「あした、けっとうのやくそくした!」
「決闘!?」
「うん!だるまさんがころんだする!」
「……そうか。平和だな……」
思えば私は、仕事にかまけてこの子と遊んだことなどほとんどなかった気がする。
それどころか、変な思想を植え付けようとしていた時を除くと、今こうして保育所の様子を聞いているのが久しぶりの長い会話なんじゃないだろうか?
……なんだか、自分が無性に親として情けなく感じてきたな。
私は、こんな子供に何をさせようとしていたのだ?
いくら侯爵家からの指示だとしても、それが明らかにおかしいならば、断る事こそが貴族の役目ではないのか?
先祖代々引き継いできた種付け役を降ろされたとしても、子供を守る事すら出来ない事に比べたら些細な問題なのではないか?
頭の中を後悔と懺悔がぐるぐる回る。
気がつけば、息子を膝の上に載せ、頭を撫でていた。
「パパ?どうしたの?」
「うん?いや、たまにはこうして一緒にいるのも悪くないかと思ってな」
「いいの!?あそぶ!?」
「遊びか……ふむ、どんなことがしたいんだ?」
「じゃあね……たいしせんせーゲーム!」
「んん?」
なんだそれは?
流石に私もそんなゲームは知らない。
「どんなゲームなんだ?」
「えっとね、たいしせんせーをまとにしてこうげきするの!」
「たいしせんせー……大試先生を?」
あの犀果家の子供の事か?
「うん!でね、たいしせんせいにいたみをかんじさせたらしょうり!」
「……因みに、その時大試先生は、一体何をしているんだ?」
「たってる!」
「……じっとしているのか?」
「うん!」
「……それを私にやれと?」
「うん!たいしせんせーが、つよいおとなのひととしかやっちゃだめっていってたから、パパとならいいんでしょ?よわいひととやったら、かっこいいおとなになれないんだって!」
「……私は、強い大人か?」
「うん!ちがうの?」
「………………………………違わない。私は、強い大人だ。良いだろう!その大試先生ゲームとやらを受けてやろうじゃないか!パパが強い所を見せてやる!」
「やった!」
それからしばらく、王都内の病院に、何故か子持ちの男性たちが入院する事例数が跳ね上がったが、誰一人としてその原因を話す者はいなかった。
ただ、「強い父親になるためだ」と何人かは証言していたため、世間では変なブームでも起きているのだろうかと病院関係者、そして救急関係者たちを悩ませることとなった。
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