189.月夜におバカな婚約者と……そんでね、あたしはまた……
「……んで、話ってのはなんなんだい?」
学院の門の前で2人で夜空に浮かぶ満月を見上げる。
ようやく動揺していた心が落ち着いてきたから話とやらを聞こうと思ったんだけど、
「……」
月を見上げたままピクリとも動きゃーしないよ、このバカ王子は。
え? なに? 生きてる?
立ってまま寝てんの?
「……おーい、バカ王子?」
「……」
「……?」
声をかけるとバカ王子は下を向いた。
いつもなら「バカとはなんだ!」とかって向かってくるのに、そんなに静かにされるとなんか調子狂うね。
「……ミサ」
「ん?」
少しして、シリウスはようやく口を開いた。
そういや、ちょっと前まであたしのことをなぜかフルネームで呼んでたのに、いつの間にか名前だけになってるね。
「……今回の帝国への潜入、おまえは行かないでくれないか?」
「へ? なんでさ?」
なにを言い出すかと思ったら、またいったいなんでそんなことに?
そもそもの言い出しっぺはあたしなんだけど。
「……ミサが来れば、魔獣を従えているのが確実にミサだと帝国にバレる。ケルベロスたちは必ず、まずおまえを守ろうとするだろうからな」
「……まあ、そうだろうね」
契約した相手を守ろうとするのは魔獣の本能だって、前にアルちゃんも言ってたし。
「……そうなれば、まず間違いなく帝国はおまえを狙ってくる。
魔獣は人類共通の脅威だ。
魔獣がいるからこそ人類は人類同士での大規模な戦闘行為に出られないと言っても過言ではない」
実際、この世界では国同士の大きな戦争ってのがまだ起きてないらしい。国ができる前はそこここで小競り合いはあったみたいだけど、いまは条約を結んだり互いに牽制したりして均衡を保ってる。
なぜなら、戦争とかして戦力を消耗したら魔獣を抑えられなくなるから。
いまでこそ魔獣の長の統率のもと、ある程度の住み分けをして安定を保ってるけど、逆に長の統率があるからこそ、人類が弱った隙に一気に国を滅ぼされる可能性もある。
つまり、この世界は自分の国と他の国と魔獣とでうまい具合に均衡が保たれてるってわけ。三竦みってやつだね。
だからこそ魔獣を懐柔し、飼い慣らせることのできるあたしは特殊な存在なわけで、言い方を変えれば世界のあり方を変えかねない厄介な存在ってことらしい。
「兄上はミサを手元に置くことでミサの存在を良しとした。自分たちの利となるなら殺す必要はないと判断したわけだ」
お兄ちゃん王子はああ見えて野心がすごいわけじゃない。
ただ、自分の国を守りたいだけ。
そのための手段を選ばないってだけ。
「……兄上は、もしミサに自分の固有魔法が効いたら、もしかしたら世界を支配しようと思ったかもな」
ようは、国を守る一番手っ取り早い方法は世界全部を自分のものにしちゃえばいいってことね。お兄ちゃん王子の能力ならほとんど全ての人を操ることもできるだろうから。
でも、あたしにお兄ちゃん王子の固有魔法は効かないらしい。先生はそれを契約の力による部分が大きいって言ってた。
お兄ちゃん王子に操られちゃうとあたしの魂にお兄ちゃん王子の意志が介在しちゃうから、魔獣とその契約とが精神支配から護ってくれるんだって。
「……で、もし帝国がミサのことを知ったら、まず間違いなくミサを自分たちのものにしようとするだろう。周りの人間の命を人質にしてでも……」
前に先生が演習という名のドッキリ企画で言ってた理由と一緒だね。
「……さらにそうなると、今度はそれに兄上が黙ってはいないだろう。
『敵の手に渡る危険性があるのなら、そんな力はない方がマシだ』
兄上なら、そう判断するだろう」
「……うん。そんな気がするよ」
たとえ先生やシリウスが帝国からあたしを取り返しても、今度はお兄ちゃん王子からも命を狙われることになりかねないってことね。
「……だから、おまえは一度たりとも危険な目に遭ってはいけないんだ」
……まあ、もうすでに毎回のように危険な目には遭ってるけどね。
「……今回の帝国への潜入では何が起こるか分からない。だから、ミサにはこの国で大人しくしていてほしい。
アルベルト王国内なら兄上もミカエルもいる。2人がいる限り、ミサに危険が及ぶことはないだろう」
そうだね。その2人が揃ってるとか無双感ハンパないよ。
「だから……」
「……言いたいことは分かったよ」
「じゃあっ!」
シリウスは嬉しそうにこっちを向いた。
さっきまで苦しそうな顔でうつむいてたくせに。
でも……。
「……それでも、あたしは行くよ」
「な、なぜだっ!?」
シリウスは完全に解せぬって感じの顔してる。
まあ、そりゃそうだよね。
ここにいれば安全なのに。わざわざ自分の命が危なくなるようなトコに行こうとしてるんだから。
「……みんなが行くのに、あたしだけ行かないわけにはいかない。
それにアルちゃんたちはあたしが行くから行くんだ。あたしが行かないならアルちゃんたちも行かない。
でも、今回の潜入にアルちゃんたちの協力は必須なんだろう?」
帝国の人に気付かれることなくお城の地下に潜り込むなんてかなりの無理ゲーだ。それをしようって言うなら三大魔獣の能力は絶対に必要なはず。そのために先生は3人とも帝国に行けるように手を回したんだしね。
「……ミサのためだと言えば、あの3人は行ってくれるだろう?」
「……それはダメだよ。あたしは3人を利用したくない。3人があたしのことを慕って守ろうとしてくれるのは嬉しいけど、それじゃ、ただその好意を利用してるだけだ。
あたしは、そんなことはしない」
「……ふっ。おまえらしいな」
シリウスはふっと笑うと、手のひらをこっちに向けてきた。
「……どういうつもりだい?」
その手がバチバチと帯電する。
「……悪いが、少し眠っていてもらう。
起きたときにもう皆が出発していたら、さすがに後を追おうと思うほど愚かではないだろ?」
「……ふーん。まあいいけど。やってみれば?」
「!」
あたしが両手を広げてやると、シリウスは驚いたような顔をした。きっとここまで脅せばさすがに引き下がるだろうって思ったんだろうね。
「……くそっ。後悔するなよ」
シリウスはこちらにかざした手のひらから電撃を飛ばした。
放たれた電撃は目で追えないほどの速さであたしのもとまで来ると、あたしにぶつかってそのまま霧散した。
「なんだとっ!?」
感電したあたしが気絶すると思ってたシリウスはびっくりしてるようだった。
「……あたし、攻撃魔法はさっぱりでね。どれだけ頑張ってもぜんぜん覚えらんなくて。
んで、先生がしょうがないから闇属性の身を守る魔法を教えてくれたんだよ」
初級の闇魔法さえなかなか覚えられなかったあたしが何とか覚えた魔法。
「……魔力淘汰か」
「……さすが、腐っても生徒会長だね」
バカだけど、成績はちゃんといいんだよね。
「……たしか、自分よりも弱い魔力による攻撃を無効化する魔法。
戦闘をすれば魔力は減るし、実戦では使いどころのないものだと思ったが……」
うん。先生もそう言ってたよ。
「……あたしはアルベルト王国の三大魔獣に加えて、スノーフォレスト、リヴァイスシー、マウロ、それぞれの魔獣の長とも契約してる。
契約してるってことは、みんなから少しは魔力を借りられるってことで。
つまりあたしはいま、持ち前の他の人より多い魔力に加えて、契約した長たちからの魔力も持ってるってわけ」
「……っ」
その魔力を少し解放すると、あたしの周りに凄まじい魔力がめぐる。
「攻撃に使えないから別にこんなにたくさんの魔力があっても意味ないって思ったけど、この力でみんなの盾になることぐらいはできる」
敵の魔法は完全に無力化できるからね。
その間にみんなが剣やら魔法やらで敵を倒せばいい。
まあ、見つからないことがベストだけどさ。
「……つまり、あたしは帝国に捕まったりしないから安心しなよってことさね」
魔力をおさめると、あたしの魔力のプレッシャーに押されてたシリウスがなんとか持ち直す。
「し、しかし、魔法が効かなくても物理は通るのだろう? それならば、その辺の一般兵相手でさえ危険ではないか」
「まあね。でもそれは、あんたが守ってくれるだろ? 婚約者様?」
「う……ぐ……。ま、まあな」
ちょっと攻めてやれば真っ赤な顔でそっぽ向いて偉そうに頷く。
ホント、面白い婚約者様だよ。
「ま、そんなわけだから、明日はよろしくちゃんね」
怯んだ隙に逃げよ。
ガラでもないことしたらあたしも恥ずかしくなってきたわ。
あたしはくるりと背を向けると逃げるように歩きだした。
ホントはアルちゃんと馬車を門で待たなきゃだけど、逃げなきゃこいつずっといそうなんだもん。
ちょっと逃げて、様子見てまた戻ってこよ。
「あ、おい!」
「!」
なんだかついてきそうな気配を感じて、くるりと振り向く。
またUターンするんだからついてきたら困るのよ。
「なに? ついてくるならお手て繋いじゃうよ」
「んなっ! なななななっ!」
ほっぺを膨らませて手を出せば、シリウスは真っ赤な顔で立ち止まる。
よし、いまがチャンス!
「なんてね! ばいびー!」
「あ! まてっ!!」
シリウスが動揺した隙に全力ダッシュ!
風になれ!
「……はぁはぁ。
なんとかまいたかね」
しばらく走ってから振り返るとシリウスはいなかった。
「はー、疲れた」
立ち止まって肩で息をする。
夜風が火照った体を冷やしてくれるのが心地いい。
「……ずいぶん走っちゃったね。もうアルちゃん戻ってきちゃったかな。早く戻んなきゃ」
ふと我に帰ると、とっくに学院の敷地の外にいることに気付く。
緑豊かな風景は夜になると、真っ暗で誰もいない静かな世界になる。
「……戻ろ」
なんとなく寂しさを感じて、あたしは踵を返した。
「あ、アルちゃんに念話しとこっかな」
アルちゃんが戻ってきてたら心配するだろうし、迎えの馬車にも待っててもらわなきゃだからね。こういうとき念話ってのは便利だね。
『もしもーし! アルちゃーん』
あたしはチャンネルをアルちゃんに合わせて念話を送った。
「……あれ?」
送ろうとした。
でも、
「……ん?」
『アルちゃーん? 聞こえる~?』
アルちゃんに念話が届いてる感じがしない。
向こうが受け取ってないっていうよりは、
「……こっちが、送れてない?」
なんでだろう。
念話が送れない。
「ようやく1人になったな」
「!」
急に後ろから声が聞こえて、慌てて振り返る。
「だ、誰だい!?」
そこには見知らぬ男の人が立ってた。
「どれだけチャンスが来るのを待ったことか。
学院の結界の範囲外で、かつ魔獣のお供がいない瞬間。
まさかここまで厳重に護られていたとは」
「……」
男の人はぼそぼそと淡々としゃべる。
なんだか感情のないロボットみたいだ。
黒い髪に黒い瞳。
長い前髪で顔がよく見えない。
黒いローブで、背が高いけど猫背で。
それで、蛇みたいに鋭い目付きでこっちを見てる。
この人は、なんかヤバい!
『アルちゃん!』
「念話は送れない。妨害しているから」
「!」
アルちゃんに念話を送ろうとしてるのがバレてる!? しかも、妨害だって!?
そんなら!
「……ちなみに召喚もできない。阻害しているから」
「……な、なんでっ!?」
念話ができないならここにみんなを召喚しちゃえって思ったのに、それもできないのかい!?
ていうか、念話も召喚も魔獣の長と契約してるあたしじゃないと知らないはず。
あと知ってるとしたら魔獣の長か魔導天使ぐらいのはず。
「なぜ知っているか、か?
それは視たからだ」
「み、視た?」
黒い男はあたしの疑問に独り言のように答える。
「無数に枝分かれしている未来の分岐において、可能性の高い未来を不確定に視ることができる占術。それが私の固有魔法」
……固有魔法。
王族とか、ごく一部の人が使えるその人だけの魔法。
魔獣の長もそれぞれ特殊な能力を持ってるけど、本人たちはそれを固有魔法とは言わない。
つまりこの人は……。
「……あんた、魔導天使なのかい?」
「……ふ」
黒い男はあたしの指摘に不敵に口角を上げた。
「……話に聞いているよりもバカではないのか。なかなかどうして、案外鋭い」
……あたしのことをバカって言ってるの誰さ。
いや、いまはそれじゃなくて。
「……てことは」
黒い男はこくりと頷く。
「私は帝国の魔導天使。バラキエル。
占術による予言の天使」
……バラ、消える?
なんて、ボケてる場合じゃないね。
「……そんな人が、なんでこんなとこにいるのさ」
ていうか、なんで誰にも見つからずにこんなとこまで。ここは学院のすぐ近く。
アルベルト王国の中心なのに。
「……私の能力なら、いつ誰がどこに現れるかを視ながら誰にも見つからずにここまで来ることはそう難しくはない」
そう話すバラキエルの瞳には光がない。
なんだか目の前で話してるのにこっちを見ている気がしない。
ずっと遠くを。目の前にはない何かをずっと視ているような感じ。
「……んで? そんな大層な能力でこんなとこまで来て、いったい何が目的なんだい?」
「……」
「……」
「……ふ」
「……?」
「時間を稼ごうとしてるか。魔獣と待ち合わせでもしていたか? おまえがいないことに気付いて、そのうち探しに来てくれる、か?」
「……」
バレてーら。
「その前に私はおまえを確保する。
念話も召喚も転移も、第一王子の眼も阻害するほどの結界を秘密裏に準備するのは骨が折れた。そう長くももたない。
だから、少し眠ってもらう」
バラキエルの眼が金色に光る。
「そ、その魔法って……」
お兄ちゃん王子の?
なんで?
「でも、それはあたしには効かないんだよ」
それに魔力淘汰も使ってるしね。
「……ふ」
バラキエルは一度眼を閉じると、再び強く眼を見開いた。
「わっ!」
強烈な金色の光が放たれる。
「……う……。そ、そんな……」
とたんに強烈な眠気に襲われる。
「……ここまでやっても意思を操れはしないか。まあ、意識を刈り取れるだけでも良しとしよう」
「……」
ダ、メだ。立っていられない。
意識、が……。
「これで鍵は揃った。
王子が、いや、皇帝が世界の覇者になるための儀式を始めるとしよう」
「……」
……みんな、ごめ、ん……。
そうして、あたしの意識はそこで途絶えたんだ。




