閑話 送別会2
宴会が終わり、集団は解散となった。二次会に行きたい者達が仲間を集めて次の店へと向かい、帰宅する者達は各自の家へと散っていく。
二次会に参加しない直也は彩華は、共にタクシーで自宅に帰る事にした。後部座席に乗り込むと、静かにタクシーが走り出す。
「双葉さんと、何を話したんだ?」
隣に座る彩華に、まず気になっていた事を質問する。
「ガールズトーク、ですよ」
「…………ガールズトーク?」
「はい」
遠目にはそんな生易しいものには見えなかった。彩華達から開放され謝罪に訪れた双葉は、自らの醜態に恥ずかしさを抑えきれなかった様子で、真っ赤な顔で土下座をしていた。頭を下げる度に“ボスッ、ボスッ”と額を畳に打ち付けていたのが印象的だった。
「……そうか。仲良くな」
「もちろんです」
微笑を向けてくる彩華に、それ以上の追求を諦めた。直也が一息つくと、今度は彩華が身を乗り出してくる。
「ところで兄様?」
「……ん?」
「やはり、大きい方が、好みですか?」
何が、とは語るまい。それは、彩華が中学生の頃から、幾度となく繰り返してきた質問だったから。
しかし今回は、一番気迫がこもっていた。ジッと、心の奥を見通すかのように真剣な視線を向けてくる。
彩華を含むオペレーターの女性陣五人はスレンダーな体型をしており、体脂肪率は低めである。おそらく普段から体を鍛えてカロリーを消費していることが要因の一つだろう。
上半身もしっかり鍛えているため、お子様体型のエイミーを除く四人は、一般的な女性よりも肩幅が広い。そのため、数値上の胸囲は“それなりに”あるものの、肩幅で稼いでいるとも言える。
特に彩華は、四人の中でも胸に付く脂肪が非常に少なかった。気取った表現をするならば“慎ましやか”であり、彩華のコンプレックスでもある。
オペレーター五人と双葉の胸の大きさをざっくり比較すると、次の通りだ。
双葉>(越えられない壁)>久子>三奈>あけみ>彩華>>エイミー。
「……前から言っているけど、大きいとか小さいとかは気にしない」
感触の違いに衝撃を受けたことは確かだ。しかし好き嫌いは別の問題である。そんな義兄の顔を、彩華は数秒間見つめてから、スッと安堵の笑みを見せた。
「……そうですか」
生まれてこの方、直也はほとんど恋愛に興味を示さず、彼女がいたことも無い。小学生の頃は好きな相手はいたが、中学生になり“あの夢”を見てからは軍人になる事を目標としていた為だ。
それでも、理想の女性像は存在する。幾つか挙げると、
「健康である事」
「ある程度体力があること」
「運動能力、学力が一定以上ある事」
「家事全般が一通り出来ること」
「性格が比較的穏やかであること」
など。容姿ではなくて能力や性格に偏重している所が、直也らしい。
ちなみに、この条件を漏れ聞いた龍一や義晴が、「メイドでも雇うのか?」と真顔で聞いたとか聞かなかったとか。
もちろん直也に想いを寄せる何人かもこの事を知っており、表でも裏でも努力を重ねていた。それこそ、幼馴染みの彩華やエイミーは子供の頃から精進しているし、士官学校に入るまで数えるほどしか包丁を握ったことのないあけみも、料理の勉強をしている。
しかし彩華は、直也の考える条件に“巨乳であること”が追加される事を、絶対に避けねばならなかった。血の滲むような努力を積み重ねても、胸の大きさだけはどうにも出来なかったのだから。だが直也の答えと様子から、心がわりがないことを知ってひとまず安堵する。
彩華はこの他に、義兄との長い付き合いから「外見上は、胸より太ももの方に拘りがありそう」と気付いていたが、ライバル達には明かしていない。
そんな義妹の様子を見ながら、(彩の機嫌が直って良かった)と胸をなで下ろす直也であった。
翌日、双葉は宴席での自らの行動を思い返し、ベッドの上で身悶えていた。
(ああっ! どうして直也君にあんな事を……!!)
恋愛経験は元より、ただの一度も異性に興味を持った事は無かった。
父と兄の影響で四歳からプログラムや機械に興味を持つと、すぐに才能を開花させた。特にプログラミングの能力は目覚ましかった。中学生になり、父の研究所で父や兄(既に研究所でバイトをしていた)が開発した機械の、制御プログラムを作る事もあった。
その数年後、≪玉座≫と呼ばれるインターフェースシステムの開発を経て、≪タロス≫に関わるようになった。直也には、その頃出会った。
≪玉座≫の開発と双葉の加入が、≪タロス≫開発プロジェクトに極めて重要な影響をもたらした。
当時、自律思考型AIの開発は難航していた。自律移動は出来ても、戦闘は射程内の敵を場当たり的に攻撃するだけというお粗末な物。実質的にオペレーターによる遠隔操作が必須だった。
≪玉座≫は、コンピューターと人間のインターフェースを司る。従来のキーボードやマウス、ディスプレイを使用したインターフェースとは異なり、コンピューターと人の脳を直接繋ぐ為の機器だ。これによって従来の数倍の速度(個人差あり)で、コンピューターを操作可能となる。
プログラムの天才である双葉が≪玉座≫を使用すれば、まさに鬼に金棒だった。自律戦闘能力は劇的に向上し、学習を繰り返すことで更に性能は向上していった。≪タロス≫は一気に実用へと近付いた。
≪タロス≫のテストオペレーターの一人であった直也は、ここで極めて優れた適性を現し、双葉の目に留まった。開発側と運用側の観点から様々な議論を行い、≪タロス≫の開発は進んでいった。
互いに学校を卒業して就職。少しの期間をおいて、共に研究所で≪タロス≫の開発に邁進する日々。双葉は少しずつ直也に惹かれていった。しかし恋愛を知らない双葉は、高まる鼓動と上気する顔の理由を知らず、戸惑うばかり。
妹の三奈に相談すると、溜め息交じりに「多分お姉ちゃんは、直也さんのことが好きなんだよ」と言われて更に混乱した。
「えっ? 三奈ちゃんの事は大好きだけど、ドキドキしたりしないよ??」
「……それは僕が女で、直也さんが男だから。直也さんに恋愛感情――、恋をしたってことだと思うよ」
「こっ、こここ、ここここ……。恋ぃっ!?」
まるで鶏のような声を上げる双葉。言葉の意味が脳に浸透してくると、驚きと共に、胸に閊えていた物が、ストンと落ちたように感じた。
分かったからと言って、普通に接することなど出来はしない。そればかりか、余計に意識してしまう。必要最低限の言葉を交わすと、火照った顔を見せないように、そそくさと立ち去ることしか出来なかった。
そこにきて、昨日の醜態である。
(ヤバい! 恥ずかしい! 消えたい! 無かった事にしたいっ!!)
火照る顔の上にぽふんと枕を乗せ、さらに身をよじる。
浴びるほどに酒を飲んで忘れようかと考えたが、事実は消えない。
ならば兄にタイムマシーンを作ってもらおうかと、益体の無い事を本気で考える。
ベッドの上を、右に左に転がりながら現実逃避していると、ドアが開いて三奈が顔を出す。
「お姉ちゃん、だいじょ…………。何してるの?」
「ひゃっ!? ちゃんとノックしてよっ!」
「……ノックしたよ。でも返事無いし、『あー』とか『うー』とか唸り声が聞こえたから、心配になって開けたんだよ」
双葉の非難を受け流し、半眼で答える三奈。二日酔いで苦しんでいるかと心配すれば、ベッドの上で元気に転がっているのだ。(心配して損した)と思って当然である。
「三奈ちゃーん。どうしよー……」
「昨日、お姉ちゃんが酔った勢いで、直也さんに絡んだ件?」
双葉はベッドの上に寝転がったまま、抱きしめていた枕をずらして目だけを出し、コクコクと頷く。
「直也さんなら昨日許してくれたでしょ」
「うー。そうだけれど……。直也くんに私が好きってことバレていないかな……?」
直也への想いが、本人にバレる事が怖かった。バレて拒絶されることが、とても怖かったのだ。何せ直也の近くには、あけみ、彩華、エイミーという美女、美少女がいて、自分などは目の端にも引っかからないだろうと考えていたのだから。
だから秘めた想いを抱きつつ、今までのように仕事で話をする関係でも十分と、割り切っていたつもりだった。それなのに……。
「あーー! わぁーたぁーしぃーのぉーばぁーかぁー……」
再び、「あー」とか「うー」とか唸り声を上げ、ベッドの上で転がり始める。
三奈が、そんな情けない姉の姿を、生暖かな眼差しで見つめていると、双葉は勢い余ってベッドから転がり落ちた。「ぐえっ!」とカエルが潰れたような声を上げ、動かなくなる。
「直也さんは、そういう所は鈍いから、気付いていない筈だよ」
「ほんとっ!?」
その言葉に、双葉はガバリと上体を起こして、期待の眼差しを妹へと向ける。身代わりの早さに、三奈は内心で若干引きつつ頷く。
「うん……。あけみさん達が、そう言っていたのを聞いたことあるから……」
普段の様子から、三奈の感覚的にではあるが、その噂は正しいと感じていた。理由は、あけみが直也に特別な感情を持っている事に、直也が気付いていないからだ。
直也は男女の分け隔てなく、自分たちに接している。あけみ、久子、三奈、それに亮輔と義晴とは、友人や仲間としての程よい距離感を保っている様に感じている。
幼馴染み枠の彩華、エイミー、レックス、それに過去に同じ部隊にいた龍一との距離はさらに近いが、差別している訳では無い。
三奈ですら、直也に惹かれる所もあるのだ。彩華達と戦って勝てる見込みはないので、線は引いているが。
そもそも、直也は特定の女性と付き合うつもりは無いという。理由は明かしていないが、女遊びするためでは無い事は分かっている。
もし直也が女たらしであれば、どれ程の女性を泣かせていたかと、空恐ろしくもある。
「良かったぁ!」
脱力した双葉が、ベッドに寄りかかって天井を見上げた。大きな胸が存在を主張するように揺れる。
三奈は、へにょんとしている姉を見下ろして釘を刺す。
「前から言っているけど、直也さんは家事が得意な人が好きだから、今のお姉ちゃんだと相手にされないからね」
「…………」
双葉はばつが悪そうに、サッと視線を逸らす。
仕事では天才と持て囃される姉であるが、私生活は本当にダメダメであった。料理が出来ないのは仕方がないとして、掃除や洗濯すらまともにしない。やれば出来るのであるが、面倒臭いと後回しにしているうちに、手が付けられないほど酷いことになるのだ。
リビングのソファには、脱ぎ散らされたコートや服、下着が層をなし、テーブルはインスタントやレトルト食品の容器が積み重ねられ、流し台は洗っていない食器で埋め尽くされる事になる。というか、なっていた。
研究所に配属となり、姉と同居する為にこの家に来た時に見た。余りの惨状に、リビングの入り口で膝を折って呆然としたくらいだ。
今は同居する三奈が全て片付けているが、あと数日でいなくなる。そうなるとこの家が、どれ程の汚部屋に成り果てるかと、気が気ではない。
家政婦を雇うべきではと、兄や姉に訴えているものの、実現はしていない。身だしなみの世話も必要だから、いっそのことホームヘルパーの方が良いかもしれないと、本気で考えてもいる。
「次に帰ってきた時、家の中がまた酷いことになっていたら……。
直也さんに写真を見せるからね」
三奈が黒い笑顔を浮かべ、携帯で撮影した“惨状”の写真を突きつけると、双葉は顔を蒼白にして「ヒッ!!」と喉を鳴らした。
「そ……、それだけは勘弁して……」
「じゃあ、しっかりと掃除してね」
三奈がパンと手を打ち鳴らすと、双葉はから付けをするべくテキパキと着替えを始める。
しかし双葉の心の内では、自分がまた同じ過ちを繰り返すと確信している。改善出来るなら、既にやっているはずなのだ。だからより現実的な策を考える。
(私のために、家事をするロボットを作らなきゃ……)
自分の行動改善よりも新たなロボットを作った方が現実的と、斜め上の解決策を検討するあたりが、双葉の天才(?)たる所以かもしれない。




