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扶桑国戦記 (改訂版)  作者: 長幸 翠
第三章 反攻作戦前
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神威兄妹の帰省2

 市内は、戦争の影響によりネオンサインも疎らだ。食糧や日用品は不足気味だが、核融合発電所のお陰で電気だけは足りている。だから灯りを減らす必要は無いのだが、「戦時中に贅沢するな」という国民感情を配慮しているのだろう。


 道行く人々の足取りも重く見える。黒崎島から戦火を逃れた難民だろうか、くたびれ、薄汚れた服に身を包む者達が、たむろする光景もそこかしこで見られる。軍や警察の車両が頻繁に行き交い、遠くからはサイレンの音も聞こえる。


「以前よりも人が増えていますね」

「……そうだね」


 彩華の感想に相づちを打つ。


 直也達の実家は、軍官舎の立ち並ぶ一角にある一軒家だ。佐官以上の家族が住む区画はセキュリティのためフェンスで囲まれ、入り口にはゲートが設けられている。ゲートには兵士が詰めており、出入りの確認をしている。


 ゲートでタクシーが止まり、車内から直也と彩華が身分証を提示して通行許可をもらう。タクシーが再び走り出して数分で実家が見えてくる。


 タクシーを降り、直也と彩華は実家の前に立つ。見慣れた実家の佇まいに、帰ってきたと実感が湧いてくる。


 チャイムを鳴らすと、すぐにガチャリと扉を解錠する音が聞こえる。


 扉を開けて玄関に入ると、家族が待っていた。


「お帰りなさい。直くん、彩ちゃん」

「「おかえりー」」

「「ただいま」」


 直也の義母であり、彩華の実母であるみゆき、そして妹の詩音、弟の智弘だ。家族の出迎えに、直也と彩華か顔を綻ばせる。


 妹の詩音は十四歳、弟の智弘は十歳。秀嗣とみゆきが再婚後に生まれた子供達である。


 母のみゆきを一言で表すと、“おおらかな人”だ。容姿は彩華に似ている。長い髪は背中まであり、一つに纏めて垂らしている。訓練で激しい運動している彩華よりも、体の線は女性らしい。


 直也の制服姿を見た智弘が、目を丸くする。


「あっ、お兄ちゃんの服、パパとお揃いだ!」

「一緒にお仕事しているからね」


 優しい笑顔を浮かべ、半分だけ血の繋がる弟の頭を撫でる。


「お姉ちゃんも、格好いい」

「ありがとう、ともくん」


 詩音が首を傾げる。


「あれ? パパは一緒じゃないの?」


 秀嗣は、本拠地である鈴谷基地で、事務処理中と聞いていた。勝手に≪しなの≫に乗り込んで海戦に参加した後、由良基地にしばらく滞在していたため、仕事が溜まっているという。


 見かねた副司令官の織田中佐が、直々に由良基地に乗り込んで連行していったと聞いていた。


「『お仕事が忙しいから、今は帰れない』って言っていたよ」

「えーっ、ざんねーん」

「二人とも、ご飯の支度は出来ているから、着替えていらっしゃい」


 直也と彩華は、重い荷物を手に、それぞれの自室へと向かう。子供の頃から住んでいる家だ。勝手は体に染みついている。


 楽な服装に着替えると、リビングへと向かう。みゆきと詩音、そして智弘も揃って食事の準備をしている。


 席に着いた直也は、その光景に目を細める。


 少し遅れてリビングに現れた彩華は、義兄の隣に腰を下ろす。


「詩音ちゃんが手伝いするなんて、珍しいこと」

「お母さん! 余計な事言わないで!」

「僕は、いつも手伝っているもん」

「私だって風呂掃除しているよ!」

「気が向いた時だけ、ね」

「んもーっ。おかーさーん!」


 賑やかな台所に、直也と彩華の顔に笑みが浮かぶ。


 ふと直也の脳裏に、幼い頃の台所の風景が過ぎる。


 初めは義母と義妹の背中だ。両親が再婚し、この家に住み始めた頃。義妹は今の智弘よりも幼かった。背の高さが足りずに、踏み台を使っていた。


 父の再婚までに、二人には何度も会っていたために、ある程度打ち解けてはいた。しかし一つ屋根の下に住むのは、また違うものだ。それは、友人の家に泊まりに行った感覚に近かった。


 それも最初の頃だけだ。あっという間に日常となった。


 義妹の背が伸びると、踏み台を使わなくなった。手つきも慣れたものに変わり、時には一人で台所に立つ事さえあった。


 始めは材料の大きさが不揃いだったり、焦げていたり生焼けだったり、味付けがマチマチだった料理。それがいつしか、義母の作る物と遜色が無くなっていた。


 直也も料理を手伝う事はあった。と言っても、大抵は盛り付けたり、運んだり、食後の食器洗いくらいしかさせてもらえなかったのだが。


 どうしてか、母から「料理は彩ちゃんに任せてあげて」と言われていたため、まともな料理をする経験はほとんど与えられなかった。


 成長し、直也は士官学校に入ってから今に至るまで、寮生活か実家暮らしのため、料理は未だに出来ない。苦手では無いつもりだが、そもそもする機会が無かった事がその理由だ。


 食卓に豪勢な料理が並ぶ。ビーフシチュー、鳥の唐揚げ、ポテトサラダ……等々。どれも直也と彩華の好物ばかりだ。それぞれの量はそれほど多くは無いけれど、やたらと種類が多い。広い食卓テーブルに並びきれない程に。


 あまりの豪華さに、彩華が呆れの混じった声を上げる。


「一週間もいるんだから、初日からこんなに張り切らなくても良いのに……」

「二人とも付き合いがあるでしょ? 毎日家でご飯食べられる訳じゃないから、今日は頑張ってみたの」

「それはそうだけど……」


 なおも言い張ろうとする彩華を、直也は止める。


「彩、久しぶりの母さんの料理だ。早く食べよう」


 気付いたのだ。義母が、戦場に向かう自分たちの身を、心から案じている事を。せめて料理で持て成し、送り出そうとしている事を。


 食品の値段が上がり、手に入り辛くなっている中で、これだけの料理を用意してくれたのだ。さらに、準備する手間は相当なものであろう。


 その心遣いを思うと、感謝の気持ちで胸が熱くなる。そして何より、直也は義母の料理が大好きなのだ。


「そうですね。私もお母様の料理、楽しみです」

「あ、そうだ!」


 ようやく「いただきます」をしようと言う所で、智弘が声を上げる。


「このご飯、写真を撮ってパパに見せてあげようよ!」


 名案と言わんばかりに、ニコニコ顔で提案する。


 だがその案は、所謂“飯テロ”と言うやつだ。直也には、父がそんな写真を見て拗ねるか、はたまた変なスイッチが入って暴走する事が、容易に想像できた。


「智、これは父さんに見せない方が良いと思う……」

「えー? ご飯の写真を見せたら、仕事をパパパッと終わらせて、帰ってくるかもしれないよ?」

「それは……」


 直也と彩華、それにみゆきが顔を見合わせ、揃って苦笑いを浮かべる。


 父の立場上、仕事を“パパパッ”と終わらせられる量ではない。とは言え、十歳の智弘には分かるはずも無い。


 しかし父の性格ならば、仕事を“ポイポイポイッ”と放り投げて、無理矢理帰って来る予感がした。


 いや、予感では無く、確信だ。


 だから思い止まらせようとしたのだが、思わぬ伏兵……ではなく、賛同者が現れた。


「じゃあ私からお父さんに写真を送っておくね」

「詩音っ、待っ……」


 先程から携帯で写真を撮っていた詩音が、止める間もあればこそ、家族の共有メッセージに写真を送る電子音が鳴ってしまった。


『今日の晩ご飯でーす』


 なんと十秒程で返信があった。


『すごい豪華! いいなあ、食べたいなあ!』


 メッセージと共に送られてきた写真は、基地の食事風景だ。食事を前に、秀嗣が自撮りしていると言うもの。秀嗣の隣に座っている将紀が、写真に写らないように避けたのか、上半身を傾けている。だが、努力も空しく半分だけ写っていた。


『パパが帰って来る時は、たくさんの料理を作って待ってまーす』

『明日帰ります!』


(やはりそう来たか!)


 積み上がる仕事を前に、敵前逃亡する秀嗣。天を仰ぎ、放心状態の織田中佐。青い顔で頭を抱える将紀。


 この後に起き得るそんな未来が、ありありと脳裏に過ぎる。


 直也と彩華が顔を見合わせる。それから揃って、母へと頭を垂れる。


「母さん。父さんを止めてください」

「母様。父様の暴走を止めてください」


 息子と娘の様子に、みゆきは呆れた様子を見せる。だが目は笑っていた。


「……あの人ったら、仕方ないわね」


 みゆきが自分の携帯を持ってくると、慣れた手つきでメッセージを送る。


『皆さんに迷惑をかけないでくださいね』


 ややあって、秀嗣から返信が来た。


『やっぱり明日は無理そうです。予定が決まったら連絡します』


 母はとても強かった。


「えーっ。パパ、帰って来れないの?」

「お仕事たくさんあるみたいだから、仕方ないのよ」


 本当に残念そうな智弘を宥めるみゆき。続いて、このしょうもない事件を起こした張本人に顔を向ける。


「しーちゃん、こうなる事を知っていて写真送ったでしょ?」

「ごめーん。でもお父さんに会いたかったのは本当だよ」


 ペロリと舌を出す詩音。言葉とは裏腹に、悪びれた様子は無い。こうなる事が分かっていて、大事には至らないと判断したから、敢えてやったと言う風体だ。


「仕方のない子ね」


 みゆきもそれを分かっているので、それ以上叱る事はしない。


 下の妹は、幼い頃から計算高くて悪戯好きだった。直也も彩華も、突拍子も無い行動に何度も驚かされてきたのだった。


 ある意味、父である秀嗣と一番性格が近いかもしれない。


「さあ、早く食べましょう」


 料理好きを自負する義母の料理は、文句の付けようが無い。直也にとって、慣れ親しんだ“お袋の味”だ。


 訓練で体を動かす事が多い直也と彩華は、食べる量も人一倍多い。大量に並んでいる料理を、見る間に平らげていく。


 二人揃って、デザートの生クリーム付き自家製プリンまでペロリと完食して終了だ。


「ごちそうさま。とても美味しかったよ」

「母様の料理、堪能しました」

「おそまつさま。頑張って作った甲斐があったわ」


 みゆきも、二人の食べっぷりに満足の笑みを浮かべる。


 それに対して、驚愕、と言った風体の詩音。


「お姉ちゃん。そんなに食べて太らないの?」


 体を鍛えている彩華の体型は、贅肉が少なくしなやかな筋肉を纏い、均整が取れている。玄海軍曹のように、男性顔負けの厳つい体型、ではない。


 グリフォン中隊の女性陣は、お子様体型のエイミーを除けば、概ね似たような体型であった。


 なお、今の彩華はゆったりした部屋着姿のため、体型を窺い知る事は出来ない。


「訓練で体を動かしているから、大丈夫だよ」

「羨ましいなあ……」


 詩音は手足がスラリと伸びた細身の体型だ。直也から見ると、気にする必要があるように見えないが、中学生になり、体型を強く意識する年頃なのだろうと考える。


「しーちゃんも運動好きでしょ?」

「うん。部活の練習で体を動かしているけど、太りたくないから、あまり食べない方が良いかなって……」

「今は成長しているんだから、たくさん食べなきゃ」

「お姉ちゃんも私くらいの時、たくさん食べていた?」

「もちろん。兄様が士官学校に入るって聞いていたから、私も行けるように体を鍛えていたの」

「士官学校かー……。私はお兄ちゃん達と違う針路にしたいと思っているんだけど」


 父、そして兄と姉が揃って軍人になっているせいか、自分もならないといけないと思っている様子だ。


「別に、軍人になる必要は無いんだよ。俺も父さんから、『どんな仕事に就くかは、自分で考えろ』って言われていたし。

 詩音は、軍人になって欲しくないと思っているんじゃないかな?」

「え? そうだったんだ……。良かったー」


 ホッと胸をなで下ろす詩音。


「ちなみに、どんな仕事を考えているんだ?」


 小さく首を傾げながら中空を見つめ、考える様子を見せている。数秒後、考えが決まったようで、直也に視線を合わせてはにかむ。


「うーん……。まだ秘密にしておこうかなー」

「そっか。もし決まったら聞かせて欲しいな」

「うん。そうする」


 秀嗣とみゆきの教育方針は、助言はするけれど基本的に本人に決めさせる、と言うスタイルだ。


「自分の行動に、責任を持てるようになれ」


 とは父の訓示だが、周囲に迷惑をかけまくっている本人の行動を見るに、「まず、自分の行動に責任を持つべきでは?」と思ってしまう直也であった。



 夕食が終わり、リビングでゆったりとした時間を過ごした後、明日に備えて早めに寝る事にした。


 自室で充電していた直也の携帯に、秀嗣から個人的にメッセージが届いていた。


『仕事終わる気配が見えない……。助けて』


 素っ気なく返信をする。


『無理』


 それからノートパソコンを開いて、軽い事務処理をしていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてくる。部屋に入るよう応えると、智弘が顔を覗かせた。


「久しぶりに、お兄ちゃんと一緒に寝て良い?」


 神威家の兄妹は、それぞれ一人部屋を持っている。智弘は末っ子のせいか甘えん坊に育っており、こうして時々、兄妹の部屋に“お泊まり”しに来る事があった。


「別に良いけど……。じゃあ、一緒に寝るか」


 とととっ、と智弘が自分の部屋に枕を取りに行き、すぐに戻ってくる。枕と共に、小さな犬のぬいぐるみと一緒だ。


 以前、父が智弘に買い与えたぬいぐるみの一つで、特に気に入っているものだった。


「よし、寝ようか」


 普段よりかなり早い時間だが、移動による疲れと、実家に戻ってきた安心感か、かなり眠い。


 ノートパソコンを閉じると、直也と智弘はベッドに潜り込み部屋の灯りを消す。


 暗がりの中、歳の離れた兄弟は少しの間語らった。学校や家での出来事、父の事。


 話が途切れ、間もなくスースーと智弘の寝息が聞こえてくる。それを子守歌として、直也もまた、眠りに落ちていくのだった。



 ちなみにその後、彩華も直也の部屋に“お泊まり”するため、枕持参で直也の部屋を訪れた。ノックしても返事はなく、「入ります」声をかけてから扉を開くと、部屋の中は既に真っ暗であった。


 ソロソロと部屋に入ってベッドを覗き込めば、直也と智弘が揃って眠っていた。弟に先を越された残念さはあったが、仲良く眠る兄弟の寝顔を見て、彩華の顔に笑みが浮かぶ。


 そのまま少しの間堪能してから、ソロリと部屋を出ていくのだった。


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