表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
扶桑国戦記 (改訂版)  作者: 長幸 翠
第三章 反攻作戦前
49/99

侵攻軍総司令部の苦悩

 ズレヴィナ共和国南部の大都市フィリシンスク。この都市に扶桑国侵攻軍の司令部はあった。


 都市の南には、幅三キロメートルの大河が東西に横たわる。南方からの侵攻を阻む天然の要害であると共に、百キロメートル先の海と繋がる重要な水路としても機能してきた。


 気候は温帯と熱帯の中間程度。冬でも十℃を下回ることは少ない。四月中旬のこの時期、市内は様々な花々が咲き乱れている。街頭を歩く人々の足取りは軽い。


 しかし侵攻軍司令部に勤める者達にとっては、気の滅入る日々を過ごしていた。


 というのも、ズレヴィナ海軍の擁する主要三大艦隊の一つ、東海艦隊が、扶桑軍との戦闘で完膚なきまでに叩き潰された為だ。


 敵の三倍以上の艦艇、倍以上の航空機を投入し、必勝の布陣と戦術を取ったにも関わらず、である。


 新兵器がある事までは分かっていた。しかし種類と性能が不明のまま戦闘に突入した事が勝敗を決めた。


 戦闘は“悲惨”という意外に表現できない内容だった。


 たった七隻の敵艦隊に向け、航空機及び艦艇から三百五十発あまりの対艦ミサイルを発射した。しかしただの一発も敵艦に届く事無く、全て叩き落とされたのだった。


 続く敵艦隊からのレールガンによる砲撃、そして針路上に待ち構えていた潜水艦隊により、東海艦隊は甚大な損害を被った。


 水上艦艇二十二隻全てが被弾し、撃沈が六隻、大破が六隻、残りは中破または小破。出撃した基準排水量五千トン超の艦艇のうち、出撃した巡洋艦一隻と駆逐艦四隻は撃沈の憂き目に遭った。唯一残った空母は、レーダーやアンテナ、飛行甲板に深刻な損傷を受けて使い物にならない。しかも右舷には魚雷による大穴が空いており、這う這うの体で帰還していた。


 最後の攻撃に差し向けた、潜水艦十二隻全ての消息も途絶えており、撃沈または拿捕された可能性が高かった。


 東海艦隊は事実上壊滅。小破の艦を除き、多くが修理に半年以上かかる見込みだ。一部は、修理を諦めて解体処分が決定している。


 また、出撃した戦闘機と攻撃機は、二百二十二機のうち百機近く――約四割を失った。


 東海艦隊からの支援要請を受け、国内に百発しか存在しない虎の子の地対艦弾道ミサイル≪アレクサンドル≫を三十発発射したが、ミサイル、レールガン、レーザー砲により全て阻まれた。対艦ミサイルのみならず、迎撃が困難なはずの弾道ミサイルでさえ、敵の防空網を突破し得なかった。


 対して敵に与えた損害は、有人機が十機程度とドローンが十五機程度。パイロットはほとんどが救出されたと見られ、人的被害はほぼ皆無と考えられている。そして主目標の七隻の水上艦には、かすり傷一つ与えられなかった事が判明している。


 この結果は。軍上層部のみならず、政府にも計り知れない衝撃と動揺を与えた。


 半月後に予定していた第二次上陸作戦は、党の指示により速やかに中止となった。輸送船団を護衛する予定の東海艦隊が壊滅したうえ、もし作戦を強行しても上陸までに膨大な損害が出ることが確実であった為だ。


 しかしこれで、黒崎島攻略の目処が立たなくなった事は事実であった。



 第二次扶桑海海戦の結果について、扶桑国政府はマスメディアやネットを使い、海戦にほぼ無傷で大勝利した事を喧伝。出撃した艦隊や新兵器の情報を一般公開している。


 対してズレヴィナ共和国及びその支配地域では、国民がそのような情報に触れる機会は無かった。国家がマスメディアの放送内容を検閲しており、さらにネットも、扶桑国を始めとする西側諸国から隔離しているためだ。


 ズレヴィナ共和国政府は、あまりにも一方的な戦闘に、反政府活動が起きる事を警戒し戦闘結果の改ざんを行った。戦闘があったこと自体無くすことは出来ないため、その次善策をとったのだ。


 具体的には、「我が海軍は大打撃を受けた。だが敵艦隊にも相応の損害を与えた」と、“痛み分け”を強調する公式発表と情報統制を行った。出撃した艦隊の乗員達は全て隔離され、あらゆる手法を使って政府の公式発表を信じ込ませてから解放した。


 だが国内では、開戦以来“民主化”なる危険思想を持つ組織が暗躍し、不正に入手した外国からの情報をネット上に公開するという“重大な犯罪”が度々発生していた。


 今回の海戦の結果も掲載された。公式発表との食い違いを指摘し、情報の隠蔽と改ざんを声高に叫ぶ記事も出回った。


 勿論そのような情報が公開されても、数時間以内に削除され、公開した犯罪者の多くは検挙されていった。


 また、その情報を“誤って”見てしまった一般市民は、公安警察によって指導が行われ、ズレヴィナ共和国国民の優劣を表す指標である“信用スコア”の減点が為された。


 本当の結果を知るものは、政府と軍のごく一部に限られている。


 東海艦隊司令官のティモフェイ・ドミトリエフ海軍中将と幕僚達は、母港のワルテレスグラードに戻ってくるなり政府により拘束。首都ゼイドラガルへと送られた。後任の司令官は決まっていない。


 海戦の大敗北から五日、司令部は侵攻計画の大幅な見直しを余儀なくされ、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている。



 会議室にはマクシム・アレクセーエフ元帥を始めとする司令部の幕僚達、そして数名の将官と佐官が集まっていた。


 現在、黒崎島の戦況は膠着している。扶桑軍は境界付近に部隊を集結し、強固な防衛線を構築しているためだ。


 黒崎島は東西は狭く南北に長い。しかも島の中央部は山が多いため、大部隊が進むには東西の海岸沿いを進むしか無い。“守りやすくて攻めにくい”を地で行く島である。


 この状況を打開するため、敵防衛線の背後に部隊を上陸させるべく第二次上陸作戦を計画していた。だが、先の海戦での大敗により頓挫した。


 残る方法は必然的に、陸上部隊を北上させ、敵の防衛線に真正面からぶつかり、数で押し潰すより他はない。幕僚達が立てた侵攻作戦も、詰まるところはコレである。


 扶桑軍が頑強に抵抗した場合、たとえ勝利出来たとしても、多大な損害が出ると見積もられている。


 新たな侵攻計画案の説明が済み、静まり返った室内。


「率直に申し上げると……。無謀、ですな」


 口火を切ったのは、南海艦隊司令官のアルトゥール・ミハイロフ中将だ。思慮深く、洞察力も兼ね備えており、痩身の外見から、学者や研究者のような印象が強い。


 南海艦隊の母港は、フィリシンスクから川を下った海岸沿いにある都市、ホルシェクにある。距離的に近いことと、次の作戦では出撃となる事もあり、今回の会議に出席している。


「この作戦で進めるにしても、敵の防空能力を削げる否かかによって、突破の成否と陸上部隊の損害が変わる。博打の要素が大きすぎるように感じるが、本当に大丈夫なのか?」


 セルゲイ・クルグリーコフ陸軍大将が問いかける。


 クルグリーコフ大将は、ズレヴィナ共和国の軍管区の一つ、南部軍管区の司令官だ。侵攻には直接関わらないが、司令部はこのフィリシンスクにある事、そして旗下の複数の旅団が海を渡っている為に顔を見せている。


 ミハイロフ中将とは対照的な外見で、会議に参加している誰よりも体格が良い。百九十センチを越える長身と鍛え抜かれた肉体は、北方に住まうグリズリーを連想させる。


「はい。敵防空システムのネットワークへの侵入は成功しており、セキュリティ突破の目処はついています」


 サイバー軍の少将は自信たっぷりに答える。


 扶桑国との開戦以来、侵攻の妨げとなっている最大の要因は、防空システム≪避来矢≫である。扶桑国内にある三基の超高性能レーダー施設には大型コンピュータが設置され、国内のレーダー施設や偵察衛星、偵察機からの情報を集約し警報発令や迎撃を行う。


 超高性能レーダー施設にはそれぞれ名前が与えられ、要島にある虚空蔵こくうぞう、黒崎島の北側にある文殊もんじゅ、黒崎島南側の普賢ふげんとなっている。防空システムは二基の施設が破壊されても機能するように三重化の処置が取られている。


 現時点で普賢は、ズレヴィナ共和国の支配地域にあり機能を停止している。扶桑軍は機密保持のため、施設を放棄する際に機密情報の削除と施設の破壊をしており、ズレヴィナ軍の防空システムとして使用出来ない。ところがサイバー軍は、普賢や他のレーダー施設から≪避来矢≫ネットワークへの侵入に成功していた。


 ミサイルや航空機を使って外から防空システムを破壊出来ないのであれば、サイバー攻撃で内から無力化すれば良いというのがサイバー軍の主張だ。


 このことから、次の侵攻作戦では、≪避来矢≫ネットワークにサイバー攻撃を仕掛けて無力化し、その隙にミサイルや航空機で敵陣地を攻撃して弱体化させ、地上部隊を突破させるという流れで説明が為された。


 懸念となるのは、多くの将官にとって理解が及びにくいサイバー攻撃だ。専門家が「問題無い」と言っても、失敗して命を失うのは陸空軍の将兵であり、慎重にならざるを得ない。


 その後も、作戦を不安視する発言が相次ぐ。会議に参加しているほとんどの者達は、サイバー攻撃が成功しても損害が大きくなるこの作戦に批判的だ。


 そのような中、一人だけ考えの違う者がいた。


「党が戦争継続を決定したのです。軍はその命に忠実に従い、確実に勝利しなければなりません。

 海戦では、党の期待に応える事は出来ませんでした。しかし兵力差は圧倒的です。陸海空軍全てを以て、圧倒的な物量で押し潰すべきでしょう」


 と言い放ったのは、侵攻軍総司令部付きの政治将校、マトヴェイ・シュイコフ大佐だ。


 オールバックにした明るい茶色の髪、そして強い自信を覗かせる碧眼を持つ、端整な顔立ちの男性だ。均整の取れた体格で、日頃から鍛錬を怠っていない事が窺える。


 すぐ後ろには、二人いる彼の専属秘書のうちの一人が控えている。目鼻立ちの整った、二十代前半の美女だ。見た目は、テレビで見かける女優やモデルと同等。いや、その多くよりも優れているだろう。


 シュイコフ大佐の仕事のみならず、夜の相手もしていると、もっぱらの噂である。だがそんな下世話な事など、マクシムの知った事では無い。


「どれ程の損害が出るか、分かっているのか?」

「異な事を仰いますな。党の命令に従う事は、我が軍……。いえ、我が国民の義務であります。

 党の為に命を投げ出す事。それは最も尊く、賞賛するべき行為です!」


 両手を広げ、陶酔した声で大仰に語る。自らの考えが正しいと、信じて疑っていない風体だ。


(党の犬め!)


 怒りで目元をピクピクさせるマクシム。罵声が喉まで上がってきたが、何とか飲み込んだ。この大馬鹿者が来てから、何度も同じような場面を経験しているせいで、少し耐性がついていた。


 他の者達も、シュイコフ大佐の意見に不快感を表している。渋面を浮かべる者。机に肘をつき、額を押さえて俯く者。憎悪の視線を向ける者。


 しかし誰一人として、声を上げる者はいない。今までシュイコフ大佐に痛烈な批判を浴びせた者達は、ことごとく本国に送還された。そのうち数人は、家族もろとも消息を絶っていた。


 政治士官は、将官すら罷免する権利を党から与えられている。下手に批判すると、本人のみならず家族や親戚さえも危険に晒す事になる。それがシュイコフ大佐の暴走を止められない理由であった。


 場の空気を険悪なものに変えた当の本人は、全く気付いた様子が無い。自分の言葉に酔っている。


 この状況がいつまで続くかと思われたが、シュイコフ大佐の背後に座っていた美人秘書が動き、真面目な顔で大佐に何かを吹き込む。もし秘書が妖艶な笑みを浮かべていれば、愛を囁いている様にも見えるだろう。


 スッとシュイコフ大佐の表情が引き締まり、ゆっくりと席を立つ。


「私はこれより、本部との会議がありますので、失礼いたします」


 無言で見守る一同を尻目に、シュイコフ大佐は美人秘書を従え退出していく。ゴトン、と重厚な扉が閉まると、複数の出席者から息をつく音が漏れる。


「奴がいると、余計に疲れる」


 セルゲイは嘆息混じりに呟き、屈強な体を器用に竦ませた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ