186.男兄弟って、いいよね
「……そろそろ、軍がアルベルト王国に入る頃だろうか」
地下の牢に囚われたカイルがボソリと呟く。
頬は痩け、だいぶ消耗しているように見受けられた。
拷問などの傷の痕はないが、傷つけられていなくとも、ずっと鎖に繋がれたままというのは精神的にも体力的にもキツいのだろう。
「……そうですね。アナスタシア……いえ、フェリス夫人がミサさんから無事に魔力を受け取っていれば、の話ですが」
その隣で同じように鎖で拘束されたサリエルがカイルの呟きに答える。カイルよりは消耗していないようだが、それでも疲れが見てとれる。
どうやらサリエルもまた、フェリスの正体を知っているようだ。
「……受け取るさ、フェリスは」
「……カイル王子」
疲れた顔で薄く笑うカイルはそれを確信しているかのようだった。
絶望的な状況でもふたりが希望を失わないのは、自分たちの居場所を調べられるフェリスの存在によるものが大きいようだ。
「……あいつは頑固なところもあるし本音では俺を選びたいんだろうが、最後には必ずミサを選ぶ。
あいつは自分の矜持よりも長としての役割を果たすことを結局は優先するはずだ。
それに、俺にはその資格がないしな……」
「……彼女は最後には、あなたのためにそれを選ぶようにも思いますけどね」
自分を卑下するかのようなカイルの発言にサリエルが優しく呟く。それを聞いたカイルは少しだけ驚いた顔をしたあとに軽く笑ってみせた。
「……ふっ。だから俺はあいつに惚れたんだよ」
「やれやれ。こんなところでまでノロケですか。
……救けは、間に合うでしょうか」
「……どう、だかな」
地下深くの牢でふたりはその時が来るよりも早く救出の手が来ることを祈るしかできなかった。
「兄上! 俺を帝国に行かせてください!」
アルベルト王国。
第一王子であるゼンの執務室でシリウスは兄に直談判していた。
「……ダメだ」
弟の懇願を受けた兄は書類に目を落としたままそれをあっさりと棄却した。
「なぜだっ!」
しかし、シリウスもおとなしく引き下がりはしない。
こちらを見ようともしない兄の机に両手をついて詰め寄る。
「……理由はいくつかある。
今回の作戦の目的はあくまでマウロ王国のカイル王子の救出だ。つまりは人命第一。失敗は許されない。
そして、おまえは王子だ。おまえが出るとなるとおまえが指揮官となる。指揮官どころか兵としてまともに出兵したこともないただの学生にそんな大役は任せられない」
「……くっ」
「さらには今回の作戦は隠密行動が基本だ。魔法と剣を使った派手な戦闘が得意なおまえには不向きと言えるだろう。
それに対して俺の能力は策敵範囲が広く隠密向きだ。今回は俺の指揮のもと、隠密が得意な少数精鋭で行く」
「……し、しかし」
「最後に……おまえは俺に取って代わって王になりたいのか?」
「……っ」
そこで兄は初めて目線を上げて、じろりとシリウスを睨むように見つめた。その眼力にシリウスは思わずたじろぐ。
「……そんなことはない。
俺は兄上こそが次の王に相応しいと思ってる。俺は兄上の下で国を支える柱になれればと思う」
それは、シリウスのまごうことなき本心だった。
「……ならば、なおさらやめておけ」
シリウスの答えを本音だと受け取ったゼンは再び書類に目を落とした。
「なぜ!」
「アルベルト王国内に、おまえを次の王へと推す声が少なからずあることは知っているだろう。しかも、少ないながらもそれなりの立場のやつらだ」
「……」
シリウスがそれを知らないわけはなかった。彼がどんなにそれを否定しても、ゼンを脅威と思う者は自然とシリウスを押し上げようとする。
そのメンバーも、明確に表明はしていないものの魔導天使や国の宰相の立ち位置にいる者など、数が少ないからと無下にはできない立場の者たちだった。
「おまえは少なくとも俺が王になるまでは重要な作戦で功績をあげるべきではない。
父上はまだしばらくは現役だろうが、おまえの卒業に合わせて俺に王位を譲るつもりでいる。それは、卒業後のおまえに俺の下というポジションを与えるためだ。
おまえは学院にある間は軍務に関わらない。それが無難だろう」
「だ、だが! 俺は兵とともに魔獣を討伐したこともある! それはなんだと言うんだっ!?」
「魔獣の討伐は傭兵でも行うし、カネのある貴族が戯れで狩りをすることもある。長レベルの討伐でもない限り、それは功績とはみなされない」
「なっ!」
ゼンは書類へのサインを書きながら淡々と話した。
「……シリウス。俺も父上もおまえの戦闘能力や国を思う気持ちは認めている。だが、思考がまだまだ短絡的で幼稚だ。
勢いだけではいずれ何者かに利用されるぞ。王族として生きていくのならば、もっと視野を広く持て。
今のおまえは動くべきではない。それがアルベルト王国第一王子としての俺の決定だ。
分かったらもう下がれ」
「し、しかしっ!」
「……」
シリウスはまだ引き下がろうとしなかったが、ゼンはもうそれ以上話すつもりがないようだった。
「……し、失礼しました」
その様子にシリウスも肩を落として扉へと進んだ。
「……シリウス」
「?」
そして扉に手をかけたところで書類仕事を進めながらゼンが声をかけた。
シリウスは不思議に思って扉に手をかけたまま振り向く。
「おまえはカイル王子とそこまで親しくはなかったのでは? なぜそこまでして彼を助けようとする?」
「……」
シリウスは少しだけ考えたあと、扉の方に向き直ってからポツリと呟く。
「……あいつなら……ミサならきっと、理由なんて考えずに助けに行こうとするからだ」
「……そうか」
耳まで赤くしながら答えたシリウスはかすかに微笑んだゼンの表情を見ていなかった。
「……シリウス」
「……なんだ」
「……そのミサ嬢とミカエルは、何やら良からぬことを考えているようだぞ。
俺には内緒のようだからな。おまえからそれとなく注意してやってくれるか? ああ。間違ってもおまえもそれに協力しようだなどと思うなよ?」
「!」
ゼンはそれを知っていながら黙認しようとしている。そして、シリウスもそれを手伝えと。
シリウスはゼンの言葉をそう理解した。
そして、それはまさにその通りのようだった。
「……わかった。ありがとうございます兄上」
シリウスは背中越しにそれだけ伝えて部屋から出ていった。
「……やれやれ。世話のやける弟だ」
ゼンは嬉しそうにそう呟くと、再び書類仕事へと戻ったのだった。




