EP.3『シルバ先輩の策謀』
「……はぁ」
アルベルト王国。
アーキライト侯爵は頭を悩ませていた。
愛する娘が子爵家の子息のもとに嫁ぎたいと申し出てきたからだ。
アーキライト家には娘の他にふたりの息子がいる。そのため後継の問題はないのだが、相手方の家格が侯爵家とは釣り合いが取れないのだ。
貴族は政略結婚が基本。
取り分け、女ならば尚更。
国王と王太子の働きかけによってその慣例は見直されつつあるが、まだまだその風潮は強い。
これが息子の話であったなら、それも侯爵家を継ぐ立場にない次男ならばもろ手を挙げて歓迎しただろう。「快く迎え入れてやろう」と笑ってやっただろう。
そう。娘なのだ。
我が家に迎えるのではなく、あちらに嫁ぐのだ。
「……そうか。いっそ婿養子として我が家に……いや、無理か。
あちらはたしか長男な上に一人息子。
家督を継ぐ身だ」
そう。つまりは大事な娘を嫁がせなければならないのだ。
いや、いつかは来ると思っていた。
だが、それこそ向こうをこちらに入れてしまえば、という気持ちがなかったわけではない。
ようは、愛する娘を簡単に手放したくないのだ。
侯爵家で育った娘が子爵家のグレードに馴染めるとも思えない。
「……私は、心配なんだ……」
そんな独り言が漏れたとき、部屋のドアがノックされた。
「誰だ?」
「私ですわ。お父様」
「シルバか……入りなさい」
噂をすれば、当の本人の登場である。
アーキライト侯爵は良からぬ予感を感じながら、愛する我が娘を招いた。
「失礼致しますわ」
アーキライト侯爵の娘であるシルバが優雅に部屋に入ってくる。
「……その顔、どうせまた私の心配をしていたのですわね」
そして、シルバは入ってくるなり父親の顔を指差してそう言い放った。
「ああ。その通りだよ。
シルバが子爵家に嫁いでうまくやっていけるのか、私は心配で心配で仕方ないのだ」
本心では反対だが、娘に嫌われたくない父は遠回しで娘の結婚を非難した。
「……」
シルバはそのまま部屋の中央まで優雅に進み、父親の座るソファーの向かいにスッと腰を下ろした。
すぐにメイドがシルバの分の紅茶を置く。
「……べつに、反対なら反対と正直に言っていただいて構いませんことよ?」
「っ!」
紅茶を飲みながら澄ました顔でそう告げるシルバ。
とっくに本心など見抜かれていたことに父親は動揺を隠せなかった。
「わ、私は心配なんだ!
シルバがどこの馬の骨とも知れぬ男の、しかも子爵家などに嫁いでやっていけるのか!
おまえがいま飲んでいるその高級茶葉にも、もうお目にかかれないかもしれないのだぞ!」
「……」
シルバは自分が飲んでいた紅茶を覗き込む。
香り高く、シルバのお気に入りの茶葉。
「……こんなもの、ただの嗜好品ですわ」
シルバはそれを一気に飲み干す。
そんな脅し文句はなんの効果もないのだと。
「だ、だが! 貴族たるもの家のために在らねば!
侯爵家の人間が子爵家に嫁ぐなどっ!」
「あら。お父様はまだそのような前時代的なお考えをお持ちでしたの?」
「ぬぐっ」
「だとしたら、それは早めに改めた方が宜しいですわよ?
これから、世界はもっと速い速度で進んでいきますわ。
あの王太子殿下ならば、それにいち早く対応なさるでしょう。そして、これから重用されるのはそれについていける人材でしょうから」
「うぐっ」
本心をさらけ出された上に、それを正面から真っ当な意見で切り裂かれ、父親は顔を歪めるしかなかった。
それは父親本人がよく分かっていたから。
ゼン王太子についていけなければ家格の維持すら危ういと。
「これからは、真に頑張った者が評価される時代ですわ」
「……」
シルバの言葉を受けて父親は彼女をじっと見つめた。
「……それが、おまえが見初めた男であると?」
「!」
それほどのことを言ってのけるシルバが選んだ男。
父親は、そんな男に興味を持ったのだ。
「そうですわね。
賭けてみる、いえ、懸けてみるだけの価値はあると思いますわ」
「……」
シルバにそこまで言わせるのかと、父親は感心し始めていた。
「……なぜ、その男を選んだ」
「……え、と」
「!」
理由を尋ねると、シルバは珍しく顔を赤らめて言葉を詰まらせた。
娘のそんな姿を見るのが初めてで、父親はなんだか悔しい気持ちになった。
「……初めてだったのですわ」
「な、なにぃ!!」
「……なんですの?」
「あ、いや、続けてくれ」
良からぬ想像をした父親だったが、娘の冷たい視線にすぐに冷静に戻った。
「私は文武両道。勉強も戦闘もどちらも優秀ですわ」
「うむ。そうだな」
実際、シルバは自分でそう言ってしまえるだけの成績だった。
「そんな私に魔獣の森での演習で、ジョンさんは『シルバ先輩のことは俺が必ず守りますから』なんて言ってきたのですわ」
「……」
「私は今まで、どちらかと言うと守る側だったもの。男の子に守ってもらうなんて初めてで。
ただ守るだけなら騎士でいいと思うけれど、ジョンさんは実際に体を張って私の前に立ち、自分が魔獣を抑えている内に魔法を撃つように言ってきたのですわ。
ただ守るだけではなく、私にも自分を守れと。
そこにあるのは、ともに生きる者同士の絆でしたわ! そう運命ですわ!」
「……」
父親は何となく状況を察した。
それが恐らくシルバの一人相撲であろうと。
ジョンという生徒のことはすでに調べてあった。騎士の家系で、自身も騎士を目指していると。
つまり、彼がシルバにかけた言葉は全て騎士としての言葉でしかないのだと。
「……シルバ、それは……」
「それに……」
「!」
娘を諭そうとしていた父親だったが、言葉を続ける娘の目がぎらりと光ったのを見て話すのをやめた。
「あの方は必ずや上に行きますわ。
私、勝ち馬に乗るのは得意でしてよ」
「……」
シルバには昔から先見の明があった。
幼少期から、シルバの気に入った者は意外な才を発揮したり、逆に気に入らない者は裏切ってきたりしたこともあった。
「……それは結果的に、家のためにもなるということか?」
父親に問われ、シルバはどこかから取り出した扇子を父親に向けた。
「当然ですわ。ただの政略結婚などよりもよっぽどアーキライト家のためになることをお約束しますわ」
「……分かった」
もとより認めるつもりではあった。
一度こうと決めたら決して折れない娘でもある。
だが、一時の感情だけではないことが分かり、父親は安心とともに感動していた。
家のためも考えて動けるほどに娘は成長したのだと。
「シルバ……」
「なんですの?」
ならば、あと父親としてやるべきことは。
「やるならばしっかりやりなさい。
アーキライト家の人間として、何としてもその男を手に入れるのだ」
娘の恋を全力で応援するだけだった。
「ふふふ。お父様のそういう所、本当に大好きですわ」
シルバは広げた扇子で口元を隠し、優雅に笑った。
「ご安心を。私、欲しいものは自分の手で、必ず手に入れる主義ですもの」
「ああ、よく知っているよ」
そうして実際、シルバは猛アタックでジョンの心を手に入れた。
さらにジョンは新興国に家ごと移り、そこで騎士団として活躍して世界的に重要な祭りで警備隊長を務め、その功績から騎士爵の爵位を賜った。
父がアルベルト王国からそのまま引き継いだ爵位とは別に、個人で爵位を持ったのだ。
これで将来的に、自分の子供ふたりに爵位を継がせることが出来るようになる。
つまりアーキライト侯爵家は、勢いのある新興国の貴族に親戚筋を持つという強いネットワークを手に入れることが出来たのだ。
それはアルベルト王国の公爵家に嫁ぐよりもよっぽど価値のあるモノ。ゼン王太子に認められるのに十分すぎる材料であった。
「やれやれ。まさか本当にここまでのものを手に入れようとは」
「当然ですわ!」
後日、ふたりは高笑いしながらシルバのお気に入りの紅茶を楽しむのだった。
ちなみに、ジョンはシルバのそんな策謀には気付いていないが、シルバはジョンのそんなところも大好きなのだった。
「腹の探り合いも悪くはないけれども、やはり何も考えずに安心できるのが一番ですわ」
シルバはそうして、今日も紅茶を嗜むのだった。




