195.皇帝はやっぱクズヤロウだね
「……う」
「殿下……大丈夫、ですか?」
時は少し遡り、カイルとサリエルが帝国の城の最上階に連れていかれる前。
地下牢に投獄されている2人は帝国兵によって痛め付けられていた。
否、実際には痛め付けられているのはカイルだけ。サリエルはそんな王子の様子を間近で見せつけられているのだった。
「……あ、ああ。問題、ない」
今は小休止として帝国兵たちは退出し、牢には鎖で繋がれた2人だけだった。
カイルは口ではそう言っているが、だいぶ参ってきているのはサリエルからすれば明らかだった。
「あいつらっ……!」
サリエルがギリリと拳と唇を噛みしめる。
「おやおや。ずいぶん無様になったものだなぁ。しかし、やはり牢は臭う」
「……おまえは」
そんな2人の元に現れたのは新たに皇帝となったその人だった。
皇帝は銀色の髪を撫で付けると、鼻を摘まみながら牢に入ってきた。傍らには武器を持った帝国兵の姿がある。
「貴様! 話が違う! 殿下には手を出さないのではなかったのですか!?」
「サリエルよせっ!」
皇帝の顔を見るなりサリエルが噛みつく。
だが、2人を繋ぐ鎖は魔力の使用を許さず、まさに吠えることしかサリエルには出来なかった。
「んー? それはバラキエルが言ったことであろう? 余は貴様らとそのような約束をした覚えはないぞ?」
「……貴様っ!」
とぼけたような表情をしてみせた皇帝にサリエルは飛び付こうとするが、拘束する鎖がそれを許さない。
「……おまえ。少し無礼が過ぎるぞ。おまえらの命は余の気分次第だということを忘れるなよ」
「……くっ」
「……」
皇帝が感情のない顔でそう言い放つとサリエルは口をつぐんだ。これ以上、カイルに負担をかけたくはなかったのだ。
「……ふむ」
そんなサリエルの様子を皇帝は不思議そうに見つめる。
「おまえ、少し変わっているな。魔導天使は王と同格。そこに協力姿勢はあっても忠心はない。なのにおまえはその王太子を殿下と呼ぶ。
なぜそこまでへりくだる?
魔導天使はその立場を確立するために陛下や殿下という呼び名を使わないと聞いたぞ?」
「……」
この尊大な皇帝に対してでさえ対等な口を聞くバラキエルのように、通常、魔導天使は自身の上に人間を置かない。
普段は王の立場を尊重するために人々の前では王に対して丁寧な対応を心掛けているが、そこには気の置けない関係性が存在していることが多い。王からしても幼少期から側にいて、かつ気を使わなくても良い存在ということで魔導天使のその態度を認めている王がほとんど。それは皇帝でさえ例外ではない。
彼らの話口調のほとんどが丁寧なのは、彼らのもともとの礼節によるものである。
サリエルは皇帝に問われたが、うつむいてそれに答えようとはしなかった。
「……ふむ。まあいいだろう」
サリエルの無言は不遜とも取れる態度だったが、皇帝はそこまでの興味を示さなかったようだ。
「それよりもサリエル、と言ったか。
おまえ、隣の王太子を救いたいか?」
「!」
「……」
皇帝からの思わぬ言葉にサリエルが顔を上げる。カイルにはそれが交渉であることが分かっていた。サリエルも本来ならばそれぐらいすぐに合点がいっただろうが、今の彼には正常な思考を行うだけの余裕は残っていなかった。
自分が育てたと言っても過言ではないほど幼少期からともにいたカイルが酷い目に遭っているのだ。冷静でいられないのも仕方ないことだろう。
「……どうなんだ?」
「……是非もなく」
再び問われ、サリエルはすぐに頷いた。
どんなことを言われようが、自分はそれにすがるしかない。
1秒でも早くカイルをこの状況から抜け出させたいサリエルはそう盲信するしかなかった。
「……サリエル」
それが皇帝やバラキエルによる誘導であることに気付いているカイルは悲しげな目でサリエルを見やることしか出来なかった。
「いいだろう。では、そいつの代わりにおまえが犠牲になれ。これから余がかける催眠魔法に抵抗するな。
そうすれば、すべてが終われば王太子は必ず解放すると約束しよう」
「サリエル! ダメだ!」
「貴様は黙っていろ!」
サリエルを止めようとするカイルに、皇帝の側に控える兵が鞭を振るう。
「ぐっ!!」
「殿下っ!」
鞭を受けたカイルは項垂れ、サリエルは思わず声を上げる。カイルの体には痛々しい痕がまたひとつ増えた。
「ふん。おまえがごねればまた王太子の体に傷が増えるぞ」
そう言って2人を見下ろす皇帝の目は到底、人に向けるものではないようにサリエルには思えた。
「……もうひとつ」
「ん?」
「もうひとつ、約束してください。
私が従えば、殿下を解放するまで殿下には手を出さない、と」
「……サリエル」
皇帝に嘆願するサリエルをカイルは悲しげに見つめる。
罠だと分かっている。
分かってはいても、サリエルにはもう他に救いを見いだせなかったのだ。
「……ふむ。まあいいだろう。
そいつが余計なことをしない限りは痛め付けないことを約束しよう」
「……それは、本当ですね?」
「ああ。余は約束は守る。極力な。
そちらが約束を違えなければ、だが」
「……」
「……」
「……分かり、ました」
「サリエルっ!」
皇帝とサリエルはしばらく見つめあったあと、やがてサリエルがこくりと首肯した。
「……ふっ。やはりおまえは魔導天使としては変わっているな。ずいぶん人間くさい」
「……」
魔導天使が本物の天使であることをこの世界の人間は知らない。当然、ミカエル以外の魔導天使が堕天使であることも。
だが、皇帝は彼らに人ならざる何かを感じているようだった。
「よし。では成立だ。おまえにはしばらく眠ってもらう。
王太子には、そうだな。風呂と着替えと十分な食事も用意しよう」
「……お心遣い、痛み入ります」
「……ふん」
自分にへりくだる魔導天使を皇帝はつまらなそうに見下ろす。まるで、サリエルに対する興味を失ったかのようだった。
そして、その視線を今度はカイルへと向ける。
「……こいつをこんな風にしたのは貴様だ。王と魔導天使は対等でなければならない。互いに利用し、利用されるために共に在る。
それが正しい関係性だ。
こいつらと心を通わせ過ぎた結果、悪手としか思えないようなものにもすがるしかなくなる。
すべては魔導天使という存在を堕落させた貴様の責任だ」
「……」
皇帝に自らが痛感していたことを正しく指摘され、カイルはうつむくしか出来なかった。
「殿下……」
「……【催眠】」
「うっ……」
悲しげな表情でカイルを見つめるサリエルに、皇帝はこれ以上見ていられないと催眠魔法をかけた。
サリエルはそれを抗うことなく受け入れて、深い深い眠りにつく。魔力は使えなくとも、魔導天使の抵抗力ならば本来ならこの程度の状態異常の魔法は効かない。
皇帝は揺さぶりをかけ、交渉することでサリエルにそれを受け入れさせたのだ。
「……サリエル」
力なく鎖にぶら下がるサリエルをカイルは悲しげに見つめる。
「さて、ではさっそく最上階に行くとするか」
皇帝は兵に命じて2人の手首につけられた鉄枷はそのままに、鎖を外させた。どうやら魔力を封じる効果があるのは鉄枷の方のようだ。
力なく床に倒れたサリエルを兵が持ち上げて肩に担ぐ。
「……貴様も来るといい。それともそいつと同じように担がれたいか?」
「……」
皇帝に問われ、カイルは痛む体に鞭打って立ち上がる。
皇帝はその姿を見てからくるりと振り返り、かつかつと歩きだした。
サリエルを担いだ兵もそれに続く。
「……っ!」
後ろから兵に小突かれたカイルも何とかそれに続くように歩きだす。
「……」
さして期待していたわけではないが、カイルに対して風呂やまともな食事を与えることをサリエルと約束していたはずなのに、皇帝がさっそくそれを反古にしたことに、カイルはやはり皇帝は信用できないと判断する。
「……」
そして、カイルは自分の前後にいる帝国兵にもこっそりと目を走らせる。
目に光がなく、まるで意思を感じない人形のような帝国兵。それはカイルを鞭で打っているときでさえそうだった。
『彼らは、もはや人としての感情を持っていません』
カイルはサリエルがそう言っていたことを思い出す。
人の感情や心を読むサリエルがそう言うのだ。それはやはりその通りなのだろう。
「……」
カイルは皇帝の目的の完遂に、この世界の終わりを感じていた。
自分が何とかしないといけないとは思いつつも、自分の無力さにカイルは嘆くしか出来ないのだった。
「よくぞ参られた。アルベルト国王」
「久しいな。スノーフォレスト国王」
ところ変わってスノーフォレスト王国。
アルベルト国王はスノーフォレスト王国の国王と面会していた。
「状況はそれなりに把握している。
我が国は彼女に国を救ってもらった恩がある。その彼女のためとあらば助力は惜しまないつもりだ」
「……話が早くて助かる。
有難い言葉に心より感謝を」
力強く応えるスノーフォレスト国王にアルベルト国王は頭を下げる。
「できれば貴国の魔導天使殿にも助力願いたいのだが可能だろうか」
「それは問題ないだろう。イノスが頼めば奴は断るまい」
スノーフォレスト国王はそう言って意地悪そうに笑った。
「ああ。そうか。サマエル殿はイノス王子を溺愛していたな」
それを受けてアルベルト国王も苦笑する。
対等なはずの魔導天使をここまで御しているのはスノーフォレスト国王ぐらいだろう。
「我が国はまあいいとして、問題は南だろう?」
「……ああ」
探るようなスノーフォレスト国王にアルベルト国王は神妙に頷く。
その表情でスノーフォレスト国王はこれからのアルベルト国王の苦難を察する。
「王は何とかなっても魔導天使の方がな。あれはなかなか頑固だ」
「ああ。気持ちは分からないでもないから余計にやりづらい。
だが、彼の力はどうしても必要だ。そのためならば俺はどんなことでもするつもりだ」
「……」
スノーフォレスト国王はアルベルト国王の意思の強さを感じた。
「……ふむ。こちらからも、できるアプローチはしてみよう」
「助かる。よろしく頼む」
こうして、舞台は少しずつ整っていくのだった。




