211.カイルが大変なんだよ!
「カイル様っ!」
「触れ、ては、ダメ、だ……」
意識を取り戻したカイルにクラリスは飛び寄りそうになるが、カイルは折れていない方の腕を懸命に伸ばしてそれを制した。
クラリスの方から声をかけて接触を図ったため、カイルにはクラリスのことが認識できるようだ。
「……俺の、ことは、置いておいて、いい」
クラリスが止まると腕をだらりと下ろし、カイルは声を絞り出した。
「で、でもっ!」
「……これは、罠、だ。
俺の周りには、結界が……。
俺が、意識を取り戻す、ことも、考慮していて……俺の動きに、合わせて、結界も動、く。だが、外側からの接触に、は、強烈に、反応、する」
カイルに言われてクラリスはより深く結界を視た。
カイルの言うように、結界の内側にいるカイルがどれだけ動こうが結界はカイルを包んだままついて回り、外から何者かがカイルに触れようとすると入口に仕掛けられていた結界と同じ攻撃が結界内に起こる。
「……くっ」
カイルが傷付いた体で動き回るのは勝手にしろと。だが、それを見つけた誰かがカイルに触れようと、助けようとすると結界内にいるカイルは攻撃を受ける。発動すれば間違いなくカイルの命を奪うだろう。
『クソヤロウ!』
クラリスの影の中で、ジョンがカイルに対してそんな所業をした奴らに怒りを露にする。
「なら! 結界を解除してしまえば!」
「ダメ、だ。結界に異変が、あれば……ヤツらに感知、される。貴女はミサを、助けに来たの、だろう? ならば、自国を、優先すべき、だ」
「で、でも……」
カイルもまた、自分の置かれた状況を正しく理解していた。
自分はクラリスたちを足止め、あるいは侵入したことを感知させるためのエサ、なのだと。
なれば世界のため、ミサのために、喜んで礎となろう。
それが、カイルの心持ちだった。
「ス、スケイル。なんとかならないの?」
『……』
すがるような目で影を見下ろすクラリスだったが、対抗策が浮かばないスケイルにはそれに応えることはできなかった。
「……なる、ほど。影に、いるのか」
クラリスの所作でカイルはその影に仲間がいることを察する。
「スケイル、と言ったか。そなたなら、分かるだろう? 彼女を連れて、この場を、早く、去るん、だ」
『……カイル殿下』
カイルの矜持にも似た決意にスケイルは何か策はないかと懸命に頭をめぐらせる。
『……移動型の結界。結界内容物の干渉にのみ寛容。だが、他者からの接触には強烈に反応する……』
スケイルはぶつぶつと考えを口に出しながら考えていた。
どうにかしてこの人を生かせないかと。
スケイルは、カイルはこの先の世界に必要な存在だと感じていた。
自分やその利益だけでなく、世界全体を見て行動できる指導者。それが、世界にとってどれほど重要な存在か。
魔導天使の後継者候補とされるスケイルには、世界にとって重要な存在か否かというのも大事なファクターになっていた。
クラリスの意向を汲んであげたいという想いよりも、スケイルにはその気持ちが強く、何とかしてカイルを助けようとしていた。
『……んー、ねーねー。結界が一緒についてくるのに、たとえば地面に転がってる石ころとか壁とかは結界に触れても平気なの?』
『!』
そのとき、ケルベロスが何気なく放った言葉にスケイルは反応する。
『……なるほど。外側からの接触に反応する条件は何か、か。生物であるか否か。あるいは魔力を帯びているか否か……』
スケイルはもう少しで何かをつかめそうだったが、そのあと一歩が届かずにいた。
『んー、平気なんじゃない? じゃないと移動型の意味ないし。たぶん石とかはスルーで結界の中に入れるんじゃないかな』
『そっかー』
『!』
ジョンがケルベロスに返答した言葉でスケイルは思い付く。
『クラリス殿下! ミサさんのお菓子は持ってきてますか!?』
「え? ミ、ミサのお菓子? ごめん、ないや。え? お腹すいたの?」
『……そうですか』
クラリスの突然のスケイルからの質問に怪訝な顔で返す。
『あ、僕持ってるよー。お出かけするときはいっつもポッケに入れとくんだー』
『よし! それを出してください! あるだけ全部!』
『えー、スケさん独り占めするのー?』
『いいから!』
『ぶー……』
スケイルの迫力に負けて、ケルベロスはしぶしぶポケットからミサが作ったクッキーを取り出した。巾着型の袋に入れられていて、中には10枚近くのクッキーが入っていた。
『クラリス殿下! これを!』
「え? わっ!」
影から飛び出してきた袋にクラリスは慌てて隠密魔法をかけて受け取る。
「……ミサのクッキー?」
クラリスをそれを改めて見て首をかしげる。
『それを、地面に置いてください。そして我々はその場を離れ、カイル殿下に自力でそこまで移動していただき、クッキーを食べてもらいます』
「……あ、そっか。ミサのお菓子は……」
『そうです』
クラリスもスケイルの意図を察する。
クラリスたちはポーションなどの傷薬の類いを少しだけ持ってきていたが、基本的にはクラリスとスケイルが治癒魔法が使えるので気休め程度にしか用意がなかった。連合軍本隊の方にも入り用で在庫が確保できなかったのもある。
そして、クラリスたちの持つポーションではカイルの傷は到底治すことなどできなかった。
「……なん、だ? それは?」
カイルはクラリスが床に置いた袋を訝しげに見る。
「これはミサが作ったクッキーです」
「……?」
「ミサの作ったお菓子には、上級ポーション以上の効果があります」
「……は?」
このことはアルベルト王国内でもごく一部の者しか知らない極秘事項。カイルが信じられないといった表情を見せるのも当然だろう。
だが、カイルはすぐにふっと顔を綻ばす。
「……この状況で、気休めでも、そんな嘘は、言わない、か。それに、ミサなら、本当にやりそう、だ」
カイルはミサなら最早なんでもありだと解釈したようだった。
「はい。そして、これは外身だけでは魔力を帯びているか分かりません。つまり、結界内に取り込んでも結界は反応しないのです」
「はは……なんだ、それ……」
カイルは最早本当に何でもありなミサに笑うしかなかった。
ミサのお菓子は一種の封印術だった。
膨大な闇属性の魔力を練り込み、お菓子の中に封印する。
ミサが無意識下で行っていた『練り込む』というイメージが、外からは魔力を感じさせない特殊な術式となって顕現した形となる。
本人はまったく意識していないことだが、それが今回は最大限役に立ったことになる。
「……こんな、嘘みたいなものを、もらって、いいのか?」
「……」
カイルの探るような瞳をクラリスはまっすぐに見つめる。
おそらくは一度に大量に作れるであろう、最上級ポーションと同等の価値を持つもの。
それは他の国からしたらとんでもない驚異でしかない。
最上級ポーションといえば、死んでさえいなければどんな状態でも元の状態まで回復させることができる奇跡の秘薬。それこそ、ひとつの国にひとつあればいい方。
それを、アルベルト王国は大量に、しかも短期間で用意できる。
それを、マウロ王国の次期国王である自分に教えていいのかとカイルは問うているのだ。
「もちろんです」
しかし、クラリスはそれに微塵も躊躇いを見せなかった。
「優先すべきは人命。そこに何の勘繰りや打算がありましょう。
それに我が国でもこれの量産の目処は立っていません。ミサがそういうことのために作るのを嫌がっているし、あの子は、嫌だと言ったことはたとえお兄様に言われてもやらないですから」
「……ふ」
クラリスに答えはカイルが納得するには十分だった。
ミサとは、そういう女だ。
カイルはミサとはそんなに長い付き合いでもないが、その人とナリは理解しているつもりだった。
「それに、ミサならきっとそうします。ミサの作ったものなのだから、ミサがするであろうことに使うべきです」
「……あんたも、たいがい、良い女、だな。すべてが、終わったら、俺の嫁に、どうだ?」
『なっ!!』
穏やかに微笑むクラリスに、カイルは重傷の身でありながらそんな冗談をとばす。
「ふふふ。ご冗談を」
しかし真に受けているのはスケイルだけで、クラリスはそれをやんわりとかわす。
「あなたが側室に迎えているのが、そうしなければ救えない者たちなのだということは知っていますよ。そして、私はそれではありません」
「……はは」
弱者救済のために婚姻という手段を使って一族ごと民を救っているカイル。その企みを見抜かれていたカイルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……分かった。ありがたく、いただこう」
どうやらカイルはミサのお菓子を受け取ることにしたようだ。
「だが……この結界には、状態変化を、感知する効果も、ある……だから、君たちは先に、行っててくれ……ギリギリまで、様子を見て、いただくと、しよう……」
「……わかりました」
カイルの状態が変化すると結界の主にそれが伝わる。つまり、カイルが死んだりケガが治ったりするとそれがバレる仕様なのだ。
ポーションは魔力を帯びているので今回と同じ方法は使えないのだが、この結界を張ったバラキエルは何らかの方法で結界に触れずにカイルを治療する可能性があることも考慮していたようだ。
「では、もう行きます。あまり無理に我慢はしないよう」
「……ああ。ミサ嬢と、サリエルを、頼む」
クラリスはそれならば急がないと、とすぐにそこから離れ、先へ進んだ。
自分たちが早くミサたちを助け出さないとカイルはきっとクッキーを食べない。
クラリスはそんな予感がして、急いで城の上階へと走っていった。
「……ふう」
カイルは手を伸ばして置かれた袋を手に取る。中を覗くと、ごく普通のクッキーが入れられていた。
状況が状況でなければ到底信じられないほど、それは普通のクッキーだった。
「……あれだけ誠意を見せられると、なんだか少し申し訳なくなるな」
そのクッキーを1枚取って持ち上げながら、カイルは壁に寄りかかる。
心なしか、先ほどよりも症状が軽くなっているようだった。
「……ま、動けなかったのは事実か」
そのクッキーを袋に戻し、カイルは自分の手のひらを見つめた。
カイルは死なない。
いや、死ににくい、が正しいか。
彼の体には不死鳥アナスタシアの血が混じっている。
彼女のように不死にはならずとも、それには自然治癒力を強化する効果があった。
さんざん痛め付けられたカイルであったが、その傷は本当に少しずつだが、治ってきていた。
「……とはいえ、これでは動けるようになる頃にはすべてが終わっていた。結局は、コレの世話になるんだろう」
カイルの治癒力は本当に微々たるものだった。そのまま痛め付けられていたら死んでしまっていたであろうほどに。
「……タイミングだな。
これだけ世話をしてもらったクラリス王女に迷惑はかけられない。バラキエルに彼女たちの存在がバレることがあれば、そのときはこれで一気に回復して助けに行こう」
そう言いながら、カイルは折れた足を庇いながら何とか体を起こし、ヨロヨロと立ち上がる。
「……そのためにも、できるだけ近づいておくか」
カイルは足を引きずりながら、少しずつクラリスたちのあとを追うことにしたのだった。