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男と男の戦いは、熾烈を極めた。
互いに全力の拳を叩き込むために、ガードなんでナメたことをしている余裕はない。
結果、ただただ互いに殴り合うという泥と血の匂いが漂う戦場が生まれていた。
そんな中、猫耳メイドは1人頭の中が沸騰しそうになっていた。
目の前で、自分のために男が戦ってくれているという初めての経験は、猫耳メイドの予想よりも大分刺激的だった。
しかも、本人は元々覚悟して挑んだ訳では無い。
猫耳メイドが嘘をついて連れてきて、なし崩し的に巻き込んだだけだ。
にも関わらずだ、すぐに諦めても良い立場のはずなのに戦ってくれているという事実に、猫耳メイドの乙女の部分が既にオーバーヒートしかけていた。
それだけではない。
(あんなに必死に戦って……よっぽど好きなのニャ……)
(見るにゃ、あの娘真っ赤になってるにゃ)
(お母さん!ニャーはお嫁さん用の花冠作ってくるにゃ!)
(気をつけていってくるニャ)
(はぁ……ニャーも将来あんな旦那欲しいにゃ〜……)
等と、光悦とした、或いは生ぬるい視線とヒソヒソ話をされていて、ときめきと羞恥心がどんどんオーバーフローしていく。
「べ……別にアイツのことなんか好きじゃないにゃ!そもそも付き合ってもいないしニャ!」
と、小学生みたいなカミングアウトをしたとしても、「え!?お嫁さんでもないのにあんなに必死に戦ってもらってるにゃ!?」「どんだけ愛されてるニャ!?」「それで本当は好きなのにゃ!?」等と言われるだけで、絶対にこの状況が改善されないのがわかるので、ただ黙って顔を赤くして心臓をバクバクさせながら、手を胸の前で組んで祈ることしかできない猫耳メイド。
何の神に祈っているのかは本人もよくわかっていない。
ただただ目の前で戦う主を見ていて、そういうポーズを取ってしまっただけだ。
猫耳メイドは、この里においてあまり良い立場ではなかった。
父親は族長という立場にいるけれど、母親は別に有力部族の代表者というわけでもない。
政略結婚で嫁いだ他の嫁たちと違い、族長の好みに合致したからという理由だけで結婚した猫耳メイドの母は、里の中で孤立していた。
この厳しい野生の世界で、体が弱いというのは致命的な事であり、それだけでも悪く言われてしまうというのに、どう上手く取り入ったのか族長の嫁になっているのだから尚更だ。
もちろん、嫁たちが争うのを族長は止めたし、族長の前では、猫耳メイドの母親が虐げられるようなことは無かった。
だけれど、族長の嫁であるにも関わらず、里の外れの建付けのあまり良くない掘っ立て小屋に住んでいたのだから、ファントムキャットのコミュニティの中で扱いが良いはずもない。
猫耳メイド自身、いつも心無い言葉をぶつけられていた。
あまりに酷いので、たまに同年代の男の子が言った言葉に我慢の限界になり、反撃としてぶん殴ったりひっぱたいたりすると、そいつらの親が出てきて「悪魔の子」だの「できそこない」だのと言われるのだ。
実際、同年代で猫耳メイドに勝てるものはいなかったし、10歳になる頃には、大人でも勝てるものはいなくなった。
自分は、なにか特殊な存在なのかもしれない。
だとしても、ここまで言われる筋合いは無いはずだ。
そう猫耳メイドは思うのに、自分の母親は言うのだ。
「ファムは普通の女の子ニャ。可愛い可愛い女の子にゃ。ニャーの……ニャーとあの人の子だもんニャ。だから、あんまり危ないことしちゃだめニャ。きっといつか、ちゃんとファムのことを大切にしてくれる男の人が現れるから、周りの人に変なこと言われても気にする必要ないニャ」
そんな事を言っているから滑られるのだと当時の猫耳メイドは思っていた。
猫耳メイド自身は、母親のことは好きだったし、母親を悪く言われるのは、自分が悪く言われるのよりも腹がたった。
なのに、いつまで経っても母親は猫耳メイドを見てニコニコしているだけ。
表情が変わるとしたら、2人でいる時に周りから何か言われて、猫耳メイドに申し訳無さそうな顔を向けるときくらいだ。
こんな里はクソだと考えた猫耳メイドは、族長である父親に何度か挑んで族長になり、他の者達を黙らせようとしたけれど、結局何度やっても殴り合いで父親には勝てない。
母親と2人暮らしで、母親が作る小さい畑と、猫耳メイドが1人で他のファントムキャットの何倍もの数を狩ってくる獲物で食いつないでいた猫耳メイドは、これ以上この里で暮らす必要性を感じなくなっていた。
だからある日、母親に「他の地へ引っ越すにゃ!」と直談判してみたけれど、「ニャーはこの家が好きなのニャ。だから、死ぬまでここにいるにゃ」と言われてしまい、仕方なく自分一人で飛び出したのだ。
魔王軍にいる時に、母親が死んだという手紙を受けて、あの人がいないのであれば、もう二度と帰ることはないだろうと思っていた地なのだ。
だから、今回帰ってきて、少年に戦ってもらったとしても、周りからの声なんてろくな物ではないと考えていた。
それがどうだ?
何故か否定的な声は殆どなく、冷やかしたり生暖かい言葉ばかりが飛んでくる。
そんなもの、一つも覚悟していなかった猫耳メイドが、顔を赤くしてドキドキしてしまうのは当然なのかもしれない。
ここで、メタ的な話をすると、猫耳メイドの里をゲームで訪れるという展開は、3が次世代ゲーム機でリメ言うされた時に新たに作られた、ラスボス討伐後のおまけシナリオで開放される。
本編で猫耳メイドを殺さず、仲間にしていた場合にのみ発生するこの場所は、当然高レベルのプレイヤーがやってくることを前提に調整されたマップだ。
里長に勝てば貴重なアイテムがランダムで貰えるので、そこそこ美味しいイベントなのだが、それはあくまで武器を使った場合だ。
素手縛りで勝つのは、もう既にエンドコンテンツに片足突っ込んだ難易度となっている。
しかも、スキルや強化魔術などを使ったうえでの話だ。
では、魔術も武器もスキルも使えない少年が戦うとどうなるか?
「さっさとクタバるニャこのナンパ野郎!!」
「うるせえええ!!ナンパなんてする度胸ねぇわ!!!」
叫びながら、互いの顔面にクロスカウンターが決まる。
何故か少年も族長も、既に上半身が裸だ。
2人共ノリで脱いだらしい。
それを見て猫耳メイドは少しだけ、「あ……鎖骨と腹筋すごいにゃ……」と反応してしまったりもしたけれど、まあそれどころではない。
殴り合っているだけなのに、お互い既に血だらけだ。
レベルは、間違いなく少年のほうが高い。
オンラインゲームのほうじゃないと、100レベルと超えた敵は出てこないからだ。
だけど、そもそもの種族としてのスペックがだいぶ違う。
ハイヒューマンとなった少年だけれど、流石に高校1年生というまだ体が完全に出来上がっていない状態で、ファントムキャットの族長と殴り合うのは、はっきり言って自殺行為でしかない。
……筈なのだが、この少年はあまり普通じゃないため、それには当てはまらない。
小さいときから熊と命がけの泥仕合を繰り広げたり、ケルベロスの散歩をしたりしてきたのだ。
その戦闘センスに、神剣による身体能力の強化を合わせて、力のかぎり戦う少年。
もう目も腫れて禄に視界も確保できていないだろうに、それでも拳のキレは無くならない。
「…………にゃ……やるじゃにゃーか……」
1時間以上の戦いは、突然終わった。
族長が先に地に沈んだのである。
既にファントムキャットの現役の族長としては高齢と言ってもいい年齢ではあったけれど、それでも里の者たちは誰も勝てなかった族長は、今意識を失って倒れている。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!」
少年が雄叫びを上げる。
多分、もうなんで戦っていたのかも覚えていたい。
ただただ闘争本能に従って吠えているだけだろう。
その光景を見て、周りのファントムキャットたちは大盛りあがりだ。
近年稀に見る大一番に、興奮が冷めやらない。
それとは対象的に、猫耳メイドは静かだった。
自分のために、男が死力を尽くして戦ってくれた。
そして勝ってくれた。
そんな人が現れるなんて全く思っていなかったし、期待もしていなかったけれど、実際に体験してしまうとここまで心を奪われるなんて思いもしなかった。
だから、もう放心状態になっているのだ。
「おねーさん!およめさんの花冠にゃ!」
「……にゃ?」
目の前に小さな女の子がきて、頭に野草の花で作った冠を被せてくるまで、そんな状態だった猫耳メイド。
頭のソレを手で確かめ、やっと現実に思考が追いつき始める。
それとほぼ同時に、視線の先の少年がグラついた。
少年も、既に限界を超えていたのだろう。
気がついたときには、猫耳メイドは少年に抱きついていた。
そのまま、少年ごと転移する猫耳メイド。
とにかく少年を安静にさせないといけないと必死だった。
日本の屋敷に戻るだけの魔力は残っていない。
明日にならなければ回復しない。
だから、猫耳メイドは近場の休めそうな場所に飛ぶしか無かった。
もうしばらく帰っていない、そもそも残っているかもわからない掘っ立て小屋へ。
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