96.え?なんの話しとるん?
「……遅いですよ」
ミカエルたちが天の迴談の間に着くと、細身の眼鏡をかけた銀髪の男が椅子に座りながらギラリと目を光らせて睨んできた。
髪は耳と襟足がきちんと出されており、彼の真面目な性格が現れていた。
軽くセットされたように見える前髪にも1ミリのズレなく彼のこだわりが反映されているようだった。
「すみませんね。
途中でアザゼルとお会いして、お話していたら約束の時間に2分ほど遅れてしまいました」
それに対しミカエルはやんわりと笑顔を向けて謝罪してみせた。
「……ふん。
脳筋と腰巾着のお気に入りだからと調子に乗らないことですね」
銀髪の男サマエルは眼鏡を中指で直しながら視線を外し椅子に座り直した。
「なんだとっ!?」
サリエルがサマエルの態度に噛み付くが、サマエルはそれを完全に無視してみせた。
「まーまー、とりあえず皆座ろーや!」
アザゼルはそれらをまったく気にしていない様子で、円卓に並べられた6つの椅子の1つにどかっ!と腰を下ろした。
「やれやれ」
ミカエルもため息をつきながらサマエルの対面に座った。
「……」
そして、サリエルもサマエルを睨み付けながら彼の隣に腰を下ろした。
真ん中に円卓が置かれたこの部屋は入口の正面奥に神聖な女神の像が置かれ、その手前に置かれた金に輝く玉座は空席となっていた。
そして、その手前に置かれた円卓を囲うように、時計回りにサマエル、サリエル、1つ飛ばしてミカエル、そしてアザゼルが座る形となった。
「……バラキエルはやはり欠席ですか」
ミカエルが自分の隣の空席を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……連絡はいっているはずなんですけどね」
サリエルも金の玉座の対角に位置する空席を見つめた。
「……ふん。
来る気のないヤツなどどうでもいいのです。
時間はとっくに過ぎています。
さっさと始めましょう。
魔導天使会合を」
サマエルは腰にさげていた懐中時計を確認すると、イライラしながら会を進行していった。
「……ふむ。
南の漁も東の酪農も順調なようですね」
その後、会合は問題なく進み、各地の状況を報告しあっていた。
「ミカエルさんの方はどうですか?」
サマエルに話を振られ、ミカエルが髪をかきあげながら答える。
「……中央も特に大きな問題はありません。
メインである農作も、今年も豊作となりそうなので心配はいらないでしょう」
「ふむ。
そういえば、今年は例年よりも魔獣による被害が少ないですね。
何か特別な対策でも始めたのですか?」
「……!」
手元の資料を確認しながら尋ねてきたサマエルの質問にサリエルがギクッとした様子を見せた。
「そうですね。
特にこれといって特筆すべきことはしていませんが、魔獣避けの匂い袋を少し改良したので、その効果があったのかもしれません」
「ほう。
それは素晴らしい。
ぜひその作成法を共有してください」
「ええ。
あとで各国に製法をお送りしますね」
ミカエルはそれに気付きながらも、何食わぬ顔で当たり障りのない答えを返した。
実際はミサが三大魔獣を従わせたがゆえに、アルベルト王国にいる魔獣をある程度コントロール出来るようになったからなのだが、ミカエルはそのことを報告するつもりはないようだった。
サリエルもミカエルの意図を理解し押し黙った。
「……」
アザゼルはそんな2人の様子をじっと見ていたが、やがてハァと息を吐いて呑気にあくびをしていた。
「アザゼルさん。
不謹慎ですよ!」
「仕方ないだろー。
漁師の朝は早いんだ。
おまけに大きな問題もない平和な状況じゃ、あくびも出るってもんだ」
「……まったく」
あくびを即座にサマエルに注意されたが、アザゼルは特段相手にしたりはしなかった。
魔導天使は基本的に国の要職について政治を行うことが多いが、アザゼルは1年のほとんどを漁に出たり狩りに出たりして民の生活を支えていた。
『矢面に立たないヤツに人はついてこない』
それがアザゼルの基本理念だった。
実際、彼の国の民は王と同じぐらい彼を敬い、慕っていた。
また、そんな理念を持つからこそ、教師として民の指導に当たり、また自ら率先して国のために動くミカエルをアザゼルは気に入っているのだった。
サマエルもそうやってしっかりと成果をあげるアザゼルを評価しているため、普段のだらけた態度をあまり強く責められないようだった。
そして、会合も終盤となった頃、サマエルが思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう。
ミカエルさん。中央で記憶喪失だった少女がいるでしょう」
「……!」
「……っ」
突然、ミサのことを振られ、ミカエルもサリエルも表情に出さないように必死に取り繕った。
「……ええ。
ミサ・フォン・クールベルトですね。
クールベルト家に引き取られた。
彼女が何か?」
ミカエルはサマエルの様子を確認しながらミサの名前を出す。
サリエルが気付かれないように息を飲んでいた。
「あ、いえ。
我がスノーフォレストに留学に来られているようなので、優秀な生徒なのかと思いまして、少しお伺いを。
あなたが編入を認めるのですから身元の方は信用していますが」
「ああ、なるほど」
サマエルの担当している北のスノーフォレストへの留学に関してならば話に上がっても当然。
特に取り留めのない内容だったことにサリエルはほっと息を漏らしたが、サマエルはそれに気付いていないようだった。
「優秀、かどうかは微妙なところですが、今回の留学のメインはシリウス王子です。
彼女は彼の婚約者なので、今回は同行することになった形ですね」
ミカエルも内心ではほっと一息しながら、ミサの評価に関しては正直に答えた。
実際、ミサは座学に関しては偏った知識ではあるものの、それなりの成績を修めていたが、こと魔法に関しては芳しくはなかった。
扱いの難しい闇属性ということを加味しても、まるで魔法という存在をつい最近まで知らなかったかのようなミサの魔力の使い方にはミカエルも疑問を感じていた。
とはいえ、記憶喪失なのだから仕方ないかと納得する形で収まっていたのだ。
「ああ。
あの王子にもようやく婚約者が出来たのですね。
あの暴れん坊を御せる女性とは。
ぜひ一度会ってみたいものです」
「えっ!?
あ、あの、えと、あ、あまり期待しない方が!
い、いいのでは!?」
「……なぜあなたが答えるのです?」
ミサに興味を持ったサマエルに焦ったサリエルがしどろもどろな返答をした。
他国のことに口を出してきたことをサマエルが疑問に思っても不思議ではないだろう。
「……サリエルさんはカイル王子の留学の際に彼女に会っていますからね。
あのシリウス王子の婚約者となる女性です。
それなりの方だと仰りたいのでしょう」
「ああ、なるほど」
ミカエルが内心でため息をつきながら笑顔で答えると、サマエルはそれに納得したようだった。
「……現れる」
「「「「!!」」」」
その時、突然どこかから声が聞こえた。
「バラキエル!」
次の瞬間、いつの間にかミカエルとサリエルの間の空席に1人の男が座っていた。
「……いつの間に」
バラキエルがいつどうやって現れたのか、その場にいた誰もが分からなかった。
長い黒髪を垂らして項垂れたバラキエルの顔を見ることは出来ない。
真っ白な服が彼の黒髪を異様に引き立てていた。
「貴様!
今さら遅れるなど言語道断!」
「……」
激昂するサマエルの言葉が聞こえていないかのように、バラキエルは俯いたまま微動だにしなかった。
「……バラキエルさん。
現れる、とは?」
ミカエルがバラキエルの最初の呟きについて問うと、ようやく肩をぴくりと動かした。
バラキエルはしかし俯いたままで、ゆっくりと口を開いた。
「……我らが探し求めていたルシファーが現れる。
この見捨てられた世界を再び照らす存在が。
彼女が目覚めるのはもうまもなく。
我らはそれを止めることは出来ない」
「……あっ!」
バラキエルはそれだけ言うと、再びふっとその場から姿を消した。
「……今のは、予言か?」
アザゼルが顎に手を当てながら呟く。
「占星術の天使、バラキエルの言葉……」
「これは、無下には出来ないですね」
サマエルの呟きにサリエルも同意してみせた。
「…………」
ミカエルは眉間に皺を寄せて、ただ黙って金の玉座を見つめていた。