アンナさんは甘えん坊
セレスティア王立学院のダンスホールは数十組が同時に踊っても問題ないほど広く、私はその隅っこで楽しそうに、あるいは緊張した面持ちで踊る男女をぼーっと眺めていました。所々休んでいるペアもいるので特に浮いてはいないと思います。こういう状態の事を『壁の華になる』、なんて言うらしいですが華にしては少し美しすぎますかね、ウフフフ。
なーんて。
「はあ…………」
私は大きくため息をつき、緊張した面持ちで踊る男女代表のペアを目で追いました。
「…………」
「わっ…………わわっ」アンナさんのそんな可愛らしい声が聞こえてくるようです。
アンナさんと名も知らぬ上級生のペアはぎこちない様子でフロアを右往左往していました。男性側はなんとかリードしようとしているみたいですが、アンナさんが緊張でガチガチになってしまっているようでした。
きっとダンスが下手というより男の人とくっつくことに慣れていないのでしょう。
そこからさらに視線を伸ばしていくと、楽しそうに踊る男女代表のペアがいます。楽しそうにしているのは主に女性側ですが。
「ウフフ、ウフフ」フラウさんのそんな笑いが聞こえてくるようでした。
フラウさんとアラン様のペアはそれはまあ優雅にステップを踏んでいました。アラン様がお上手なのは知っていましたが、フラウさんも流石は公爵令嬢と言うべきか、違和感なく合わせています。本人たちのネームバリューもあるでしょうが、その洗練された優雅なダンスは衆目を集めていました。
「…………」
…………羨ましいなど思っていませんが。
ええ、ちっとも。
別に私はフラウさんの事が好きなわけではありませんからね。
初めて出来た友達なので、すこーーーしばかり特別に想っているだけですからね。
ええ、本当に。
それはそれとして、このダンスパーティは大体一時間ほどダンスの時間があるようで。
各々休んでは再開して、をまったり繰り返すようですが私はなにぶん先生に「家の事情で男性と踊ることが出来ない」と伝えてしまっています。
つまり暇人です。
一時間も壁を彩っていては、いくら綺麗な華といえど萎んでしまうのは仕方ありません。
そろそろ身体を動かしたいのですが…………
「…………お」
噂をすればアンナさんペアが休憩するみたいでした。アンナさんはペアを務めていた上級生にペコペコと頭を下げると、丁度こちらに歩いてきます。もしかして私の話し相手になってくれるつもりなのでしょうか。
「お姉さま!」
トテトテと走り寄ってくる血の繋がっていない妹の可愛さを、皆さんに伝えきれない自分の表現力の無さが悔しいです。天使なんですよ。本当に。
「アンナさん。頑張っていましたね。見ていましたよ」
「ふえっ!? み、見られてたんですか!? 恥ずかしいです…………」
アンナさんは上手く踊れなかったことを気にしているのか、髪で顔を隠すように両手で顔を覆ってしまいました。恥ずかしがることなんてないんですけどね。
「アンナさん、男の人が苦手だと言っていましたよね」
「はい…………踊ってくださった方はとても優しかったんですけど…………ご迷惑をお掛けしてしまいました…………」
「後輩のフォローをするのが先輩の役目ですから。きっとあの先輩も気にしてないと思いますよ」
「はい…………」
アンナさんは私の横にぽすん、ともたれかかりました。壁を彩る華が二輪。
「それと、妹を慰めるのが姉の役目ですから。しばらくここでゆっくりしていきましょう?」
私はアンナさんの頭をそっと撫でました。アンナさんの頭は小さくてまんまるでとても撫でやすいんですよね。いつまでも撫でていたくなります。
なでなでタイムを終えると、アンナさんがそっと私の手を握ってきました。私はそれを認めると控えめに握られたアンナさんの手をしっかりと握り返しました。
「お姉さま…………!」
「妹に甘えられるのも姉の役目ですから」
仲睦まじく手を繋いでいる私たちは一体周りからどう見られているのでしょうか。
もしかしてそういう関係だと思われているんですかね?
一線を越えてそうなくらい仲のいい女性達は学院の敷地内で偶に見かけるので大丈夫だとは思いますが。私たちのような架空の姉妹は、その実、結構存在していそうでした。
「…………」
私は横目で、幸せそうに目を細めているアンナさんを盗み見ました。
…………私が男だということを知ったら、男嫌いのアンナさんはどう思うでしょうか。
なーんだ、男性も意外といけるじゃん! なんて思ってくれるでしょうか。
きっと、そんなことはありません。アンナさんは男性への苦手意識を更に強めてしまうでしょう。心に大きな傷を負ってしまうでしょう。アンナさんに嫌われることよりも、その事が私は悲しい。
アンナさんには心身ともに健康でいてほしい。
それがこの二重の意味で偽りの姉の、唯一の願いなのです。
「アンナさん」
「何ですか、お姉さま?」
「…………私と踊りませんか?」
私はアンナさんの手を引いて、フロアに歩き出しました。
壁を彩るのには、もう飽きてしまったのです。