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映画館、それは、非日常を手軽に味わえる素敵な施設である。
素敵なのはわかっているけれど、手軽に利用するには、ちょっとだけハードルが高い施設でもある。
まず、料金が高い。
昔は、一回チケットを買って映画館に入ってしまえば、その後ずっと閉館までいることも可能だったらしいけれど、今は席一つ一つが指定になっていて、1回の上映ごとに全員が入れ替わらないといけない。
なのでコスパはあまりよくない。
それでも!
デカいスクリーンと、迫力の音響!
そして、薄暗いあの雰囲気は、観客をとてもドキドキさせてくれる!
「来ちゃったなぁ、映画館」
「はい、来ました。手を離さないで下さいね?ここで迷子になったら二度と会えませんよ?」
「そんな事は無いと思うけども……」
休日の映画館は、思ったよりも混雑していた。
チケットを買おうと並んでいる人たちは、口々に自分のお目当ての作品についての話をしている。
ここで話している人たちは、きっと陽キャだろう。
何人か下を向いてじっとしながら並んでいる人たちは、多分俺や彩音と同類だ。
親近感が湧く。
まあ、だからって彼らと一緒に何かしたいとも思わないのが不思議な所だ。
「それで、ここからどうしたらいいんでしょうか?」
「チケットは、スマホで予約してあるから大丈夫。多分、そこの発券機で発行できるんじゃないかな?」
「なるほど、ハイテクですね……」
「ハイテクかはわからないけれど、まあ、受付の列に並びたくない人には、良いシステムだな」
「確かに!どの作品が観たいかをレジの方に聞かれるだけで緊張しそうです!」
こいつは、本当になんでそのビジュアルで(略)。
発券機を使うと、全く待たずにチケットを手に入れることができた。
これをスクリーンに繋がる通路前にいるお姉さんに渡せばいいみたいだけれど、その前にまず儀式が必要だ。
1人で映画に来たならば、別にこれは必須ではない。
だけど、多分友人とやって来たのであれば、必須と言っても過言ではない気がする!
だって、ちょっと憧れてたもん!
ワイワイとアレを買って行くの!
「彩音、見ろ」
「はい?あれは……まさか、ポップ……コーン……!?」
「そうだ。映画といえばポップコーンだろう?」
「確かに、そういうイメージはありますね……」
「ぼったくり価格だけれど、折角友人と来たのであれば、ノリに任せて買ってみるべきだと俺は思うんだが……」
「買いましょう!買うべきです!」
「だよな!飲み物は何にする?」
「コーラで!」
「コーラか!定番だな!俺もそうしよう!」
どのメニューもぼったくり価格。
しかし、何故かワクワクさせられるその不思議な品々。
ここでは、原価率どのくらいだとか考えたら負けなんだと思う。
ノリだ!ノリで楽しめ!
「いらっしゃいませー!」
「すみません、ポップコーンとコーラを2つずつお願いします」
「ポップコーンのフレーバーはどれに致しましょうか!?」
「フレーバー……?」
まずい、完全にノリで注文をしてしまったけれど、フレーバーだと……?
味の事か?
塩以外にあるのか……?
そう思ってみてみると、塩とキャラメルがあるらしい。
「えーと……ソルトで……」
「塩ですね!」
「あ、はい、塩で……」
「私は、キャラメルを……」
「畏まりました!コーラのサイズは如何しますか!?」
「サイズ……?こういう所の大きいのだと、と……トール……だっけ?」
「Lサイズですね!畏まりました!ご一緒にチョリトスやプレッツェル、ホットドッグは如何ですか!?」
「ちょり!?ぷれ!?えーと、いや……大丈夫です……!」
「私も大丈夫です……!」
「畏まりました!少々お待ちください!」
そして店員さんが後ろにいた他の店員さんにオーダーを伝え、トレイにメニューが載せられていく。
へぇ……飲み物のカップとポップコーンの容器がしっかりハマる形状になってるのかこのトレイ……。
ぼったくり価格だけれど、それなりに特別感が出るようになってるんだな……。
「ありがとうございましたー!」
買った物を受け取ってカウンターを後にする。
「……緊張したわ」
「……ポップコーンの味って、フレーバーって言うんですね……」
「塩って、フレーバーなのかね……?」
「さぁ……?」
「あと、飲み物のサイズな……よくある意識高い系コーヒーショップ的な感じかと思ったのに……」
「SMLで良かったみたいですね……。トール……フフッ」
「あ!お前!自分で注文しなかったくせに果敢に挑戦した俺を笑いやがったな!?」
「ごめんなさい……!だって……真剣な顔で……!フフフッ!」
まだ映画が始まってすらいないというのに、結構体力を使ってしまった。
チケット確認のお姉さんにチケットを渡し、半券を返してもらった。
その後は、『寄生中』が上映される第9スクリーンへと向かう。
上映が始まるまでは、入り口のドアは開け放たれているようで、トレイを持ったままでも簡単に入れた。
「私たちの席は、どちらでしょうか?」
「折角だから、中央に近い所にしたんだ」
「犀果先輩は荷物を持ってますし、私が先導しますね!半券もらいます!」
彩音がフンスとやる気を見せながら俺を引っ張っていく。
彼女は、映画館に来た事が無いということなので、こういうのも経験だろうと好きにさせておいた。
ただ、ちょっと気になるのは、あと数分で上映時間だというのに、他の観客が誰一人いない事なんだよな。
何故だろう……?
王立魔法学園1年主席のお嬢様が観たがるほどの話題作、スプラッタなホラー映画、『寄生中』が始まるというのに……。
その後も、彩音が席を見つけ2人で座り、ブザーが鳴って照明が落ちるまで、他の観客が入って来た気配は無かった。
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