201.ああ。愛しのクラリスたんがあたしの真似だってさ。尊いねぇ
「……そろーりそろーり」
「ミサの真似?」
「……バレた?」
「……はぁ。もう少し緊張感を持ってください」
帝国に侵入し、アルビナスたちと分かれたクラリスたちは一路、城への道を進んでいた。まだ森の中とはいえ、帝国の人間には一度も見つかってはいけないため、クラリス、ジョン、スケイル、ケルベロスの4人は慎重に歩を進めていた。
「緊張感なら嫌ってほど持ってるわよ。あんまり緊張しすぎてヘマしないように場を和ませたんじゃない、ね?」
「……っ」
クラリスがスケイルにウインクを放つ。
「……なるほど、さすがはクラリス殿下です」
「でっしょ~」
スケイルには効果バツグンだ。
「……あれ? まさかの俺がツッコミなの?」
簡単に篭絡されたスケイルにジョンはついていけなかった。
「んー、まだ大丈夫だよー。この辺、人っ子一人いない」
前を歩くケルベロスが鼻をひくつかせながらクラリスたちに声をかける。
「……てか」
「ん? ケルちゃんどうしたの?」
前を行くケルベロスが首をかしげたのを見てクラリスが追い付く。
「人間どころか魔獣も、動物一匹さえいない。静かすぎるよ、この森」
「そういえば、帝国の森に入ってから鳥の声も聞こえなくなったわね」
まだ太陽が上に昇りかけている昼前。
そこまで木々が密集しているわけではないにも関わらず、アルベルト王国と隣接する帝国の森はやたらと暗く感じられた。
「……少し、視てみましょうか」
スケイルはそう言うと感知結界を展開した。
感知結界は結界内にいる人やモノの動きを把握できるが、魔法を使う者がその結界内にいるとその者には感知結界が展開されたことが分かってしまう。
そのため、今はクラリスもスケイルも感知結界を使わずにケルベロスの鼻に頼って移動していたのだ。
「……なるほど。たしかに、この森には人間も魔獣も、鳥の1羽さえいませんね」
スケイルは森一帯に拡げた感知結界でこの森には生物がいないことを読み取った。感知結界の広さは使う者の力量によるが、スケイルはこの森の広さならば余裕でカバーできる大きさを展開できるようだ。
「……それってどういうことかしら」
いかに帝国が統制の取れた国家であっても魔獣や、ましてや鳥や小動物に至るまでを完璧に管理することはできないだろう。
「……うーん。たとえば忌避系の魔法を使って端から端まで生物を追いやったとか?」
ジョンが腕を組みながら考えを話す。
匂いや音波など、動物を近寄らせないための魔法はいくつか存在する。
「わざわざそんなことする? 忌避系は継続魔法じゃないから誰かが交代交代で延々使い続けないと戻ってきちゃうと思うけど。それに、今は何らかの魔法が使われてる感じはしないしね」
「うーん、そっかー」
クラリスの光属性には感知系の魔法が多い。魔力が作用する魔法がこの森に使われていれば、クラリスならばすぐに気付いただろう。
「……もしくは、すべて殺されたか、ですね」
「……そ、そんなことするかしら」
「さすがに酷すぎない? てか、狩りきっちゃったら自分たちの獲物もなくなっちゃうけど」
スケイルの推論をクラリスとジョンは青い顔をして否定する。森で動物を狩って食糧とすることも多いこの世界でそんなことをする意味がないのだ。
「……うーん。もしそうだとしても魔獣まで全部倒すのは難しいんじゃないかなー。さすがに帝国兵に被害が出過ぎるだろうし、長の統制の元にいない野良の魔獣はけっこう人間の国境関係なしにあっちこっち行くから、まったく生物がいない今のこの森ってのが本当にあり得ない状況なんだよね」
実際、魔獣と人間の実力はかなり拮抗していた。特殊な魔法に人間を遥かに超える身体能力、それでいて知能レベルの高い個体も多い。
人間が魔獣たちの侵攻を防げているのは対策が防衛に特化しているからだと言える。また、魔獣が全力でもって人間を滅ぼそうとしていないからだと唱える者もいた。
互いの領域に踏み込みすぎずにいることで両者は均衡を保っているのだ。
それを一方的に蹂躙して森を無人にするというのは、徹底管理によって独自の戦形を持った帝国でも難しいだろう。
「そうよねー。ミカエル先生とかシリウスお兄ちゃんとかが普通に単騎で何体も討伐したりするから忘れがちだけど、魔獣って1体を軍の部隊が包囲して退治するものだもんね」
「そうそう。俺は1人で魔獣を倒すなんて出来る気しないもん」
ジョンがやだやだと腕を抱える。
「……でも、何らかの方法でこの森を無人にしてたとしても、今はここに何の魔法もかかってないんだ。つまり、ここに魔獣や動物たちが入ってこないようにせき止める、あるいは命令することが出来るヤツがいるってことだよ」
「そんなこと出来るの?」
「……出来なくはないよ。アルベルト王国なら、僕がそう命じれば魔獣たちは指定した場所には行かないから」
「……それはつまり、帝国の魔獣の長が帝国に協力している、ということですかね」
「わかんない」
「だとしたらけっこう厄介よね。ケルちゃん。帝国の魔獣の長ってどんな人なの?」
クラリスに尋ねられるが、ケルベロスは首をかしげた。
「んー、分かんないんだよね。長同士はたまに顔合わせをしたりするけど、帝国の長だけは毎回現れないんだ。南のリヴァイアサンとかなら何か知ってるかもだけど」
「そっか」
「でもさ、なんで帝国はこの森を無人にしてるんだろうね」
ジョンが改めてしんとした森を見回す。
森には相変わらずジョンたちの声だけが響いていた。
「……我々を迎撃する際に邪魔が入らないため、とかですかね」
「……だったら嫌ね」
「たしかに」
クラリスとジョンが誰もいないはずの森を不安げにキョロキョロと見回す。
が、やはりそこには誰もいなかった。
「……何にせよ、警戒だけは怠らないように行きましょう」
「そうね」
「ケルベロス。何か異変があったらすぐ教えてね」
「おっけー」
『……』
そうしてクラリスたちは薄暗い森の中を進んでいった。
そんな彼らを見張るのは無機質なレンズ。
魔法的な作用はなく、ケルベロスが嗅いだことのない極端に匂いの少ない物体。
彼らがそれに気が付かないのも無理はなかった。
一方、魔法や匂い以外の感知能力を持つ彼女たちは、それにいち早く気が付いていた。そして、気が付いたが故にそれも彼女らを迎撃するために稼働を開始したのだった。
「な、なんだ、これは」
「鉄、の混ざった人間、でしょうか」
「……でも人間の匂いがほとんどしないわ。こうして動くまではたぶんケルベロスの鼻でさえ分からないほど」
「……人間、だったもの、かもなのです」