妹が出来ました
特に解散する理由もありませんのでフラウさんと並んで登校していると、丁度エーデルワイス館の敷地を出ようという所でフラウさんが口を開きました。
「アンタ、分かっているでしょうね?」
「えっと…………何がでしょうか……?」
フラウさんの発言には目的語がなく、私にはその意図が分かりませんでした。
「私たちの秘密の事よ! …………冗談でもバラすんじゃないわよ」
「分かっています。フラウさんこそ、よろしくお願いしますね?」
鋭い視線を向けてくるフラウさんに微笑みを返すと、フラウさんは顔をしかめて視線を逸らしてしまいます。私が男だという事を知って、ロズウェナの存在を知って、今の私とのギャップにまだ慣れないのでしょう。心中、お察し致します。
敷地から出ると、フラウさんはすっかりフラウお嬢様になっていました。猫を被ることに関しては彼女に一日どころか数年の長があります。きっと私たちの関係が瓦解することがあるとすれば、それは私からでしょうね。
「────そういえば、気になっていた事があるのですけれど」
「何かしら?」
道すがら、私は昨日引っかかっていた事を聞いてみることにしました。
「同級生の皆さんは、基本的に顔馴染みなのでしょうか? 私は田舎の子爵家の出ですから、社交界というものには縁がなくて」
私の質問にフラウさんは考える素振りをします。
「まあ…………そうですね。私の話になってしまいますが、初対面の方はマールさんを含めて二、三人だったと思います。他の方も、恐らく似たようなものではないでしょうか」
「なるほど…………」
フラウさんの返答は、私にとってあまり好ましいものではありませんでした。やはりといっていいのか、教室内には既にある程度のコミュニティが形成されているようで、そこに割って入るのは簡単なことではないように思えます。身分が高ければそれだけで何とかなるのかもしれませんが、生憎私はド田舎の子爵令嬢。グリーンウッド家の名前すら知らない方がほとんどなのではないでしょうか。
何かしら対策を考える必要があるでしょう。
来年から交代する妹の為にも、教室内でハブになる訳にはいきません。
「いらっしゃったわ! …………本当にお綺麗」
「まるでお伽話のお姫様みたいだわ…………」
「リリア、ごめん。許嫁は解消させてくれないか」「ちょっと何なのよいきなり!?」
フラウさんと連れ立って教室に入ると、ちょっとした歓声が起こりました。学院の敷地に入ってから薄々感じていた視線が、今度は無視できない強さで肌を突き刺してきます。
「…………?」
呆気に取られながらも、私は机の合間を縫うようにして自席に辿り着きます。ここで気軽に「おはよう」などと言い合える友達がいれば良いのですが、生憎私はぼっちでした。唯一の友達とも呼べるフラウさんは名も知らぬ誰かと談笑を始めています。誰よ、その女。
「…………あ、あのっ」
「は、はいっ!」
まさか話しかけれるとは思わず、私は素っ頓狂な声をあげてしまいました。気持ちを落ち着かせて声の元を見やると、隣の席の女子生徒がおずおずとこちらを覗き込んでいます。栗色の髪をショートカットに切り揃えたその生徒は、小動物を連想させました。
小動物さんは一体私と話すのに何の覚悟がいるのか分かりませんが、よし、と小さく気合を入れると、一気に捲し立てました。
「え、えと…………お、おお、お姉さまとお呼びしてもよろしいでしょうかっ!?」
「……………………はい……?」
言葉は分かるのに意味が理解出来ないことがあるのだな、と思いました。
お姉さま?
私が?
…………何故?
私に生き別れの妹がいるなんて話は聞いたことがありません。私の妹はマールただ一人であり、更に言うなら私はお兄さまです。視界の端で、フラウさんが何とも言えない顔でこちらを見ているのが分かりました。キャラ崩れかけてますよ。
「えっと…………ごめんなさい。ちょっと状況が理解出来ないのですが…………」
私は困惑の意を素直に伝えました。
目の前の女子生徒は例によって公爵家か侯爵家、悪くても伯爵家のご令嬢だとは思いますが、私に危害を加えてくるようなタイプには見えず、ある程度言葉を選べば大丈夫だろうと判断した為です。
「あああごめんなさい! いきなりこんなこと言われても困っちゃいますよねっ!」
女子生徒は顔を真っ赤にして、両手を慌ただしく動かしています。最初に感じた小動物という印象は、どうやら間違っていないようでした。彼女は気が付いていないでしょうが、彼女は今教室中の視線を集めています。全員が私達の会話に耳をそばだてています。その事を意識すれば、小動物さんはきっと動けなくなってしまうような気がしました。
私は隣の席の彼女の方へ上半身を寄せました。彼女の視界を私で一杯にしました。彼女の頬がより一層赤く染まり、その目がより一層大きく見開かれたのを認め、私は内心満足しました。これで彼女が他の視線を意識することはないでしょう。
「どうか落ち着いてください。一体、どうして、私を『お姉さま』と…………?」
小動物さんは私の言葉が耳に入っているのかいないのか、落ち着きを取り戻す様子は一切ありませんでしたが、それでもその理由の方は教えてくれました。
「あ、あのっ、昨日アラン様がいらっしゃった時に────」
彼女の話はところどころ支離滅裂でしたが、要約すると『アラン様の誘いを断った私が格好良かった』との事でした。…………軽い気持ちで断ってしまったのですけど、もしかして大変なことをしてしまったのでしょうか。
「や、やっぱり迷惑ですよねっ、忘れてください!」
小動物さんは両手を前に突き出して、その後机に突っ伏してしまいました。
「待ってください」
私は慌ててその手を捕まえます。因みに小動物さんと呼んでいるのは、彼女の名前が分からないからです。昨日は自己紹介の時間がありませんでした。
「え……?」
小動物さんは驚いた様子で私を見つめています。どちらかと言うと驚きたいのは私でしたが、それはそれとして、勇気を出して話しかけてくれた彼女を無下にする事など出来るわけもありません。
「────私などが、可憐なあなたの姉に相応しいかは分かりませんが。好きに呼んで頂いて構いませんよ。折角隣同士なのですから、仲良くして頂けたら嬉しいです」
私を見つめる彼女の顔には見覚えがありました。あれは確か…………昔読んだ聖書か何か。神の使いを前にした敬虔な信者が、確か同じような顔をしていたような気がします。
「お姉さま…………!」
彼女の瞳には涙が浮かんでいました。私がそれを優しく掬い取ると、小動物さんは熱の籠った視線を向けてきます。昔、マールが泣いたときも同じようにしてあげた事を思い出しました。
視界の端では、口をへの字にしたフラウさんがこちらを睨んでいます。キャラ崩れてますよ。