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1.忍海邸の七不思議?

 忍海おしみ 響三郎きょうさぶろうは名うての呉服屋の経営者だった。

 江戸時代中期から続く老舗であり、他にも酒造業へと手を広げ、新産業にまで次々と出資し、財を築いていた。響三郎の息子はすでに先立たっていたが、かつては山陰地方で県知事を6期勤めた人だった。


 忍海一族はやんごとなき名家である。

 孫娘、かなでもその系譜にふさわしく、品行方正は折り紙付きであったし、人を惹きつける魅力もあった。

 奏は現在、学習院大学に通う2年生。ちょうど20歳になったばかりだ。国際社会科学を学んでいた。学業は極めて優秀、友だちも多く、祖父、響三郎も鼻が高かった。



 秋も深まった、ある昼さがり。

 忍海邸北側にある広いサロンで、3人の女の子が楽しげな会話を交わしていた。

 真ん中にいるのが奏で、同じ20歳の2人に囲まれる形でソファに座っていた。

 友だちの、芦川あしかわ 益子ますこ恩田おんだ あおいである。小学校時代からの付き合いだった。


 今でこそ3人とも通う大学こそ異なるが、益子と葵も誉れ高い家柄だった。

 益子の祖父は公家くげ華僑(かきょう)の資産家であり、葵など皇族の血を引き、これまた富豪の一人娘だ。

 3人は1週間後に、この忍海邸で開かれる茶事ちゃじを楽しみにしていた。久しぶりに再会したので、おしゃべりに夢中になっていたのだ。


 そんな賑やかなサロンの片隅で、1人の高齢女性がひっそりと佇んでいた。

 まるでフロアのインテリアのように、あたかもカメレオンが擬態するかのように周囲に溶け込んでいた。

 むろん、3人は彼女のことをよく知っている。知っているからこそ、気にしないそぶりを貫いている。――忍海邸に仕えている家政婦、大地だいち みよ子である。


 常に奏のそばに、忠実な影のように、時には物言わぬ隣人のように寄り添っている家政婦だった。

 とは言っても、忍海家には彼女を含めて5人の家政婦がいるのだが、この大地だけは特殊な役目を担っているようなのだ………。




「ねえねえ、葵はお茶会に、どんな着物、着ていく?」


「そりゃ、バーバリーのコートなわけないでしょ。それなりの恰好かっこうするわよ。奏、あんたは?」


 益子から葵に言葉が継がれ、奏にバトンがまわされたので、この忍海の孫娘はおずおずとこう言った。


「せっかくの口切くちきりの茶事ちゃじなんだから、グレードの高い着物、新しく作っちゃった。ぶどう色の大人っぽいの」


「なにそれ、奏に合いそう! おじいさまが呉服屋の社長だけあって、タダなんでしょ!」と、益子が両手を組んで甲高い声をあげた。「こっちも負けないから。私はこんなときのために、フォーマル感満載のを仕立てたところだったの!」


「あーあ。気合入ってるわねー」葵は冷めた口調で言った。「あたしは秋冬専用の着物で、バチッと決めてくるから。とっておきのがあるのよ」


「そんなに張り合わなくったっていいのに。もっと気楽に行きましょうよ」


 奏は2人の間に挟まれて、窮屈そうに言った。


「気楽になんか、いくもんですか!」と、益子は奏の細い二の腕をつかみ、覆いかぶさらんばかりに迫った。力士のがぶり寄り(、、、、、)そこのけの熱量である。「だって奏のおじいさまったら、キャサリン・羽生田はにゅうだをお招きするんでしょ? テレビでよく見かけるあの才女! いったい響三郎さまは、どれだけお顔が広いのかしら? あんなセレブとご一緒にお茶会するのよ! 負けていられるもんですか!」


◆◆◆◆◆


 茶事の主催者である亭主ていしゅは、祖父がつとめることになっている。

 敷地内に専用のいおりを建ててあるほどだ。ときおり響三郎は客を招き、そこで茶をてるのを趣味としていた。

 3人は何度か響三郎の誘いで、茶事に参加したことがあるが、それはあくまで気心の知れた者同士のなれ合いにすぎなかった。


 しかし今度のそれはちがう。

 益子が言ったように、ロサンゼルスで日本文化についての講演会で名を馳せている、キャサリン・羽生田を招待するらしいのだ。

 今回の茶事の目玉である正客しょうきゃくだった。正客とは茶の席における代表格の客人のことをさす。奏をはじめ2人の友だちは相客あいきゃく扱いだった。


 キャサリン・羽生田は、今や日本のテレビでも引っ張りだこの文化人。

 アメリカ人の裁判官の父を持ち、ミス・インターナショナル日本代表で優勝した母の間に生まれた才色兼備の35歳である。バラエティ番組でもゲストとして見かけることもあった。頭の回転が速く、ここぞとばかりに視聴者の心をキャッチする話芸をすることができた。空気を読む力に長け、愛想もよく、テレビ側のスタッフ受けがいいとの評判だ。


 その肩書たるや、うならずにはいられない。

 画家、陶芸家、書道家、エッセイスト、漆芸家、料理家、美食家などの、多彩な顔を持ち、知識と教養は申し分ない。片言の日本語がいささか胡散臭いのは玉にきずであったが。


 まさに、女版魯山人(ろさんじん)といっても過言ではなかった。

 もっとも、響三郎いわく――


「魯山人のように食通で芸術にも造詣が深いとはいっても、傲岸不遜、石頭で鼻持ちならないという人間ではないから安心しなさい。いくらお茶の席といっても、ガチガチに形式ばったものをおまえたちには求めていないさ。楽しくやればいい」

 

 と、請け合ってくれたので、奏たちは安堵の胸を撫でおろしていた。




 3人の世間話は近況報告からはじまり、最近あったできごと、時事ネタ、芸能ニュースへと移ったころだった。

 ふいに、恩田 葵が手を叩いた。

 サロンの隅に佇む家政婦を見る。


「ねえ、大地さん、アールグレイのおかわり、もらえないかしら。なんだか喉、渇いちゃって。わがまま言ってごめんなさいね」


「これは気づかず、失礼致しました。ただちにお持ちしますので、しばらくお待ちください」


 大地 みよ子は硬い口調で言うと、3人のもとに近づいた。

 テーブルの上に置かれたティーカップには、まだ飲みかけが残っていたが、娘たちは会話に熱中するあまり、すっかり冷めきっていた。せっかくのベルガモットの香りも台無しである。

 家政婦はそつのない動きで盆に3つのカップを載せると、音もなく厨房の方へ立ち去った。


 葵は、そんな後ろ姿を見送る。

 あの家政婦は今年で70になるそうだ。そのわりにはさほど老けていない。

 スラッと体格もスレンダー。髪は短く刈り込まれ、若いころは宝塚歌劇団で男役をやっていたのではないかと思えるほど、シルエットが映える。


「それはそうと、ねえ奏。あたし、ある筋(、、、)から聞いたんだけど――この忍海邸には世にも奇妙な、七不思議があることを、あんたご存知?」


 葵は身を乗り出し、声をひそめて言った。


「どの筋よ?」


 益子が素っ頓狂な声を出す。


「忍海邸の七不思議? 私、はじめて聞くんだけど」


 奏は、まさか自分の家にそんな噂があるとは露知らず、葵の顔を見返した。

 とても皇族の血を引いているとは思えないほど、さばさばした性格かつ、俗っぽさたっぷりの娘である。


「私、聞いたんだけど――たとえばこの家の屋根裏には、包帯でぐるぐる巻きにされた曾祖父と愛人の間に生まれた子どものミイラがあるそうよ。他にも、あの敷地の向こうにある東屋あずまやの真下には白骨死体が埋まっているんだとか。昔、盗みに入った賊を捕らえて生き埋めにしたんですって」


「なにそれ! いくら葵でも、根も葉もない噂話で私を陥れようたって、そうはいかないから!」と、奏は頬を膨らませて抗議した。「その情報って、どこで仕入れたの? ちゃんと根拠はあるの?」


「葵独自のゴシップルートって奴?」


 益子が奏の肩にすがりながら言った。

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