侵攻軍総司令部にて
ズレヴィナ共和国軍、侵攻軍総司令官マクシム・アレクセーエフ陸軍元帥は、開戦からの戦いを振り返っていた。
宣戦布告直後の、扶桑海での大海戦。
かつて扶桑国に駐留していたエトリオ連邦が誇る第七艦隊。圧倒的な存在感で地域の軍事バランスを保っていた存在はすでに無い。
すぐ隣に爪を研ぎ虎視眈々と狙っている我が国があるにも関わらず、扶桑国は強力な同盟国の軍を追い出す愚を犯したばかりか自国の軍備さえも削った。
その結果、敵国は我が国の半分の艦船しか投入できなかった。
この時点で勝利は疑いようもなかったが、陸上や空からの対艦ミサイル攻撃の危険はあるため、ある程度の被害は予測していた。
しかし日々の地道な情報収集、そして昨年属国としたユルカシュ人民共和国――これまでエトリオ連邦と扶桑国と同盟関係にあった半島国家――からの機密情報入手が功を奏した。電子戦で敵のデータリンク遮断に成功した事で、敵は効果的な攻撃・防御手段を失ったのだ。そしてただの一撃、対艦ミサイルの飽和攻撃によって二隻の空母を含む水上艦隊に大きな打撃を与える事に成功した。
その一方で敵潜水艦の大部分を取り逃がしていた。我が国の潜水艦を遙かに上回る隠密性、そして何より個々の艦が、非常に練度が高かったためだ。
当初は海戦の直後、黒崎島の南端、そして中間に位置する由良市近郊にも同時に上陸し、短期間で黒崎島を制圧する計画であった。しかし敵潜水艦隊の必死の抵抗により揚陸艦数隻が被害を受け、由良市近郊への上陸は断念した。
現状は大陸から一番近く、直線距離で約二百キロメートルの黒崎島南端から陸上部隊を次々と送り込み、北上を続けている。
航空兵力についても誤算があった。
想定していた敵作戦機の倍以上を揃えていたところ、情報に無かったドローンを投入して数的劣勢を挽回してきた。機動性は低いが小型でステルス性能が高い。このドローンは≪MQ-12B≫と型式が与えられ、有人機を母機とし“空飛ぶミサイル庫”であることが判明している。先にドローンにミサイルを一斉発射させてこちらの数を減らした後に乱戦に持ち込み、有人機が時間を稼いでいるうちにミサイルを補充して戻ってくる。この厄介な戦術に手を焼いている。
敵の主要軍事施設に打撃を与える為、巡航ミサイルで敵基地や敵部隊を攻撃したものの、扶桑国の高性能防空システム≪避来矢≫に阻まれて成果は上がらなかった。
最後に陸軍だ。敵の強固な抵抗に遭いながらも上陸し、当初は計画通りに侵攻していたが、敵がゲリラ戦に移行すると被害が増え、侵攻速度は低下した。当初から分かっていたとは言え、大部隊の展開出来る平地が少なく、山岳が多い扶桑国は攻めるには難しい国だ。
現在は山岳部隊、空挺部隊、海軍特殊部隊を浸透させ、後方攪乱や分断、包囲殲滅に努めているが、期待していた程の効果は上がっていない。
この国を焦土に変えるだけならば話は早い。我が国の生産力を以て、ありったけの弾薬を叩き込めば良いだけなのだから。
しかし戦争も一種の経済活動だ。投資に見合った利益を得なければ意味が無い。政府――党――からは、敵国の施設はできるだけ破壊せずに確保する事と、占領地での略奪や暴行を禁止するよう、全軍に通達が出ている。
この指示には、マクシムも全面的に同意する。今後属国民となる彼らから、必要以上に反感を買うのは愚策でしかないためだ。侵攻によって約一千万人の“保護”に成功し、今の所は大きな混乱もなく統治していると報告を受けている。
(出来れば現地をこの目で見ておきたいのだが……)
本来、黒崎島に上陸した後は現地に総司令部を移動したかった。だがマクシムは、国外に出ることを政府から禁止されており、代わりに複数のスタッフを派遣して状況把握するしかなかった。
マクシムは椅子から立ち上がると、窓の外を見下ろす。
侵攻軍総司令部のあるフィリシンスクは、ズレヴィナ共和国南方の大都市だ。首都ゼイドラガルから直線距離で千五百キロ以上南にあり、気候はかなり違う。昨年十二月の開戦まで首都で暮らしていたマクシムにとって、四月は雪解け時期の認識だ。しかし窓の外から見える花壇では、色とりどりの花が咲き始めている。
(ウリアナは元気だろうか?)
首都に残している、花好きな妻のことを考える。彼女は政府によって軟禁状態となっており、退屈な日々を送っているに違い無い。
ドアをノックする音に気付いたマクシムは、椅子に座り直すと「入れ」と声をかける。部屋に入ってきた副官はキビキビとした動作でマクシムの元まで来ると、僅かに喜びの籠もった声で報告する。
「浸透していた二個山岳大隊が、敵の包囲に成功。現在攻撃中とのことです」
「ほう、ついに捉えたか」
副官がスクリーンに戦況を映し出す。場所は由良市南方、敵ながら見事な遅滞戦闘を繰り返していた敵の第十二師団をようやく捉えた。これを潰せば、あとは由良市まで一直線だ。
「続いて、もう一点ご報告があります」
スクリーンから副官に視線を移し、発言を促す。
「鈴谷市から出発した例の統合機動部隊ですが、陸上部隊が由良市の前線基地に到着している事を確認しました。規模は二個大隊程度と推測しています。
また空母一隻を含む七隻の水上艦の出航も確認されています。衛星からの情報では、同じく由良市方面へ向かうものと推測しています」
「統合機動部隊が動いたか……」
マクシムが開戦前から警戒していた、神威秀嗣中将率いる統合機動部隊。数年前に軍事交流で彼に会って以来、この戦争が始まるまで何度か交流をしていた。官僚化、硬直化した者の多い扶桑国の将官の中において、特に異彩を放っていた。この戦争では、要注意人物の一人と考えている。
今回出撃してきた水上艦隊は、先の海戦では改装作業中で参加していなかった。しかしもうすぐ開始する、第二次上陸作戦の機先を制する形で出てきた。
「敵艦隊の編制は?」
「は。確認できているのは七隻。空母は≪しなの≫と思われます。他は最新鋭の<ざおう>型ミサイル駆逐艦が二隻、<かげろう>型フリゲートが四隻です。ただし<ざおう>型と<かげろう>型は形状が若干変わっているとのことです」
陸上部隊はともかく、水上艦という所にマクシムは違和感を覚えた。
(先の海戦では良い標的となった水上艦を、我々の待ち構える海域に投入して勝算はあるのか?)
時間をかけた改装の詳細を調査するよう指示していたが、優秀なはずの情報部をもってしても、何らかの新兵器の可能性がある事以外に掴めていない。扶桑軍のガードの硬さが逆に気がかりであった。
「情報の通り、何らかの新兵器を装備している可能性があるな。引き続き敵艦隊の動向に注意しろ」
「ハッ」
「……そういえば、リバロフ中佐が戻るのは明日の昼過ぎだったかな?」
副官は素早くタブレットで確認し「その通りです」と頷く。マクシムは「分かった、ありがとう」と答える。
ローベルト・リバロフ中佐はマクシムの副官の一人で、腹心中の腹心でもある。彼は今、国外に出ることを禁止されているマクシムに代わって扶桑国に赴き、現地の情報収集任務に就いていた。
まずは敵艦隊への対応のため、メンバーを招集するよう伝えるのだった。