皇太子との出会い
「…………ふう」
フラウ様が見えなくなったのを確認すると、自然と溜息が漏れました。
はっきり言ってもう立っていられません。一緒に行こうと誘って下さったフラウ様のご厚意をお断りしてしまったのは心苦しいですが、どうにも歩ける気がしませんでした。
木に背中を預けそのまま崩れるように座り込むと、余計に左足が痛みを主張してきます。
「うーん…………どうしましょう、これ」
視線は自然と痛む左足に吸い込まれていきます。
入学式までまだ時間に余裕はあるはずですが、ちょっとやそっとでどうにかなる痛みではないような気がするんですよね……。
頼れる友人もいませんし……これは本格的に詰んだのでは?
「…………」
途方に暮れ、私は空を見上げました。
天に抜けるような青い空。今頃マールも同じ空を見上げて、兄の無事を祈ってくれているでしょうか。
マール、あなたの兄は今入学式に遅れそうです。マールの経歴に傷をつけてしまうかもしれません。
ですが、どうしても私は間違ったことをしたとは思えないのです。こうなることが分かっていても私はフラウ様を助けたと思います。どうかこんな兄を嫌いにならないでください。あと、出来れば今すぐ治癒の魔法をかけてください。そろそろ泣きそうです。
「…………痛むの?」
ついに空から声が聞こえてきました。神様が私を迎えに来たのでしょうか?
…………え、私死ぬんですか?
死因、足首のねんざ。そんな馬鹿な。
冗談はさておき。
「…………?」
突き抜けるような青空から少し視線を下げると、一人の男子生徒が目の前に立っていました。金髪碧眼の見るからに高貴そうな出で立ち。いつの間に近付いていたのか、全く気が付きませんでした。
「えっと…………」
私はさっき悟ったのです。
この学院の生徒は基本的に私が失礼を働いてどうにかなる身分のお方ではないと。
グリーンウッド家は特例として入学を認められているだけで、その身分まで上がった訳ではありません。それを意識してしまえば自然とコミュニケーションも及び腰になるというもの。ここでのコミュニケーションは『待ち』が正解です。
…………それにしてもこの男子生徒、とてつもない美男子です。顔面から高貴オーラが溢れ出しています。もし私が女性だったら惚れていたかもしれません。
「ああごめん。さっきの、見てたんだ」
なるほど。それで痛むのかと聞いてきたんですね。
「男が飛び出すべきなのにとっさの事に反応出来なかった。君はこんな華奢な女の子なのに瞬時に飛び出していった。私は自らを恥じるよ」
華奢な女の子……。
ええ、確かに華奢ですけど!
男らしくないのが悩みですけど!
…………やはり私は、どこからどう見ても完璧に女性なんですね。嬉しいような悲しいような。
「気になさらないで下さい。私はたまたま彼女に注目していたので反応出来ただけですから」
「いや、それでも、君の行為は称賛されるべきだ。何より私の心を強く動かした」
美男子とばっちりと目が合って男ながら少し照れてしまいます。ここまで整っていると性別は関係ないんですね。
「────名前を聞いていいかな」
「マール・フォン・グリーンウッドと申します。座ったままの挨拶となってしまい申し訳ありません」
「マールか、いい名前だ。可憐な君によく似合っている」
可憐な僕の名前はロズウェナですけどね。
…………そう言ってこちらを見る美男子の視線に何か熱い物が混じっているのは、果たして気のせいでしょうか。
「私はアランという。君の力にならせてはくれないか」
「力に……ですか?」
「そうだ。マールは足を痛めているんじゃないか?」
あまり誰かに心配はかけたくないのですけれど、アラン様はもう殆ど確信していらっしゃるようですし…………しらを切っても無駄かもしれませんね。
「…………お恥ずかしながら。先程捻ってしまったようです」
「やはりか。どうして隠していた? 先程の女子生徒に助けを求めればよかっただろう」
「…………気を使わせたくなかったんです。私が怪我をしたと知れば助けられた側は自らをお責めになるはずですから。それに颯爽と助けたのに怪我をしたなんて、何だか格好悪いじゃありませんか?」
私は存外ええかっこしいなのでした。
「…………君は珍しい性格をしているな。この学院に来る貴族は皆、自分の家の権力を強めることしか考えていないような連中だと思っていたが」
アラン様は驚いた様子で目を丸くしながら、とんでもない発言をぶちかましました。
この学院の全貴族を敵に回しかねない発言に、聞いているこっちまで背筋が震えます。
「人に頼るのが下手なだけとも言いますけどね…………ところで、そんな事を言ってしまって大丈夫なのですか?」
「問題にはならないさ。それよりマール。見たところ新入生のようだが君は歩けるのか? 入学式はまもなくと記憶しているが」
「…………正直ちょっと厳しいです。絶賛途方に暮れています」
「そうか。痛めたのはどっちだ」
「ええと……左の足首です」
アラン様は患部を聞くと私のそばにしゃがみこみました。私は咄嗟に股を少し畳みました。万が一スカートの中を見られるとマズいからです。女性用の下着は履いていますが前だけはどうしようもありません。
「あ、あの」
「少し触るぞ」
アラン様は私の足首を優しく掴むと、熱を確かめたり少し動かし始めました。痛いは痛いのですが、なんだかくすぐったいです。
「…………細いな。いや、すまない。余計な発言だった」
「いえ……」
そのまま思わず声が出そうになるくすぐったさに耐えていると、アラン様が手を離しました。
「残念だが私の治癒魔法ではどうにかなりそうもない。医務室に連れていくが、構わないか?」
「はい。助かります」
出来ない私が言うのもアレですが、この規模の怪我の治癒はさほど難しくなかった気がします。アラン様も治癒魔法が苦手なのでしょうか。勝手に親近感。
「よし。では捕まっていろ」
「きゃっ!?」
────瞬間。私の体は逞しい二本の腕に支えられ宙に浮いていました。
「出来れば首に手を回していてくれ。その方が楽なのでな」
「あ、え、は、はい」
突然の事に頭が真っ白になり、私は言われるがままアラン様の首に両手を回しました。すぐ近くにアラン様の端正なお顔があるせいか心臓が急に早鐘を打ち始めます。
いやいやおかしい。私は男。私は男。
「軽いな。ちゃんと食事を摂っているのか」
「え、ええ……昔から太らない体質なんです」
…………私がお姫様抱っこされるなんて。まさかの出来事に頭がうまく回りません。
「恥ずかしいだろうが、少しの間我慢していてくれ。医務室はここからほど近い場所にあるからな」
「…………分かりました」
私は努めてアラン様の顔を見ないようにしながら、バレないでくれバレないでくれと頭の中で念仏を唱えました。何かに没頭していないと変な気分になってしまいそうでした。
「きゃーーーーー! アラン様よ!」
「アラン様が誰かをお姫様抱っこしてらっしゃるわ!」
「誰よあの女! …………でもとても綺麗だわ」
アラン様が歩く先々で、周りの生徒が黄色い声をあげています。
もしかしてアラン様は何かやんごとなきお方なのでしょうか。まあここまで美男子ならファンクラブとか出来ていそうではありますが。
「着いたぞ」
私が羞恥心と恐怖心に耐え忍んでいると、いつの間にか医務室に到着したようでした。先生は不在のようですが。
アラン様は私を優しくベッドに降ろしてくれました。
「教師は不在か。呼んでくるから少し待っていてくれ」
「…………すみません。何から何まで」
「気にするな。私がしたいからやっているだけの事だよ」
アラン様は医務室から出てい────く前に立ち止まり、こちらを向き直りました。
心なしか顔が少し赤い気がします。
「…………マール。これから君を見かけたら声を掛けても構わないか? 君の事をもっと知りたいんだ」
アラン様の提案は私にとっても渡りに船でした。
「是非。私も知り合いの先輩が出来るのは心強いですから」
私はアラン様にありったけの笑顔を向けました。
練習に練習を重ねたにっこりスマイルで、私はセレスティア王立学院の人間関係を乗り切りますよ。
「…………そうか。出来れば、君からも気軽に声を掛けてくれると嬉しい。では教師を呼んでくる」
「分かりました。今日は本当にありがとうございました」
アラン様の背中に私は軽く頭を下げました。
…………一時はどうなることかと思いましたが、親切な先輩に巡り合えて本当に良かったです。