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次の土曜日、俺と担任は森の中にいた。
といっても、ここは魔物の領域とされるような危険地帯ではない。
いるとしても、魔獣化していない普通の鹿や猪、後はツキノワグマが精々だろう。
まあ、猪は結構危ないので、一般人が入る時には注意が必要かもしれない。
但し、この世界の野生動物たちは、前世で言えばクマ避けの鈴みたいなデカい鈴をつけておけば近寄ってこない。
この世界の人間の強さがかなりのものである場合が多く、動物たちもそれを知っているので、好き好んで襲いに来るような奴も多くないからだ。
しかし、この世界にしては珍しく安全なそんな自然環境の場所に、俺たち以外の人影は殆どない。
前世の世界なら、安全な森の中といえば、山菜取りに来て勝手に死んだりするジジババや、バードウォッチングに来て勝手に怪我して動けなくなるジジババ、健康の為と言って散策に来て行方不明になるジジババなんかがよくいて、孤独になることは難しい環境だった。
反対に、この世界のジジババには、森の中とか山登りに行く趣味を持った方々は少ない。
何故なら、そんなふうに自然と触れ合う事に憧れを持つ人間が少ないからだ。
自然は怖い物。
それが、この世界の一般常識であり、どうしようもない現実だった。
そう言う認識を持っている人間にとって、こんな森の中を歩き回る行為は、魅力的に感じる者では無いらしい。
「まあ、戦える人間にとっては、癒しの空間なんだけど」
今の俺からしたら、魔獣化していない猪なんてチワワと変わらない程度の脅威度だ。
農作物を食い荒らしでもされない限りは。
それにしても、この濃い緑の香りがたまんねぇ……。
まあ、今の家の周りも同じかそれ以上に緑に囲まれている訳だけれど、あの辺りにクワガタ採集に来る人が増えたら嫌なので、今回は他の所を探して担任を連れて来たわけだ。
人の口に戸は立てられぬ、何ていうけれどさ、本当にクワガタが捕れるポイントって言うのは凄い勢いで広まっちゃうからなぁ……。
前世だったら、オオクワガタの獲れる場所が見つかったら、絶滅するまで獲りに行く奴までいたのもんなぁ……。
この世界のクワガタ好きがどの程度のもんなのか俺にはイマイチわかっていないので何とも言えないけれど、万が一にも家の周りに集まられないようにしなければならないんだ!
だって怖いもん!夜に家の周りをウロウロされるとかさ!
下手したら、デカい馬とか熊が自衛のために攻撃しちゃうかもだし……。
この世界の法律であれば、勝手に人の土地に入り込んだ奴を殺したところで罪には問われないことが多いらしいけども、できれば避けたいし。
「んで、どこにクワガタがいるんだ?」
髭面のおっさんが、体調の悪そうな顔で聞いてくる。
話によると、昨日は中の良いオッサンたちで集まって飲み会をしていたらしい。
3次会までやっていたそうで、絶賛二日酔いなのだという。
今日クワガタの獲り方を教えるって言っておいたのにそんな状態なんだから自業自得だ。
気にせず連れまわそう。
「まずですけど、先生はお子さんにどんな風にクワガタやカブトムシを捕らせたいんですか?」
「どんな風にって……普通にそこらで捕らせてくれりゃいいぞ?こう言う所に俺が連れてきて、クワガタを捕れりゃ、それだけでガキどもにとってはヒーローだからな」
はぁ……マジでダメダメだなこのオッサン。
「晩ご飯は何が良い?」って聞かれて「なんでもいい」って答えるくらいのダメダメさだ。
「先生、子供にクワガタを捕らせるっていうのは、かなり大変な接待行為だという事を忘れちゃダメですよ」
「接待?いや、子供っつってもお偉いさんのとかじゃなくて、俺のなんだが?」
「はい!今お子さんの先生に対する憧れポイントがガクンと落ちました!」
「はぁ!?」
まったく!
ここまで愚かだったとは!
「いいですか?クワガタを捕る方法はいくつもあります。そして、今回は子供が楽しめる方法を選ばないといけない訳です。この楽しむっていうのが難しいんです」
「いや、だからそこらで捕れりゃそれで……」
「どこですか?」
「あ?」
「ですから、そのクワガタがどこにいますか?」
「だからそれを教えてもらいてぇんだっての」
「んなもん誰にもわかるわけねぇだろ!」
スパーンと、持っていた虫取り編みを地面に叩きつける。
叩きつける瞬間に威力を殺したので、傷んではいない筈だ。
「わかんねぇのか!?」
「ポイントを探す方法はわかりますよ?でも、そこに実際にクワガタやカブトムシがいるかどうかなんてわかるわけがないじゃないですか。どんな達人だって、絶対にいるっていう保証はできません!」
「いや……そりゃそうかもしれねぇが……。でも歩いてればその内見つかるだろ?」
甘い……プリンよりも甘いんだよなぁ……。
「お父さん、クワガタ見つからないね……」
「あ?」
「貴方のお子さんが、クワガタが見つからずに暫く歩き回った場合に言うかもしれない言葉です」
「それがどうした?」
「子供にとっての退屈な時間っていうのは、大人の体感時間の10倍以上に感じると考えてください。そんな状態で、森の中を歩き回されたお子さんは、貴方との今日という日をどういう思い出にするんでしょうか?」
「それは……」
「あーつまんねぇ!親父と一緒とかマジたりぃわ!冒険者だったっていうから期待してたのに、マジがっかりだわ!」
「な!?」
「なんてグレたりするかもしれませんね」
「俺の息子が……俺のせいで不良に……」
いや、アンタの息子がそこまで行くかは知らんけどな。
「オーバーに言いましたが、要は子供にとって、クワガタを捕りに来たのに捕れない時間て言うのは、拷問に近いつまらなさであるという事を忘れてはならないんですよ」
「拷問……」
「となれば、可能な限り子供が退屈しないように、且つ安全で、それでいて確実な方法を選ぶ必要があります。しかも、それはその子供によって適した方法って言うのは変わってくるわけです。夜が得意かどうかとか、早朝からの活動に耐えられるかとか。そして、俺は貴方のお子さんの事を全く知りません。となれば……」
「俺が考えねぇといけねぇってことか……」
「そうです。その為には、できるだけ簡単にできる方法に絞るとはいえ、いくつかの方法を覚える必要があります。1つじゃダメです。その日、その時間帯によってどの方法が一番効果があるかも変わってきますし、何より相手が生き物である以上、絶対はありませんから。常に予備策を用意して、子供が退屈を感じる時間を無くしつつ、クワガタやカブトムシを捕るという成功体験をさせてあげましょう」
「成程……成程!」
段々と、事の重大さが分かって来たらしい担任。
まったくよぉ……親が子供の遊びに付き合うっていう重大さにやっと気が付いてきたか……。
二日酔いの頭痛で苦しんでいるようだが、それでもなんとか話に乗って来た。
「もし、お子さんとのクワガタ採集が成功したら……」
「成功したら!?」
「お子さんの中での父親の株は急上昇、友達にも自慢して、クラスの人気者になれるでしょうね……」
「おお……おおおおおおおおお!俺はやるぞ!カブクワマスターになって見せる!待ってろよ博光!パパは頑張るからなああああああああ!」
随分とやる気になった様子の担任。
子供の遊びと冷めた感情でいられると、教えるこっちも覚めるからどうにかしたかったんだけど、効果はあったらしい。
ところで、子供に自分の事をパパって呼ばせてんのかこの二日酔い不精ヒゲオヤジ……。
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