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扶桑国戦記 (改訂版)  作者: 長幸 翠
第二章 第二次扶桑海海戦
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健太朗の懸念

 帰還後のデブリーフィングを終えた伊吹健太朗中尉は、数人の仲間と共に隊舎へ戻る途中だった。ポケットの中で携帯電話が震え、着信音が響くと、足を止めて電光石火の動きで携帯電話を取り出した。


 着信音で、“大切な人”からの電話と分かったからだ。


 心底嬉しそうな健太朗の様子に、付き合いの長い仲間達は苦笑いを浮かべ、そうでない者は不思議そうな顔で視線を送る。


 健太朗は周囲の注目も一切気にせず、咳払いを一つすると、満面の笑みでビデオ通話ボタンを押す。


「もしもーし、久子か?」


 猫撫で声で電話に語りかける。


 普段の生真面目な性格からは全く予想できない健太朗の様子に、周囲は揃って鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「あいつ、彼女いたのか?」


 矢野倉大尉は、健太朗の表情とは裏腹に、仏頂面で近くにいた後輩に小声で問う。それもそのはず、矢野倉大尉は現在、彼女“大”募集中であった。人生で数人の女性と付き合った経験はあるが、どれも長続きした試しが無かった。最短記録は三日で、初デートの途中で振られていた。


 細身ながらガッシリした体型と日に焼けた精悍な顔つきで、女性受けは悪くない。しかし付き合った女性からは、「圧が強くて疲れる」とか「ピリピリした雰囲気で怖い」と言われ続けていた。


 矢野倉大尉によると、意中の女性といる時は「雷雨の中、航法装置が壊れた状態で飛んでいる気分」と言う程に緊張している事が原因ではあるが、どうにも改善の見込みは薄そうだ。


 だから周囲に彼女が出来ると、羨ましくて仕方がないのだ。


「あれは彼女じゃなくて……、妹っす」


 問いかけられた後輩は、矢野倉大尉からの圧に冷や汗を流し、怯えた表情で答える。


「は? 嘘だろ? 妹相手にあんな顔する奴、初めて見たぞ?」

「俺にそんな事言われても……。健太朗は、五歳離れた妹だって言っていました」

「ウチの部隊の、陸上部隊にいるそうっすよ」

「あ、俺は本物見たことありますよ。“姉御”似でメッチャ美人っす」


 矢野倉大尉達の話を聞いていた他のパイロット達が会話に加わる。姉御とは、健太朗の母親である伊吹飛鳥少佐のあだ名だ。


「マジか……。確かに健太朗の母親――少佐は美人だが、気の強い感じだよな」


 同じ統合機動部隊にいる、健太朗の母親の顔を思い浮かべる。今は≪E-5≫早期警戒管制機のパイロットだ。飛行機乗り同士でもあり、面識はあった。


 栗色のウェーブのかかった髪とキリッとした吊り目が印象的な女性で、まさに“姉御”と呼びたくなる雰囲気を持つ。年齢は五十台に入っているのに、二十代後半にしか見えない。初めて見た時は、二人の成人した子供を持つ母親と聞いて、本気で耳を疑ったものだ。


「それが、姉御とは違って、優しい感じの美人なんですよ!」


 その言葉に、大いに気になった矢野倉大尉他数名が、だらしなく頬を緩ませている健太朗にひっそりと近づき、その肩越しに携帯電話の画面を覗き込む。ビデオ通話のため、相手の顔が見えると考えての行動だ。そして期待通りに、相手の顔を見られた。


 矢野倉大尉と他数名が、雷に打たれたかのように動きを止めて画面に見入る。ウェーブのかかった栗色の髪は、母親の伊吹少佐譲りだ。しかし、たれ目と下がり気味の眉が穏やかな表情を形作り、ピンク色の艶やかな唇は愛らしさを引き立てている。


『兄さん。部隊の皆さんに、迷惑かけないようにしてくださいね』


 電話のスピーカーから、鈴の音のような声が聞こえる。


(女神は、本当にいたんだ……!!!)


 初めて久子を見た矢野倉大尉達の、心の声だった。



 一方久子は、カメラ越しの兄の後ろに、複数の男性の顔が見える事に気付き、笑顔と共に声をかける。


「ワイバーン飛行隊の皆さんですね? 私は妹の久子です。いつも兄がお世話になっています」


 カメラの向こうでは、兄の後ろにいた男性達が慌てて顔を引き締め、『こちらこそお世話になっております!』と示し合わせたようにビシッと敬礼をしてくる。


 戦闘から帰還したばかりとは、微塵も感じさせない表情の数々。少々、顔が赤く目が血走っているようにも見えるが。


 画面の向こうでは、仲間達の様子に兄が後ろを向いて『見るな!』とか『あっち行け!』と怒鳴っている。そのせいで映像が引っ切りなしにブレていて酔いそうだ。兄の無事も確認できたので、久子は電話を切る事にした。


「兄さん、もう切りますね」

『あっ! 待っ……』


 兄が引き留めるのも構わず、久子は電話を切る。男性達の映像と、割れんばかりの喧噪が消え、部屋に静寂が戻る。


 今は隊舎の自室だ。同室のエイミーと二人きり。今日は二人とも偵察の当番から外れているため、午前中に自主訓練を終えると、午後は自室で寛いでいた。


「ひーちゃんのアニキ、相変わらずウザいなあ」


 ベッドにうつ伏せで寝転がり雑誌を読んでいたエイミーが顔を上げる。大きめのTシャツとハーフパンツ姿だ。ちなみにTシャツには『小っちゃいけれど、力持ち』と書いてある。


 歯に衣着せぬ感想に、思わず久子が「ふふっ、そうね」と笑みをこぼした。こちらもTシャツとジャージのズボンの部屋着だ。Tシャツはエイミーのチョイスで、胸元には毛筆体で『連山』と書いてある。


 第二次扶桑海海戦と呼称される戦闘は既に終了し、大勝利だった事が由良基地にも伝えられていた。


 ワイバーン飛行隊はここから二百キロメートル程離れた基地を拠点としているため、電話で兄の無事を確認したのだ。


 久子は健太朗を嫌っているわけではない。血の繋がった兄として信頼をしている。ただ、度を超した干渉が嫌なのである。近くにいると監視が厳しく、離れていると電話が日に何度もかかってくる。だから同じ基地にいる時は、兄が近寄らないようにエリアを分けてもらい、電話は着信拒否にせざるを得ない。


 一般的には、“ストーカー”と呼ぶべきかもしれないが。


 以前は、健太朗がここまで久子に構う事は無かった。切っ掛けは子供の頃、久子が誘拐未遂事件に遭った為だ。犯人はすぐに逮捕され大事には至らなかった。しかし健太朗の心に深い悔恨を残し、久子が成人した今に至るまで続いている。いくら抗議してもダメなので、今は物理的に会えないようにしているくらいだ。



 通話が切られた携帯電話を見つめていた健太朗だが、ガックリと肩を落とした後、ポケットに戻した。こちらから電話しても繋がらない事を知っているからだ。


 ギャーギャーと騒ぎ立てる仲間達のせいで、至福の時間が打ち切られてしまった。沸々と怒りが湧いてくる。暴れ狂いたい気持ちもあるが、僅かに残った理性で押し留める。


「健太朗。妹さんを紹介してくれ!」


 そんな健太朗の気持ちなど気にかけず、仲間達が揃って頭を下げる。その中には矢野倉大尉の姿もあった。


「絶対に嫌です!!」


 目を三角にした健太朗はぴしゃりと言い放つと、肩を怒らせ一人でスタスタと隊舎に戻っていく。


 貴重な時間を台無しにされた上に、妹を狙う不届きな輩が増えた事への苛立ち。戦場では信頼できる仲間達も、今は久子を狙う肉食獣の群れと大差ない。


(俺が、久子を、守らなければ……!!)


 その後ろを、「けぇーんーたぁーろぉー、たぁーのぉーむぅー」と声をハモらせた男達が、獲物を見つけたゾンビの如く後を追うのだった。


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