096話 死へといざなう者
その日、サイフォリアの街の冒険者ギルドは、かつてないほどに混乱していた。
<大襲撃>を前にして、冒険者たちが一斉に逃げ出そうとしたからだ。
冒険者ギルドには魔物から街を守る使命がある。
ゆえに、ギルドは冒険者に対して「<大襲撃>から街を守る」という緊急クエストを発令した。
この緊急クエストに対して、この街を拠点としている冒険者が取れる行動は3つ。
まず1つは、緊急クエストに参加して、魔物の大群と戦うこと。
だがこれは、慣例では戦死を意味する。
ダンジョンの魔物が一斉に溢れ出す<大襲撃>と戦うということは、ダンジョン内の全ての魔物を相手にすることと等しい。
<大襲撃>をやりすごした記録こそあるものの、<大襲撃>と正面から戦い、これを撃退したことなど、有史以来一度もないのだ。
<大襲撃>に呑まれた土地は滅びる。
それが、この世界の常識だ。
死へといざなう化け物たちに立ち向かうのは、勇気ではなく無謀と呼ぶ。
ゆえに、恐怖に駆られた冒険者たちは、2つ目の選択肢を選ぶ。
すなわち、全てを投げ出して、街から逃げ出すこと。
そうすれば、運が良ければ命は助かるだろう。
だが逆に、それは命以外の全てを失うことになる。
それまで築き上げてきた地位も、冒険者ランクも、一瞬で消える。
緊急クエストから逃げ出した冒険者には、重大なペナルティが付く。
敵前逃亡であると判明した時には、冒険者ライセンスを永久に剥奪されることさえある。
冒険者の多くは、冒険者になるぐらいしか真っ当に生きる方法がない者たちだ。
そういった者たちが冒険者の仕事さえ出来なくなったら、後は物乞いか、奴隷か、あるいは悪事に手を染めるしか生きていく手段が無くなる。
運悪く<大襲撃>の発生に立ち会ってしまった冒険者は、基本的には戦って死ぬか、逃げて社会的に死ぬかの2択だ。
だが、このルールには抜け道がある。
それが3つ目の選択肢、拠点の変更だ。
<大襲撃>に対してギルドが出せる緊急クエストは1つだけ。
拠点の街に<大襲撃>が襲ってきたときに、街を守るために戦う。
すなわち、拠点ではない街に<大襲撃>が迫っても冒険者は緊急クエストに参加する義務はない。
そして、<大襲撃>が街に押し寄せる前であれば、誰でも拠点の変更は可能。
もともとは貴族の御曹司などが偶然<大襲撃>に巻き込まれてしまった時に穏便に逃がすための抜け穴として整備されたルールらしいが、いつしかこのやり方は冒険者たちの周知の事実になっていた。
ゆえに、ダンジョンから溢れ出した魔物たちが、行き先を決めずに蠢いている今なら、拠点変更の届け出さえ受理されれば、冒険者は堂々と街から立ち去れるのだ。
そうして、ギルドは拠点変更の届けを出したい冒険者たちで溢れかえっていた。
混乱に拍車をかけたのは、冒険者ギルド側に、この状況下で指揮を取るべきギルド長ジェイコフや、手際よく仕事をこなす受付嬢のサイリスが不在だったこと。
残っていたスタッフだけでは、押し寄せる冒険者たちの波をさばききることなど出来なかった。
現場は混乱し、次第に怒声が飛び交うようになっていた。
そんな最中、冒険者ギルドの扉が勢いよく開いた。
だがもはや、そんなことは誰も気に留めない。
誰もが次々に冒険者ギルドに急いで駆け込んできているのだ。
なんとかして上手く街から逃げようと目論む類の輩が1人増えただけ。
誰もがそう思っていた。
だが、飛び交う怒声をかき消して響いた凛とした声に、誰もが耳を傾けた。
「おぬしら、それでよいのか?」
声の主のことを知っている冒険者も多数いる。
この少女は、この街では悪い方向で有名だったからだ。
けれども、その少女が見せた立ち振るまいに、誰もが驚いた。
薄汚れた灰色の髪も、ボロボロの服も全く気にならないぐらい。
その少女──ロリーナは毅然として立っていたからだ。
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「おそらく冒険者ギルドは大混乱じゃろう。そこに妾が乱入して、注目を集める。カイとラミリィはその隙に裏手から侵入して、ダンジョンメダルに関する資料を探すのじゃ」
冒険者ギルドへと向かう道すがら、ロリーナは俺たちにそう言った。
この様子だと、逃げようとした冒険者を呼び止めたのも、ギルドに人を溢れさせるのが目的だったのだろう。
そうして予定通り、俺とラミリィはギルドに近づいたところでロリーナと分かれ、裏手からこっそりとギルドに入った。
だが、そこですぐに異変に気づく。
冒険者ギルドの内部が、奇妙なほどに静まり返っているのだ。
人々は誰もが立ち尽くして何かに聞き入っている。
てっきり冒険者たちが我先にと受付に押し寄せて騒ぎになっているものだと思っていただけに驚いた。
だから、その静寂を支配しているのがロリーナだと、最初は気づかなかった。
「妾は援軍を求めてここに来た。ともに魔物の群れに立ち向かう英雄たちを探しておるのじゃ。おぬしらは何者じゃ? そうじゃな、そこのおぬし。おぬしは誰じゃ?」
ロリーナは近くにいた冒険者の若者に話を振った。
驚いた若者は、場の雰囲気に呑まれて素直に答える。
「えっ、あっ、えっと。Dランクのコールソン、です……」
「ふむ。コールソン、よいことを教えてやろう。これから先、おぬしのランクは無意味になる。なぜなら、今日この街は、歴史の分岐点になるからじゃ。他の者もよいな! いまここにおる者たちは、これから先、たった1つのシンプルな基準で測られることになる! すなわち! 困難に立ち向かった者と、逃げた者じゃ!」
何が起きているのだろうか。
ひとつだけ言えるのは、いま、この場を支配しているのはロリーナだ。
誰もが黙ってロリーナの話を聞いている。
「あえて言おう、今日この場に居合わせたおぬしらは幸運者じゃと! 多くの者達は、何者かになりたいと願いながら、それが叶わぬ夢だと諦めて、それなりの日々を過ごしておる。人生を変える瞬間に立ち会っていることすら気づかずに、一生を終える者が大半じゃ。栄光を掴めるのは、チャンスに気づけた一部の者のみ。もう一度問う! おぬしらは何者じゃ?!」
時に優しく諭すように、時に厳しく問い詰めるように。
流れるように語ったかと思えば、一語一句を語気を強めて話す。
抑揚、表情、身振り手振り。
ロリーナの演説は、全てが完璧だった。
「”生きるべきか、死ぬべきか”。問題はそこじゃ。不条理な日々に耐えながら日銭を稼ぐ暮らしを死ぬまで続けるのと、困難に立ち向かい人類の栄光のための礎となるのと、どちらが惨めな生き方なのか」
注目を集める、とロリーナは言った。
だが、そんな言葉では、今の状況をとても言い表せない。
誰もが、ロリーナの作り出す雰囲気に呑まれていた。
「じゃが、妾は勝利を確信しておる。なぜならこの身は不死ゆえに──決して敗北は無いからじゃ。今日、ここから人類の歴史が変わる! 魔物の<大襲撃>に怯える日々に終止符を打つのじゃ。我らが守るのは1つの街にあらず! 我らが守るのは、人類は魔のものどもに翻弄されるだけの存在ではないという矜恃じゃ! 我らの後に続く幾星霜の勝利、その嚆矢となれ!」
日銭を稼ぐために命を捨てる者はいない。
けれどもロリーナの言葉は、冒険者ギルドに響き渡り──
「妾とともに、新たな時代を築かんとする者は、声をあげよっ!」
耳をさくほどの鬨の声が、一斉にあがった。
わずかに目を細めたロリーナと視線が合って、ようやく俺は当初の目的を忘れていたことに気づいた。
ロリーナは何者なのか。
それを語るのは、だいぶ先になりそうです。




