ナディム空軍基地
翌日未明、ズレヴィナ共和国ナディム基地では出撃準備が進められていた。東の空は未だ暗く、基地の各所では煌々と照らされた照明の中、作業員が忙しなく動き回っている。
イサーク・パストゥホフ航空宇宙軍中尉は、相棒のミハイル・カリャキン航空宇宙軍少尉と共に愛機に向かっていた。パイロットスーツに身を包み、片手はヘルメットを抱えている。
講堂では先程まで、基地所属のパイロットの他、第二次上陸作戦のため他の基地から来ていたパイロットも全て集められてブリーフィングが行われていた。
標的となる敵艦は七隻。先の海戦で二十隻以上の艦隊と対峙したナディム基地空隊にとって、“たった七隻”であり、そのために合計七十機もの攻撃機を投入すると聞いたときは、揃って耳を疑った。
「単純計算で百四十発の対艦ミサイルを撃ち込むって、総司令部は随分賑やかな作戦立てたものですね」
ミハイルが、呆れた調子で隣を歩くイサークに話しかける。
「違うな。艦船から発射する分も入れると、四百発以上だ」
イサークは落ち着いた調子で訂正すると、ミハイルは口笛を吹きながら肩を竦める。
ミハイルの言った発射数は航空機からの分で、艦船から発射する数も含めると二倍以上になる事は間違いない。
ただしそれは、全てのミサイルが発射された場合であり、当然、発射前に攻撃機が撃墜される事も考える必要がある。
ブリーフィングでは、敵艦は新型の主砲を搭載しているという話だ。攻撃機は主砲の射程外となる二百~三百五十キロメートル離れた位置から空対艦ミサイルを発射する予定のため、全く脅威とはならない。
それよりも問題は、迎撃に上がってくる敵の航空機だ。前海戦で初めて出てきた敵ドローンは、敵航空機の数的不利を埋める有効な手段だ。一機あたり四発の中距離空対空ミサイルを搭載し、ステルス能力さえ持っている。
我が国にもドローンはあるが、主に偵察や地上攻撃用で、対空戦闘用の物は存在していない。
護衛の戦闘機は十分にいるが、敵はドローンで水増しした迎撃機がいるため、完全に防ぎきることは出来ず、攻撃隊にもある程度の損害は出るだろう。それが自分でない事を願いたい。
先の海戦では、ナディム基地から出撃した航空機のうち四機が未帰還となった。その後、二機の乗員は救助されたが、残りは戦闘中行方不明となっている。
戦闘中行方不明となった戦闘攻撃機の一機は同じ隊で、イサーク機のすぐ近くで撃墜されていた。仲間を失った悲しみは少なからずあったが、自分で無くて良かったという気持ちも同じ程度あった。
(あの時、ほんの少し動きが違っていれば、落とされていたのは自分だったのかもしれない)
海戦直後は、当時のことを振り返る度に背中に冷たい汗が流れたが、今はなるようにしかならないと達観できるようになった。そして、今までよりも慎重に行動するようにもなったし、銃後の妻や子供達と過ごす時間を大切にするようにもなった。お陰で、妻が三人目の子供を身籠もったが。
「俺たちのやるべき事は、今回も敵艦隊を射程に入れたらミサイルを撃って、基地に帰るだけだ」
愛機の元にたどり着くと、出迎えた整備員にヘルメットを手渡し、イサークとミハイルは愛機の≪Ab-34≫戦闘爆撃機を点検していく。対地、対艦攻撃用の機体で、通常の戦闘機よりも一周り以上大きな機体は、最大八トンもの兵装を搭載可能だ。搭載する兵装は、新型の超音速空対艦ミサイル≪アガート-B≫二発、それに自衛用の短距離空対空ミサイル二発。
≪アガート-B≫は重量級のミサイルで、射程三百五十キロメートル、飛翔速度はマッハ2.5を誇る。最新型の超音速艦対艦ミサイル≪アガート≫の空中発射型で、今回の作戦で使用される空対艦ミサイルとしては破格の性能だ。命中が期待されている“本命の”ミサイルである。
点検が終わり整備員からヘルメットを受け取る。そしてタラップを登ろうとしたところで、イサークは近付く人影に気付いた。振り返ると、近くにいた整備員達が慌てて、近付いてくるパイロットスーツ姿の青年に敬礼をしている。
「これは少佐殿。私のような一パイロットにどのような御用でしょうか?」
イサークは青年に敬礼をする。隣ではミハイルが珍しく背筋を伸ばし、手本のように見事な敬礼をしている。普段は基地司令に対しても捻くれた態度を取るミハイルにしては、極めて珍しい行動だ。
「そんな事言わないでくださいよ、先輩」
苦笑を浮かべ答礼する青年。
名はレオニート・ベスパロフ航空宇宙軍少佐と言う。身長は百八十センチメートルのイサークより少し小さく、見上げる形になっている。年齢はイサークの一つ下で二十八歳。癖っ毛の栗色の髪と、青色の瞳は強い意志と生気を感じさせ、実年齢よりかなり若く見える。ズレヴィナ航空宇宙軍のエースパイロット部隊、アホートニク(狩人)飛行隊の隊長であった。
そのような特別なパイロットから“先輩”と呼ばれているイサークに、ミハイルや整備員達は目を白黒させている。
アホートニク飛行隊は、首都のゼイドラガルを拠点としている。ナディム基地へは、数日前に到着したばかりだ。しかし航空宇宙軍内では特別扱いされているため、普通の兵士が近付く事は出来ず、会う機会が無かったのである。
「訓練生の頃は先輩でしたが、今は立場が違いますから」
口調を変えないイサークに、レオニートは少し悲しそうな表情を見せる。
「そうですね……。積もる話はまた後ほど。作戦中は我々が全力で護衛しますので、ご安心ください」
踵を返したレオニートは、少し離れた所からこちらの様子を窺っていた彼の部下達と合流すると、来た道を引き返していく。
彼らを見届けてから、イサークとミハイルはタラップを登って愛機のコックピットに収まる。計器と機体の点検を行い異常が無いことを確認すると、周囲に合図する。タラップが外され、駆け足で整備員達が退避していく。
滑走路から次々と≪Ab-34≫が飛び立っていく。管制塔からの指示に従い、離陸のために並んで待っていたイサーク機に離陸許可が下りると、愛機を離陸開始位置まで移動させる。一呼吸し、「行くぞ」と相棒と愛機に声をかけると、スロットルを全開にした。
甲高いエンジン音にゴーッと力強い咆吼が加わり、三十トンを超える機体が推力を得て地を蹴り駆け出す。ガタガタと揺れる機内で、イサークとミハイルはシートに押しつけられる。
離陸可能速度に達し操縦桿を手前に引くと、愛機は重たげに空へと飛び立った。
十分に高度をとり、落ち着いた所でミハイルが話しかけてくる。
「中尉は、あのアホートニク飛行隊に知り合いがいたのですね。しかもベスパロフ少佐は隊長ですよね?」
「そうらしいな。ただ俺が、あの人より一年早く訓練生になっただけさ」
後席のミハイルに素っ気なく返す。
「まあ、エースパイロット達が全力で守ってくれるんだ。安心して飛べるのは嬉しいな」
イサークはそう言うと、編隊に合流するべく操縦桿を倒した。
「あのパイロットは何者なのですか?」
女性パイロットがレオニートに問いかける。
「イサーク・パストゥホフ中尉。僕が訓練生だった時の一年先輩で、当時調子に乗っていた僕の鼻っ柱を叩き折ってくれた人です」
「鼻っ柱を叩き折ってくれた、とは?」
嬉しそうに話すレオニートに、女性パイロット――オレーシャ・ミハイロワ少尉――が怪訝な顔で聞き返す。彼女は隊員の中でも最年少の二十四歳。銀色のショートヘアーと吊り目は活動的な性格を想像させる。南海艦隊司令官アルトゥール・ミハイロフ海軍中将の末娘だ。
他のパイロット達も、二人の会話に耳を傾けている。
「訓練生だった僕は、シミュレータや模擬戦闘では敵無しでした。教官達や、正規のパイロットにすら勝っていて、調子に乗っていたんですよ」
「隊長の“伝説”の一つですね。私が訓練生の時に、教官から聞いた事があります」
「自分も前の隊の部下から聞いた事があります。三機の教官機を相手に、隊長が一機で勝ったという話でした」
オレーシャと並んで歩いている、副隊長のルドルフ・ズィーコフ大尉が話に加わる。ズィーコフ大尉は先代の隊長で三十二歳。レオニートが入ってからは副隊長として、そしてプライベートでは兄のような存在としてレオニートを補佐している。だからこそ、その話が本当であることを知っていた。
「ああ……、僕が一番調子に乗っていた頃の話ですね。若気の至りとは言え、今考えても恥ずかしいです……」
レオニートは僅かに頬を染め苦笑する。それから当時の自分自身について語り始めた。今でこそ謙虚で真面目な印象を与えているが、訓練生の頃は酷いものだった。自分の技量に驕り、他の訓練生や整備員を見下し、教官には形ばかりの敬意を払いながら内心では鼻で笑っていた。
「そんな時に先輩が模擬戦闘を挑んできたんです。空戦で訓練生の首席だった僕に、上の下くらいだった先輩が、ですよ。何をバカな事をと思ったのですが……、完膚なきまでに叩き潰されました。十戦して一勝も出来なかったんです」
オレーシャとルドルフのみならず、一緒に話を聞いていた九人の部下達も驚きに息を飲む。ほとんどの隊員より年下のレオニートではあるが、パイロットとしての実力も、隊長としての資質も十分に認めているのだ。そんな隊長に勝てるイサークという人物に、興味を引かれるのは当然だろう。一回だけならばまぐれと考えられるが、十戦していたならば実力に違い無い。
「しかし訓練生の頃の話ですよね。今の隊長であれば、負ける事は無いはずです」
後ろを歩いていたオレーシャがレオニートの横に並び、顔を見上げる。紅い瞳には「あんなに訓練に励んでいる隊長が負ける事など無い」という期待と願望が込められていた。
アホートニク飛行隊のパイロット達は、技量を認められて集められた飛行隊だ。だからこそ自分と仲間達の腕を信じ、磨き続ける努力を惜しまない。その中でもオレーシャを含む数人は、レオニートを信奉していると言っても過言では無い。
本気で信じている顔の部下を見ながら、レオニートは内心苦笑するが、表情には出さずに語りかける。
「昨年、アウスネ王国に侵攻した際、先輩は≪Ab-25≫攻撃機で、旧式ですが敵戦闘機を四機撃墜しています」
「えっ?」
≪Ab-25≫は旧式化しつつある小型攻撃機だ。主翼の根元に双発エンジンを抱え、空荷ならそれなりの機動性はあるものの、戦闘機と渡り合うには荷が重い。レオニート達はシミュレーターや実機で複数種類の機体を経験している。その中には戦闘機だけではなく攻撃機も含まれるため、運動性の違いは体験済みだった。
北極海沿岸にある属国のアウスネ王国は、昨年の夏にズレヴィナ共和国が侵攻した最初の国だ。元々ズレヴィナ共和国を盟主とする東部連合寄りの小国であったが、エトリオ連邦を代表とした西側諸国に接近しつつあり、見せしめとして侵攻し属国化していた。
「そして今回の戦争でも、先の海戦であの≪Ab-34≫で扶桑国の主力戦闘機≪F-17≫と戦い、一機撃墜する戦果を挙げています」
「……」
この戦果には、アホートニク飛行隊の面々も押し黙るしか無い。
扶桑国の擁する有人の戦闘機およびマルチロール機は三機種ある。新型でステルス能力を持つマルチロール機の≪F-33≫が二割、戦闘機の≪F-17≫が六割、マルチロール機の≪F-2≫が二割を占める。≪F-17≫は前世代機ながらも優れた性能を持ち、さらに扶桑軍パイロットの優れた技量もあってズレヴィナ軍のほとんどの戦闘機と互角以上に戦える。そのような戦闘機を、大型でスペックの劣る戦闘攻撃機で撃墜した腕前は並大抵のものではない。
「具体的な状況は分かりませんから、全て先輩の力によるものではないかもしれません。でも、僕が気にする理由は分かってくれますよね?」
この説明には、オレーシャ達も首を縦に振る事しか出来なかった。
話をしながら愛機の元へ戻ってきた頃には、攻撃隊は離陸を完了していた。続いて護衛隊が離陸を開始しているが、レオニート達の離陸は最後となる。
アホートニク飛行隊が擁するは、最新鋭ステルス機の≪Vo-51≫。超音速巡航能力を持ち、対空、対地戦闘をこなせるマルチロール機だ。他にこの機が配備されているのは、同様のエースパイロットを集めた飛行隊一つのみ。この飛行隊はまだ結成されたばかりで習熟中のため、今回の海戦に参加していない。
夜明けまで時間はあるが、東の地平線が陽光に照らされ始めている。
片側に六機ずつが向かい合わせに並び、飛び立つ時を待っている愛機達。多くの照明に照らされて地面にたくさんの影を伸ばしている。その中を、レオニート達はゆっくり歩いて行く。
中程まで来ると、一人の士官が出迎えた。
「離陸はもう少し先ですが……、随分とゆっくりなご到着ですね?」
「すみません。久しぶりに知り合いに会ったので、挨拶をしてきました」
士官の皮肉に、和やかに笑みを浮かべてレオニートは答える。
士官の名はイシドル・グラドビッチ少佐。アホートニク飛行隊の政治将校である。オールバックで固めた髪と眼鏡の奥の細い目は、厳格で神経質そうな印象を与える。だが見た目とは裏腹に、気さくな性格であった。
「この基地のパイロットでしょうか?」
「はい。イサーク・パストゥホフ中尉、攻撃隊のパイロットです」
イシドルは「ほう……」と呟くと、細い目を更に細める。名前を脳裏に刻み込んでいるのだろう。彼を知らない者が見ると、肉食獣に狙われているように錯覚するかもしれない。
黙り込んだイシドルを一瞥してから、レオニートは背後で整列している隊員達に向き直る。全員の瞳に視線を合わせてから口を開いた。
「まずは、散歩に付き合ってくれてありがとう」
全員の顔に小さく笑みが浮かぶ。
「今回も大規模な戦いになる。攻撃隊には指一本触れさせるな。そして、いつも通り任務を全うし、全員で無事に帰ってこよう!」
「「ハッ!!」」
隊員達は一糸乱れぬ動きで敬礼をし、レオニートも答える。敬礼を終えると、隊員達は各自の愛機へと駆け足で散っていった。
「少佐、ご武運を」
「ありがとうございます。では、行ってきます」
レオニートはイシドルの敬礼に見送られ、自らも駆け足で愛機の元へと向かう。整備員達の敬礼に答え、一人にヘルメットを渡すと、愛機の点検を行っていく。整備員達が万全の状態にしている事は疑っていないが、自分の命を預ける機体だ。念には念を入れて確認する。
数分かけて確認を終えると、正面に回り愛機を見上げる。機体は背後から照明に照らされ、ほとんどシルエット姿にしか見えない。
(今日も宜しく頼む)
心の中で愛機に語りかける。出撃前に必ず行うレオニートの行動だ。ヘルメットを受け取ってからコックピットに乗り込み、最終チェックを行っていく。
自機のチェックが終わると、部隊各機のステータスも確認していく。部下達の機体にも異常は見られない。
部下達の駆る機体が次々と離陸、最後にレオニートも空へと舞い上がっていく。アホートニク飛行隊は上空で編隊を組むと、マッハ一・二の巡航速度で先発した飛行隊を追う。
こうしてナディム基地を離陸した八十機の怪鳥の群れは、白み始めた東の空へと進路を向け、片道約千キロメートルの行程へと旅立っていった。




