ロズウェナの決意
何度目かの放課後練習を終え、僕たちは確かな手ごたえを感じていた。
「フラウさん、いい感じです!」
「そうでしょ? 何だか恥ずかしさが無くなってきたのよ」
えへん、と胸を張るフラウさん。
けれど胸を張るだけのことはあるかもしれない。最初の頃の惨状に比べたらフラウさんは劇的に進化していた。子供の成長を見守る親のような気持ちになり、何だか誇らしい。
「これならもう、アラン様とも普通に話せそうですね」
「そうね。どうしてあんなに躊躇っていたのか、分からないくらいだわ」
自信満々な様子のフラウさんに、『それは言いすぎなのでは』と内心苦笑したけど、何にせよ前向きなのはいい事だ。
この調子だと、もしかすると本当にアラン様からオーケーが貰えるかもしれない。
…………その為には僕にはやることがあるんだけど、それはまた別の話だ。
「それじゃあ最後に告白の練習もしておきますか」
「告白!?」
「告白です。もしかすると、もしかするかもしれないじゃないですか。この際なので練習しておきましょうよ」
僕の突飛な提案に、フラウさんは少し悩んだあと首を縦に振った。
この練習を始める前なら『告白なんて出来るわけないじゃない!』と騒いでいただろうけれど、あの頃のフラウさんはもういない。
「…………告白ね。よし────いくわよ」
太陽を閉じ込めたようなフラウさんの真っ赤な瞳が僕を捉える。
────ヤバい。
反射的にそう思った。フラウさんのその、甘い果実のような唇が動くのを、僕はただ見ていることしか出来なかった。
「────アラン様。ずっと前から好きでした。私と…………付き合って頂けませんか?」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「…………ちょっと」
「はい?」
「はい? じゃないわよ。何とか言いなさいよ」
「あー、感想ですか? いいんじゃないですか?」
「なんでそんな投げやりなのよ」
「いや、冷静に考えたらフラウさんに告白するような度胸があるわけないよなーって気が付いたんです」
「やらせといて何なのよそれ! はぁ…………もういいわ。今日の練習は終わりにしましょ」
「そうですね」
フラウさんが僕の部屋から出ていく。僕はその背中を黙って見送った。
「…………」
胸の中には出処の知らぬ、暗澹としたもやもやが渦巻いていた。
◆
フラウさんが決心を固めた今、私にはやる事がありました。
「すいません、アラン様はおりますでしょうか?」
そう言って三年生の教室のドアを叩いた私を応対してくれたのは、ゴールドの長い髪をサイドでロールさせている綺麗な女子生徒でした。
「アラン? …………あなた、誰?」
「一年生のマールと申します」
「…………ふうん、あなたがマールなのね」
「?」
先輩は私の名前に聞き覚えがあるのか、見定めるように目を細めました。
「アランに何の用なの?」
入り口を塞ぐように立つ先輩の奥には、教室の奥で談笑するアラン様が見えています。呼んでくれるだけでいいのですが。
「ああいえ、少しお伝えしたい事があるだけなのですが」
「それなら私が伝えておくわ。教えて貰えるかしら」
「それは…………プライベートな事なのでちょっと」
「プライベートな事を話すような関係なんだ?」
「それは…………どうなんでしょう。ちょっと分かりかねますが」
ああもう────一声呼んでくれるだけでいいのに!
どうしてこうも尋問のような事をされなければいけないのでしょうか。目の前の先輩はどうやら私の事をあまり好いていないようです。初対面だと思うのですが、何か気に障るような事をしてしまったのでしょうか。
「ん、マールか? どうしたんだ?」
そんな時でした。
アラン様が入り口に立っている私に気が付き、歩いてきます。これは助かりました。
「マリー、マールと知り合いだったのか?」
アラン様は私の応対をしていた先輩に声を掛けました。この金髪縦ロールの先輩はマリーという名前らしいです。名前を知ったところで、関わることも殆どないでしょうが。
「アランに用事って言うから、ちょっと話を聞いていたのよ。じゃああとはお願いね」
麗しきマリー先輩は私の横を通り過ぎ、廊下を歩いて行ってしまいました。お手洗いでしょうか。
「それで、マール。私に会いに来てくれたというのは本当だろうか?」
視線をアラン様に戻すと、アラン様は平静を装っているものの口の端が少し上がっていました。声を心なしか弾んでいます。たとえ同性とはいえ、ここまで愛されているのを実感すると流石に嬉しいですね。
それだけに、気が重いのですが。
「はい。少しお話したいことがありまして。場所を変えてもよろしいでしょうか?」
◆
「ダンスパーティ、フラウさんと踊って頂きたいのです」
すっかり葉ザクラになったセレスティアサクラに囲まれた中庭で、私はアラン様に告げました。
…………悩んだ末の行動ではありました。
私の行為はフラウさんの努力を踏みにじっているのかもしれません。アラン様の好意に胡坐をかいているものでもあるのでしょう。
しかし、それでもなお、私が今回の行動に踏み切ったのには理由がありました。
「…………」
アラン様は言葉を発しません。いや、発せられないのかもしれません。そのお綺麗な顔は驚愕の色に染まっていました。
意中の後輩がわざわざ教室を訪ねてきたのです、何か良い事があるんだと想像したのだと思います。中庭に向かう道中も、大変機嫌が良さそうでした。私は余計沈痛な気持ちになりました。
「私は…………アラン様と踊ることは出来ません。本当にごめんなさい」
私はゆっくりと頭を下げました。
頭を下げると地面や散ったセレスティアサクラの花びらが視界を占領し、少し気が楽になりました。それだけ今のアラン様を見るのは辛いものがあるのです。
「私は…………嫌われてしまったのだろうか?」
頭上から聞こえる声は震えていました。
「そうではありません。アラン様には入学した日から親切にして頂き、大変感謝しております。ただ、ダンスパーティはフラウさんと踊って頂きたいのです。それが私の願いです」
私の反論を聞いてアラン様がどういう表情をしているのか、頭を下げたままの私には分かりませんが、ほっと息を吐くのが聞こえた気がしました。
「…………どうしてフラウが出てくるのか、教えて欲しい」
「フラウさんがアラン様と踊りたがっているのです。私は彼女の友人として、彼女の願いが成就されることを望みます」
────私は、結局の所、フラウさんが誘ってもアラン様は断るだろうと思ったのです。
何故ならアラン様が好きなのは私、マール・フォン・グリーンウッド。
そのマールはアラン様からの誘いを保留している状態でした。そんな状態でフラウさんに誘われても、きっとアラン様はその誘いを受けないでしょう。私と踊りたいのだから。
つまるところ私は、私が悪者になるのが嫌で、フラウさんの努力を踏みにじることにしたのです。
今日の出来事はそういう事でした。今の私には自己嫌悪する権利すらありません。
「…………つまりマールは、フラウが私と踊りたがっているから私と踊ることは出来ない、とそう申すのだな?」
その問いに首を縦に振ることは、フラウさんをアラン様の恋敵にする事と同義でした。
しかし事実関係はその通りで、更に言えばフラウさんとアラン様をくっつけるにはここで私とアラン様の繋がりを断ち切る訳にはいきませんでした。「アラン様には全く興味ありません」と事実を叩きつけることは今は出来ないのです。
私に出来ることは一つしかないように思えました。
「私は現在、アラン様よりフラウさんの事を大切にしたいと思っています。…………アラン様の好意を傷つけているのは承知の上です。本当に申し訳ありません」
私は下げた頭をさらに下げました。もしアラン様が許して頂けるのなら喜んで地面に頭をつけるつもりです。それほどの事をアラン様にしている自覚はありました。
「マール、頭を上げて欲しい」
アラン様からかけられたのは意外にも優しい声色でした。
「…………ですが」
「マールの気持ちは分かった。友達想いなのだな。そんな所も私には魅力的に映るよ」
「…………え」
…………上げるつもりは無かったのですが。
予想外の所に着地していそうなアラン様の言葉に、私はつい頭をあげました。
そこには、感動に頬を濡らしているアラン様の姿がありました。
「大切な友人の為に悪役を引き受けようとするその姿は、入学式の時に見た君の凛々しい姿に重なるよ。やはり、私はマールが好きだ」
「は、はあ…………」
「安心したまえ、ダンスパーティはフラウと踊ることにするよ。しかし、私からも一つ頼みがあるんだがいいだろうか?」
「私に出来る事なら、何でもお受けいたします」
「ありがとう。では言うが…………私と今、踊って貰えないだろうか」