国会論戦
扶桑国首都、御浦市。国土の約四十パーセントを占める要島の南東に位置し、太平洋に面した大都市である。人口は五百万人を数え、周辺都市の人口を加えると、一千万人にも上る。これは、扶桑国国民の一割に相当する。
ただしこの人口は開戦前のものであった。昨年十二月に黒崎島がズレヴィナ共和国の侵攻を受けて以来、避難民の多くは要島へと移動。人口は爆発的に膨れ上がっている。
そして四月中旬。平野部は雪がほぼ無くなり、日を追うごとに過ごしやすくなってきた。
戦火を逃れた者は、国民の約二割――二千万人――以上にも及び、民族大移動とも言える規模だ。
避難民の中には、要島の各地に住む親戚や知人を頼り、落ち着けた者もいた。しかしそれは全体のごく少数であり、ほとんどは身寄りも無く慣れない土地での生活を強いられていた。
現在、避難所には、戦争により閑古鳥の鳴いている旅館やホテル、さらに学校や公民館、イベント施設も使われている。
大規模な仮設住宅、そして都市の建設が急ピッチで進められているものの、膨大な人口の流入に比べて、余りにも心細い数であった。
大規模な人口の移動は、治安の悪化も招いた。
着の身着のままで逃げ出した避難民が避難先の土地で犯罪を起こし、普通の暮らしをしている元からの住民が被害を受けるという構図は、両者の間に対立を生み、社会問題となっている。
武器の流入も深刻だ。戦闘地域で遺棄された銃火器が民間人の手で要島に持ち込まれ、犯罪に使用された。警察では対処しきれず、軍も派遣されて治安維持に努めなければならない。
扶桑国の主要都市では、多くの警官や兵士が協力して巡回し、要所に兵士が立ち並ぶ光景が日常となっている。
支倉晴宣議員は、眼下で弁舌を振るう男を、冷ややかな目で見つめていた。
「国防大臣にお伺いします。
先日の海戦では、レールガンやレーザー砲と言った新兵器が使用されたと説明されております。
この他にも、陸軍では≪タロス≫と呼ばれる人型のロボット兵器を投入し始めたと伺っております。
なぜ今頃になって、新兵器が投入されているのでしょうか? 開戦前に配備できていれば、ズレヴィナ共和国の侵略を受けずに済んだのではないでしょうか?」
拍手を浴びながら、得意げな顔で席に戻っていく野党議員に、(貴様らが資金を打ち切ったから、開発が遅れたんだろうが!!)と内心で悪態をつく。気を抜くと罵声を浴びせてしまいそうだ。
現に若手の与党議員達からは、「お前達が資金を打ち切ったせいだろ!」と異口同音に野次が飛んでいる。しかし党内で五本の指に収まる実力者が、軽々しく野次を飛ばすわけにはいかなかった。
晴宣の所属する扶桑自由党は、戦後間もなくより永きに渡って政権を担い、戦後復興と経済成長を推し進めてきた。
しかしそれが、所属議員の慢心と増長を生むことにも繋がった。国民感情を逆撫でする無分別な発言、多くの汚職が発覚し、国民の信頼を失って行った。そして扶桑自由党は四年前の一八九一年、遂に野党へと転落した。
代わりに与党となったのは、それまで野党の最大勢力であった平和人民党だ。
政権交代するなり、“軍備強化より経済復興”をスローガンに、軍事費の大幅な削減、扶桑国に駐留するエトリオ軍の撤兵をぶち上げた。
当時深刻化していた、世界的な経済不況の影響も大きく、国民の多くに受け入れられた。
国防省と軍、それに一部の議員や識者は、亜州の軍事バランス崩壊を危惧して強く反対した。しかしマスコミは「自らの利権を守るための反対」と国民を煽り立て、国民世論もそれに同調した。
扶桑軍の兵数五パーセント削減と新兵器の開発凍結が直ちに実施された。そして決定打となる、扶桑国に駐留するエトリオ軍の撤兵勧告。
平和人民党政権やマスコミが得意げに語る、“武力を持たない平和”。その言葉に踊らされる国民。
それは、戦後の平和がエトリオ連邦と言う強大な力に守られていたからこそ為し得たと正しく理解している者達にとって、まさしく狂気の沙汰でしかなかった。
エトリオ軍の撤兵後、隣国のズレヴィナ共和国は枷を解かれた獣の如く周辺国へと侵略の手を伸ばした。三年のうちに七カ国もの小国家が飲み込まれたのだ。
内政と外交についても、平和人民党政権は失敗した。
政権交代直後は、軍事や“ムダ”と判断した方面への資金を経済に回すことで、経済成長するかに見えた。
しかし外交では、強硬なズレヴィナ共和国に屈し、同国を盟主とする東側諸国寄りの姿勢を取った事が最大の失策となった。
それまで最大の貿易相手であったエトリオ連邦、そして欧州の西側諸国との貿易量が激減したのだ。大部分を輸出に頼っている扶桑国経済は冷え込んだ。
国民の多くに元から存在していた、東側諸国への嫌悪感も大きく、政権は内外からの批判に晒され、急速に支持を失っていった。
一方、野党となった扶桑自由党は、慢心を恥じて議員の綱紀粛正に大鉈を振るった。
新たに党首となった真田弘道――現在の首相――の元、有名、無名を問わず、汚職に関わっていた党員を一掃し、半数近くの顔ぶれが入れ替わった。党員の平均年齢は十歳以上若返り、約一年という、驚異的な短期間で立て直しに成功していた。
「こんな短期間で立て直せるなら、なぜ今までやらなかったのか?」
そんな意見も聞かれたが、内情を知る支倉議員は、野党に転落したからこそ大鉈を振るえた事を理解していた。
国民は自らの過ちに気付き、扶桑自由党が再び政権に返り咲いたのは二年程前。しかしそれまでの間に、地域情勢は取り返しの付かないほど悪化し、新兵器開発は大きく停滞することとなったのだ。
「今回投入されたレールガン及びレーザー砲は、十年前より開発が進められておりましたが、四年前の政権交代後、資金が打ち切られた為に開発は停滞していました。
このため、国防省と戦闘技術研究所が、独自にエトリオ連邦との共同開発に切り替え、ようやく完成させた物です。
この判断がなければ開発は更に遅れたことは確実です。そうなると此度の大勝利はあり得ず、我が国は既にズレヴィナ共和国の属国となっていたかもしれません。
なお、開発初期の計画では、二年前に配備する事を目指しておりました。資金の打ち切りさえ無ければ、ご指摘の通り、開戦に間に合っていた可能性が高かったと、付け加えておきます」
国防大臣の発言に、当時の政権運営を担っていた平和人民党議員達の表情が強ばる。
彼らにとって、政権批判の為に投げたブーメランが、数倍の威力になって自らの額に突き刺さったのだ。滑稽と言わずして、何と言うべきか。
その後の平和人民党議員の弁解は、晴宣を含む心ある人々に、怒りの炎を焚き付ける役目しか果たさなかった。
ある者が「開発初期の計画なのだから、予定通りに進まずに、戦争に間に合わなかった
可能性もあるはずだ」と反論し、またある者は「新兵器の詳細が分かっていれば、予算打ち切りなどしなかった」と宣う。
共通しているのは、戦争を仕掛けられるとは、露ほども思っていなかったという口ぶり。
“国民目線の政治”とはよく言ったものだ。一体どれ程の国民が、何十年も先の、国の姿を真剣に考えていると言うのか? 世界の動向を見据えた判断を出来ると言うのか?
(国民の選択とは言え、先の見えない者達に、政権を預けた事は、我が国にとって最大の不幸だ)
晴宣が権謀術策渦巻く世界に足を踏み入れてから三十年余り。
広い視野を求められる立場にいると、国民は周囲の意見に左右され、刹那の感情で我が儘な理論を振り翳すだけの幼子の様に感じる事もある。
優れた施策と確信していても、思うように進められない事に苛立った事は数知れない。首まで浸かった泥の中で藻掻きながら、それでも前へ歩き続けなければならない。
政治家であった父の後を継ぎ、外交や国防に携わり、政権交代前には国防大臣も努めた。
永きに渡る平和によって役所化した軍上層部に危惧を抱き、同じ危機感を持っていた神威直也中将――当時は少将――に肩入れして派閥形成に手を貸した。
政権奪還後は、統合機動部隊の設立にも力を尽くした。ロボット兵器の運用に適正のあった末の息子を、部隊に送り込んでさえいる。
神威中将、そして彼の率いる統合機動部隊の活躍を見ると、自分の行動に間違いは無かったと、胸を張って言える。
ふと意識を戻すと、別の野党議員が発言しているところだった。
「……今や国民の三割近くが住む家を失い、慣れない土地での避難生活を強いられております。しかし、軍は未だに劣勢を覆す事が出来ず、国土の回復は見込めません。
国民の生命や生活を守るためにも、これ以上の無駄な戦闘は避け、ズレヴィナ共和国に恭順するべきでは無いでしょうか?」
議会のアチコチから、「売国奴!」「ふざけるな!!」と言った罵声が飛び交う中、晴宣は(またか……)と渋い顔をする。
開戦から先日の第二次扶桑海海戦まで、戦況が常に劣勢だった事もあり、似たような発言をする議員が多かった。野党のみならず、与党でも、である。
そのもの達は、異口同音にこう主張するのだ。
「国民の生活を守るために――」
「命が何よりも大切だから――」
「子供達の未来のために――」
「尊い平和を守るため――」
「――名誉ある降伏を」
そして「もし降伏した場合、同じ生活を送れると思うか?」と問うと、こう返ってくるのだ。
「かつての大戦では、エトリオ連邦を相手に全力で戦い、全土を焼かれて膝を屈した。しかし、かの国は援助の手を差し伸べ、我が国は見事に復興と経済成長を果たしたではないか。
だから今回の戦争でも、国土が荒らされる前に白旗を揚げてしまえば、独立を保ったまま、今までと変わらずに生活できる“筈だ”」
当時と現在の国際情勢の違いを考慮していないばかりか、自由主義国家のエトリオ連邦と一党独裁国家のズレヴィナ共和国を同一に見ているだけでも噴飯ものである。
平和に浸かりきった“お花畑”な思考であると言わざるを得ない。それでも避難民を始め、一部の国民に支持が広まりつつあり、頭痛の種であった。
その点でも、第二次扶桑海海戦の大勝は、大きな転換点となった。
議員が発言を終えると、代わって内閣総理大臣の真田弘道が壇上に上がる。開戦以降の激務でやつれた様子はあるが、瞳に強い光を宿し、足取りもしっかりしている。
真田総理は一礼の後、議場を見回す。それからおもむろに口を開いた。
「我が国がズレヴィナ共和国に屈する事はありません。
なぜなら、民主主義国家である我が国とは異なり、ズレヴィナ共和国は一党独裁国家であるからです。
かの国では、政府が全ての国民を監視し、点数を付けています。政府に従う者を優遇する反面、そうでない者は衣食住を始め、仕事、教育、医療など、生活に必要な全ての事に制限が課せられます。
我が国のように、政府を批判する事すら許されないのです!」
ここで言葉を句切る。普段は野次の絶えない議場も、かつてない真田総理の気迫に飲まれたのか、咳払い一つ聞こえないほど静まり返っている。
「また、一部の少数民族では全員が施設へと送られ、「教育」と言う名の洗脳や人体実験が行われているという、恐るべき情報もあります。
そのような国に、国土は不当に占拠され、一千万人もの同胞が捕らえられ、生命を脅かされているのです。
この扶桑国を預かる者として、このような状況は決して容認できません!
ズレヴィナ共和国に占領された国土を回復し、捕らわれた一千万人もの同胞を救う。これこそが政府の使命であり義務であります!」
議場に集う議員達だけでは無く、カメラの向こう側にいる国民を意識して語りかける。
「国民の皆さんは、この戦時下において、様々な制限の中、非常に苦しい生活を送っているものと思います。
特に家を追われた皆さんにとって、住み慣れた土地を遠く離れ、避難所で暮らす事は多くの負担と苦痛があることでしょう。私にはそれを計り知ることは出来ません。
ですが、あと一年。一年だけ耐えて頂きたい!
前線では多くの軍人が、文字通り命をかけています。連日、昼夜を問わず国土を守る為に戦っています。
政府も国民の為、出来うる限りの支援を行うことをお約束します。
国民の皆さんには、秩序だった理性ある行動を心掛けて頂くよう、切にお願いを致します!」
頭を下げる真田総理を、晴宣は驚きの表情で見守る。
ざわめきが議場を埋め尽くす。今まで明確に期限を定めた発言をしたことが無かったのだ。
(海戦での大勝利を利用して、ついにカードを切ってきたか……!)
先日までは、政府内でも「現状で休戦するべきでは無いか」と弱気な意見が多かった。「イコルニウムの採掘権を一部譲渡すれば、引いてくれるのでは無いか」との意見もあった。
しかし、第二次扶桑海海戦での完封勝利は、国内の空気を一変させた。停滞し、深く溜まった澱を一気に押し流す清流の様に。遠くない未来、戦況が大きく変わることを期待させるには十分すぎる衝撃を与えた。
だからこそ、戦果を盾に、扶桑軍の最高司令官である真田総理は、全国民のみならず世界が注目するこの場で、「あと一年」と期限を定めて勝利を宣言したのだ。
(だが、二ヶ月後の反攻作戦が失敗すれば、全てが瓦解する。非常に危うい事に、変わりない……)
今や盟友とも言える、神威中将から提示された反攻作戦。軍機により詳細は伝えられていないものの、軍の総力を挙げた作戦と聞いている。
切り札となるのは、≪タロス≫を主軸とするロボット兵器と、パワードスーツ≪アトラス≫。そして現在改装中の“元”空母≪ずいかく≫。
「成功すれば、ズレヴィナ軍を押し返せます」
不敵な笑みを浮かべる、神威中将が印象的だった。
軍を信じ、政府と国内を安定させる事が、扶桑国の国会議員である支倉晴宣の仕事であった。




