227.天使にもいろいろ事情があるみたいで
「ああ……俺はなんてことをっ。父上をこの手で殺し、兵たちを作り替え、多くの、実に多くの人の命を、奪った……」
正気に戻った皇帝さんは再び頭を抱えて項垂れた。
「彼には、完全に操られてからの記憶はありませんね。父親を殺した時点が、彼の最後の記憶です……」
皇帝さんから手を離したサリエルさんがいたたまれないといった顔をしながら解説してくれた。
「魔導機械兵のことを知っているということは、記憶はなくても自分が何をしていたかは理解しているのだろう?」
お兄ちゃん王子が剣を突きつけながら冷たい目で皇帝さんを見下ろす。
「……ああ。何となく、ではあるがな。
まるで覚めない夢を見ている感覚だった。
目覚めることのない悪夢。
我が兵を変え、嬉々として人を殺す。
世界から魔力を消して魔獣をも消す。
各国を侵略して世界を我が物とする。
それが全て、俺がやっていたことであり、やろうとしていたことなのだろう」
「……バラキエルさんは夢見の魔法で、未来視で視た世界の夢を皇帝に見せていたようですね。精神的に追い込んで盲信の魔法から逃れられないように」
ホントに、徹底的だったんだね……。
「そうだ。貴様の命令によって多くの血が流れ、多くの命が消えた。
我が国の民が犠牲になることもあった」
お兄ちゃん王子は剣を下ろしたりしない。
噂では、アルベルト王国でたまに行方不明者が出ていて、それが帝国の仕業なんじゃないかって言われてたらしいけど、どうやらその通りみたいだね。
「……俺は、許されざることをした。
アルベルト王国の王太子よ。連合軍の大将であるそなたに我が首を渡そう。
それでもって、我が帝国の民を許してやってくれ」
皇帝さんはお兄ちゃん王子の目をじっと見つめると、深く頭を下げながら首をもたげた。
お兄ちゃん王子が剣を振ればすぐにでもその首を落とせるように。
「……いいだろう」
お兄ちゃん王子はこくりと頷く。
帝国の人たちは、たぶんそのほとんどがもう魔導機械兵にされてる。もしかしたら全員が。
皇帝さんはそれを分かっているだろうに、彼らを帝国の民として扱ってほしいと。その上で、その者たちを生かしてやってほしいと頼んできたんだ。
魔導機械兵たちは今、お兄ちゃん王子の支配下にある。
ミカエル先生はそのままお兄ちゃん王子の私兵にはさせないと言っていたけど、今の様子を見るとあんまりその気はないように見える。
「……」
何だか、皇帝さんを見るお兄ちゃん王子の目が少し優しくなったように見えるから。
「……」
あたしには何も言えないね。というか、言うような立場じゃない。
拐われてた身だから、とかそんなんじゃなくて、これは戦争をしてた国の代表同士の話。
ただの貴族令嬢でしかないあたしが口を出していいものじゃない。
それぐらいは、あたしにだって分かる。
「……アルベルト王国第一王子にして王太子であるゼン・アルベルト・ディオスの名において、帝国の民の身の安全を保証することを誓おう。
帝国の皇帝よ。
何か言い残すことはあるか?」
お兄ちゃん王子が皇帝さんの首に剣を当てる。
「ない。
……いや、寛大な御心に深く感謝を。
それだけだ」
「……確かに聞き受けた」
お兄ちゃん王子が剣を振るう。
「っ!!」
一振りで皇帝さんの首は宙を舞った。
体からすごい勢いで血が吹き出して、少ししたらゆっくりと倒れていった。
帝国の終わり。
その姿は、それを象徴しているように思えた。
「……」
お兄ちゃん王子は剣を振って血を飛ばしてから鞘に戻す。
そして、つかつかと歩いて落ちた皇帝さんの生首を掴んだ。
「……ミカエル。ソレは任せるぞ」
「……はい」
お兄ちゃん王子は先生にそれだけ言うと、スタスタと部屋から出ていってしまった。
たぶん、首級を掲げて連合軍に勝利を宣言するんだろうね。
てか、全ての元凶たるバラキエルさんは置いてっちゃっていいのかい?
「魔導天使は王の双璧。
いくら悪事を働いたとはいえ、王族が魔導天使を裁くのは民への心証が良くありません」
「スケイルさん」
バラキエルさんに歩み寄るミカエル先生に代わってスケイルさんが説明してくれた。
どうやらクラリスとのラブラブタイムは終わったらしい。
お兄ちゃん王子が皇帝さんに集中してる間、こいつらお手て繋いでたからね。見てたよ、あたしゃ。
あとでお兄ちゃん王子にチクったろ。面白そうだから。
「でも、双璧ってことは相互監視でもあるんだろ? どっちかが悪いことをしたんなら、それを裁くのはもう片方なんじゃないのかい?」
ていうか、そうしないと面目が立たないやん。本末転倒ってやつやない?
「……貴女は、存外頭が悪くないですよね」
「……それって悪口やない?」
「いえいえ。心からの称賛ですよ」
「……」
嘘くささ100%の笑顔。
やっぱりこの人は先生の弟子で後継者候補とか言われるだけあるわ。もう一人のバカ弟子とは違って。
「定義上はそうですけどね。
民は王も魔導天使もどちらも慕っています。アルベルト王国においては特に。
他国の、それも帝国の魔導天使ならば問題はないかもしれませんが、王族が魔導天使を処罰したことがあるという前例を作ること自体をゼン殿下は回避したのでしょう。
それが後々、民に双璧への不信を招く可能性があるやもと危惧して。
ミカエル先生もそれを理解しているから素直に殿下の言い分に従ったのです。
身内の不祥事は身内で。
王族は基本的にそうしてきましたから、魔導天使もそれに倣うべきだと」
「なーる」
決まりではそうだけど民意はそうもいかないってことね。
印象ってのも大事だからね。分かるよ。
「……さて」
「……ちっ」
バラキエルさんは先生が改めてバラキエルさんに向き直ると、顔をあげて先生をきっと睨み付けた。
「……少々、やりすぎましたね。
占星術の堕天使バラキエル。
あなたの本来の役目は、こんなことをするものではないはずですよ」
先生がため息をつきながら言葉を落とす。
それは先生でも魔導天使でもなく、本来のミカエルという人の役割からの言葉のように思えた。
「……ならば。
ならばなぜ、神は俺に悲劇ばかり見せる」
「……」
バラキエルさんは握りしめた拳をわなわなと震わせる。
もう立ち上がることも、腕を上げることもできないほどに魔力を消耗してるみたい。
「世界は、すぐに終わる。
どこも、どこも、どの世界もだ!
時に人々に忠告してみても、奴らはすぐにそれを忘れて滅びを繰り返す!
あまつさえペテン師などと俺を蔑んで排除しようとさえした!
そして、人はすぐに世界を滅ぼす……。
俺だけを残して……」
バラキエルさんは吐き出すように言葉を発する。
心にわだかまっていたものを全て出し切るように。
「……」
先生はそれを黙って聞いてた。
まるで、懺悔を聴く牧師さんみたいに。
「俺は嫌気が差したんだ!
このままでは滅びると忠告しても、そのまま愚かな道に突き進む人々に!
科学だろうが魔法だろうが同じ!
奴らは結局、自分で自分たちを世界ごと滅ぼすんだよ!」
耳の痛い話だった。
実際、前の世界では心当たりなんてありすぎた。
この世界でもきっと……。だから皆も、あたしとおんなじような顔をしてるんだ。
いたたまれない、だけど、この人の言葉を聞き逃しちゃいけないって。
「だから俺は堕ちた。
天使の役目を放棄して、ただ、世界とその未来をぼんやりと眺めた。
そして、結局はどの世界もいつかは終わることが分かって、俺はさらに絶望した。
俺の役目に……俺自身に、意味はない、と」
「……」
「そんな俺が、再び天に召集された。
同じように闇に堕ちたこの世界を再生せよ。さすれば再び天へと昇らん、と。
俺は呆れたね。他の奴らはどうだか知らないが、俺は自分の役目が嫌で逃げ出したんだ。そんな仕事、俺はやるつもりはなかった。だから与えられた西の大地もほとんど放置していた。
まあ、それでも人も魔獣もそれなりに生きていたけどな。結局、俺たちなんてなくても世界は回るんだ。
……そして、勝手に滅びる」
バラキエルさんはなんだか寂しそうに見えた。
きっととんでもなく永く、もしかしたら永遠に終わらない命を持ってるんだと思う。
自分たち以外が結局は死んでいく、滅んでいく。
それならそんなのを導くお役目なんかに意味はあるのか。
バラキエルさんがそう思っても不思議じゃない気はするよ。
「……だが、ぼんやりと数多の世界の滅びを視てきて、俺はあることに気が付いた。
それは世界の滅びの原因だ」
「!」
それはちょっと知りたいかもね。
「結局は、圧倒的な力を持った個によって、世界の多くは滅びるのだ」
あ、そういやそんなん言ってたね。
「圧倒的な力を持った個とは何か。
それは魔法であり魔力だ。
どの世界においても突出した魔力を持つ存在が世界を滅ぼしてきた。
大切な者を守るため。
侵略者を撃退するため。
私利私欲のため。
世界に絶望したため。
その理由はさまざまだ。
だが、理由が問題なのではない。世界を滅ぼせるだけの力を持ってしまっていることが問題なのだ」
……たしか、前の世界の核兵器ってのは、世界中のそれを爆発させたら7回世界を滅ぼせるんだっけ?
それと同等以上の力を個人が持ってたら、たしかにそれはふとしたきっかけで世界が滅びかねないかもね。
「ならば、魔法のあるこの世界から魔法を、魔力をなくしてしまえばどうなる?
そう考えたとき、俺はもう動かずにはいられなかった。
そして、この世界に溢れる膨大な闇属性の魔力。それと他の属性の魔力とで対消滅させれば、この世界から魔力をなくせることが分かった。
……しかし、そこで俺の未来視はまたしても俺に絶望を視せてきた」
……ん? なにこっち見とん?
「肝心の膨大な闇属性の魔力。それを御せるのがまたしても個であることが分かったのだ」
あ、あたしか。
ん? そんときはお父様とお母様なのかな? ちょっと分からんな。
「そして、ソレがまたしても将来的に世界を滅ぼすと来たものだ。まったく、やってられんさ」
バラキエルさんは呆れたように笑った。
「だが、俺は今回を最後の挑戦として、何としてでも、どんな手を使ってでもやってやろうと思ったのだ。
そうして、俺は他の世界の科学を持ち込んだ。
魔法と科学の融合はどの知的生命体も行っていない技術。実現すれば、今まで出来なかったことができるはずだ」
「……まあ、人にそれをさせないために魔法と科学が共存しないよう、世界を管理してきたんですけどね。それをまさか、天使が破るとは……」
あ、そなんだ。
「そして俺は魔導AIを創った。魔法的なものを科学的側面でもって、科学的なものを魔法的側面でもって。そして、そのどちらの処理速度をも融合させて。
そうしたら答えが出た。
ルシファーたる資質を他者に移し変える技術。
魔導機械兵の、作り替える技術はその副産物だ」
バラキエルさんは実に楽しそうに語ってる。
それに、何としてでもすがるかのように。
「この世界から魔力をなくした未来。それだけは俺でも視ることができなかった。おそらく既定の未来ではないからだ。
定められた未来を脱した世界がどうなるのか。無惨な滅びを回避できるのか。
俺は、それが視たかっただけなんだ……」
そこまで語ると、バラキエルさんは急にしゅんって肩を落とした。
「……だが、その夢は潰えた。
その未来が視えなかったのは、結局そこにたどり着くことがなかったからなのか……」
バラキエルさんはそこで、困惑するような、すがるような視線をミカエル先生に向けてきた。
「……それに、なぜだ。
その娘が俺を殺さないと決めた瞬間、そいつがこの世界を滅ぼす未来もまた、視えなくなった」
「え!? そなの!?」
破滅ルート回避的な?
「……というか、この世界の未来を視ることができなくなった。
他の世界の未来は視えるから能力自体がなくなったわけではない。
こんなことは初めてだ。
この世界の未来は、確定されない……」
バラキエルさんはホントに困惑してるみたいだった。
初めて未来を視ることができなくて、どうしたらいいか分からないみたい。
「……もう、疲れた。
俺はもう天に戻る気もないし反逆するつもりもない。
もう、終わらせてくれ」
「……」
そういや、天使って死んだらどうなるんだろ。いや、普通は死なないのかな?
「なあ、ミカエル。
俺は、どうすれば良かったんだ?
悲劇しか視せてくれない神に、それでも盲目的に仕えて役目を果たせば良かったのか?」
「それは…………いえ、私の口から言うのはおこがましいというものですね。
神の御心は神のみぞ知る、です」
「ああ、そうだな。おまえはそういう奴だ」
バラキエルさんはまるで先生がそう答えるのが分かってたみたいだった。
未来視とかじゃなくて、長年の付き合いみたいなので。
「あのさ、バラキエルさん」
「……なんだ?」
あたしは思ったことを口にした。
「……その、たぶんなんだけど、バラキエルさんは悲劇しか視てこなかっただけなんじゃないかな。だって、バラキエルさんの固有魔法は未来視なんでしょ? だったら幸せに暮らしてる人たちのことを視ることもできたはずじゃん。
そりゃ、悲しい出来事の方が多いのかもしれないし、そういうのの方が目を引くのかもしれないけど、人って、たぶん思ってるよりちっちゃい些細なことにも幸せを感じるもんだよ。
たとえ最終的な終わりが滅びだったとしても、それでもそこに生きてる人たちには、たしかに幸せもあるんじゃないかな。
きっと神様は、いろんな悲劇を視てきたバラキエルさんに、そんな人たちの幸せを守ってほしくてそういう魔法を与えたんじゃないかな」
「っ!」
たぶん、あたしの思う神様ってのが想像通りだとしたら、きっとあの子はそういうふうに考えるような気がするよ。
「……ふっ」
おお。先生の意味深な笑みいただきました。
「……そんなこと、考えたこともなかった……」
うーむ。バラキエルさんはまあまあなネガティブさんだね。
「あ、そうそう。それとさ。膨大な闇属性の魔力なんだけど、ようはあたしが個人でそれをどうにかできちゃうから問題なんでしょ?
なら、それをどうにかできなくしちゃえばいいのよね?」
「……は?」
「ミサさん?」
「ふふふ。我に秘策あり、だよ」