90.さすがはあたしの天使だね、あ、クラリスのことね
「お兄様!」
「!」
「クラリスさん?」
シリウスにとって幼い頃から耳馴染みのある声が聞こえた。
ミカエルもきょとんとした顔をしている。
「……スケイルさんとサリエルさんの仕業ですね」
ミカエルはクラリスを含めた、シリウスと三大魔獣以外の全員の足止めを2人に頼んでいた。
2人とも、みすみすクラリスを逃がすようなヘマをするとは思えない。
シリウスとミカエルの一騎打ちになった時に、あまりにもシリウスの分が悪い。
そう考えた2人が順次クラリスを見逃したのだろう。
「……なんだかんだ甘い人たちですね」
ミカエルはそう呟きながら、微かにふっと笑みを浮かべた。
ミカエルがそんなことを考えている少し前、クラリスの声を聞いたシリウスはほんの一瞬だけクラリスに目線を向けた。
劣勢の戦いに現れたチャンス。
ミカエルの隙を突くには今しかない。
幼い頃から粗暴で周囲に反発しながら生きてきた自分の横に、それでもいつもいてくれた妹。
シリウスは一瞬の視線で妹が状況を察してくれることを信じ、目を閉じて地面を蹴った。
そして、その場に現れたクラリスは兄のその一瞬の目配せで状況を何となく理解する。
いま自分がするべき最適解を瞬時に導きだしたクラリスは偉大な父と兄からのプレッシャーを受けながらも、国のために鍛練を怠らない兄を守るために魔法を放った。
「《瞬閃光》!!」
その魔法は単なる目眩まし。
強烈な閃光を全方位に放ち、相手の視界を一時的に奪うもの。
「なっ!」
突然、クラリスから放たれた閃光。
そして、その一瞬前に自分に向かって飛び出してくるシリウスを見た。
いつものミカエルなら余裕で対処できるものだったのだろう。
しかし、連日の魔導具の作成。
三大魔獣の力を封じる聖鈴と重力魔法、及びミサへの拘束魔法と催眠魔法の継続使用。
さらにはシリウスとの戦いでの強力な魔法の使用に体力の減少。
さらには突然のクラリスの出現による対抗策の構築、閃光に対する対抗魔法。
それらさまざまな要因によって、ミカエルの反応は通常とは比べ物にならないほどに遅れた。
「……くっ!」
閃光に目が眩んだミカエルはそれでもシリウスが向かってくるであろう地点に剣を向けて、浮遊させていた魔力球を飛ばした。
バチバチと黒く爆ぜるいくつもの魔力球がシリウスに向かって飛ぶ。
「……ちっ」
目を閉じてクラリスの閃光に耐えたシリウスは向かってくる魔力を感じ、最後の魔法を使う。
それは剣に纏わせた雷を自分自身に流すもの。
自分の肉体に電流を流し、強制的に身体能力を向上させる。
肉体への反動が強いその技は本来なら使わずにいたかったもの。
だが、いま使わずしていつ使うのか。
シリウスは強化された脚力で地面を再び思いきり蹴りだし、一気に加速した。
そして、そのスピードは魔力球の着地点となるべき場所を瞬時にすり抜けた。
「なっ!」
視力が回復したミカエルは眼前に迫るシリウスに驚きの表情を見せる。
雷を纏ったシリウスはそのスピードでもってミカエルの障壁を突き破る。
「……終わりだ」
そして、シリウスの剣がミカエルに向かって振り下ろされた。
「ぐっ!」
ミカエルは肩から腰にかけてを斬られ、後ろによろけた。
シリウスは体に襲いかかる反動に耐えながら、呼吸を整えつつ剣を構え直す。
一太刀入れたとは言え、まだ油断は出来なかった。
クラリスも、本来ならばすぐに兄に駆け寄って回復魔法をかけたいところだったが、致命傷には至っていないミカエルの傷の具合から、いま近付いて足手まといになるわけにはいかないと、屋上の扉の陰から見守ることにした。
「……ふふ、油断したとはいえ、私に一太刀くらわせるとは、成長しましたね、王子」
「……」
斬られた胸を抑えながらミカエルが笑うが、シリウスは剣を下ろすつもりはないようだ。
一瞬の油断が形勢を一気に逆転させることをシリウスは知っているから。
そしてそれを教えたのは、目の前で笑う自分の師だった。
「……貴様、まだ続けるつもりか?」
シリウスはそんな師を冷たく見下ろす。
浅くはないダメージを与えたはず。
それでもまだ続けるというのなら、自分の師といえども仕方ない。
そんな覚悟を込めた目だった。
「……あなたは、どうしてもミサさんを助けたいのですか?
この国の100年の平和を手離し、帝国を敵に回し、国王である父に逆らい、師である私を殺してでも」
「……時間稼ぎのつもりか?」
「……それほどに、ミサさんを想っている、と?」
「……そ、それはいま関係ないだろう」
「……関係なくはないでしょう。
ミサさんでなければ、あなたはここまでしなかったはずだ」
「……」
「……どうなのです?」
「……関係、なくはないな」
「……それはつまり、ミサさんのことを愛していると?」
「……ち、違う!
あいつが俺様の前からいなくなることが我慢ならなかっただけだ!
あいつのいない世界などつまらない!
守る価値などない!
そう……思っただけだ……」
シリウスの言葉は、最後の方は呟くような声になっていた。
「……そうですか。
今はそれで良しとしますか」
「あ?」
「いえいえ、なんでもありません」
ミカエルはふるふると首を横に振ると、両手を上に挙げた。
「……なんの真似だ」
「降参です。
私の負けですよ、シリウス王子」