165.なんかいろいろあるみたいだけど、明日からいってくるよ
「……ああもう。しつこいです~」
街の路地裏の影から現れたツユはいつもののんびりとした口調ではあったが、イライラした態度を隠せずにいるようだった。
「逃げるからでしょう」
ツユが現れたものと同じ影からミカエルが姿を現す。
ミカエルは呆れたようにため息を吐いている。
「はぁ……。言っておきますけど、私は今回の件に関わってないですからね~」
ツユは逃げるのは諦めたようで、路地裏の壁に寄りかかりながら話を始めた。
「ならば、なぜ逃げたのですか?」
ミカエルは周囲を探知しながら尋ねる。
どうやら他に人や魔法の類いはないようだ。
「逃げたわけではないですよ~」
「……ああ、なるほど。これから動くのですか?」
指をいじいじとするツユの態度にミカエルは構わず質問を重ねる。
「いやー、じつは私、リヴァイスシー王国での失態のせいで帝国ではちょっと干されてまして。今回の件に関してはホントに何も知らなかったんですよね~」
ツユは開き直ったかのように頭の後ろに手を当てて、アハハと笑ってみせた。
「……あれは、あなたの失態というわけではない気もしますが」
リヴァイスシー王国の魔導天使であるアザゼルから事の経緯を聞いていたミカエルは彼女の行動をそう判断していた。
あのとき、ツユはアザゼルを消耗させて結界を弱体化させるという役割を見事にこなしてみせた。あれはミサというイレギュラーと、リヴァイアサンの気まぐれによって事態が収束したと言ってもいいとミカエルは考えていた。
「ふふふ。帝国はそんな甘くはないんですよー。ミサさんのことも知らないですし、私のことをよく思わない人たちが責任だなんだと言って私に全部を押し付けてきたんです~。言ってしまえばおバカさんなわけですね~。
ま、そのおバカさんたちのおかげで私はしばらく帝国に行ってなかったわけですが、帝国の皇子はそこそこ頭の良い人なので今回の件はちょっとおかしいなって思って、向こうに調べに行こうと思ってたんです~」
「……」
帝国の皇子は病に倒れている皇帝に代わって国を支配しているらしい。
冷徹で独裁的だが、慎重で頭が切れるとも言われており、マウロ王国の王太子をどうこうしようなどという大胆な行動に出るとは思えないようなのだ。
ミカエルもそれに関しては違和感を覚えており、それもあってカイルの調査に表立って出るのは様子を見た方がいいだろうと結論付けたのである。
「……それは、あなたも危険なのでは?」
「あら、心配してくださるんですか~?」
ミカエルの言葉にツユはイタズラな笑みを浮かべる。
「……あなたは。あなたの目的はなんなのですか?
長い時を生き、さまざまな国との繋がりを持ち、さりとて一つ所に落ち着くことはなく、あちらに手を貸し、こちらに手を貸し。
……いったい、何がしたいのですか?」
ツユのことはミカエルもよく分かっていなかった。
世界の成り立ちから深く関わっている魔導天使でさえ彼女の正体は掴めずにいる。
彼女は、気付いた時にはすでにそこにいたのだ。
「ふふふ。秘密です。秘密があった方が女は魅力的でしょう?」
「……」
そう言って妖艶に笑う彼女はたしかに不思議な魅力を放っていた。
「……私に魅了は効きませんよ」
「やだなぁ~。そんなつもりないですよ~」
ミカエルは牽制のつもりで言ったが、ツユにその気はないようだった。
あらゆる魔法を感知するミカエルでも彼女からは言い様のない不安感を感じる。
それほど、ツユは読めない人物だった。
「まあ、今回は私のことはそんなに気にしないでください~。何か分かればそちらにも情報を差し上げますから~」
「……あなたは、誰の味方なんですか?」
にこやかに笑うツユに、ミカエルは不審な顔で尋ねる。
「んー、しいて言うなら、世界の味方ですかね~」
「……戯れ言を」
「ふふふ。それでは~」
ツユはヒラヒラと手を振ると、寄りかかっていた壁の影のなかに消えていった。
「……」
ミカエルはそれを追うことはせず、自分も転移魔法を使ってその場から消え去ったのだった。
「えー! 俺たちも行っちゃダメなのかよ~!」
「そんな……。ミサだけじゃ心配だ」
「だーいじょーぶよー。ケルちゃんとルーちゃんもいるから、さっさと終わらせてすぐ帰ってくるよ」
出発の前日。
学院でジョンとクレアにも事情を説明した。
お兄ちゃん王子は2人への洗脳の魔法を解いてくれていた。
ミカエル先生が確認したから間違いないみたい。
『今回の君の働き如何では君を調べるのをやめると言っただろう? これはそれを信用してもらうためのサービスだよ。
それに、俺の洗脳の魔法は相手の魔力領域を使うから、かけられた者は能力が少し落ちるんだ。彼らは国の大事な将来の戦力。有望な才を潰すことは俺の理念に反するからね』
お兄ちゃん王子はそう言ってウインクしてみせた。
国を守ることを第一に考えてるお兄ちゃん王子らしい言葉だね。
たしかに下手に信用してほしいからってだけよりも信憑性はあるよ。
「だが、アルビナスはいないのだろう?」
「そうですね。彼女がいないとやはり不安は増しますね」
「……カクさん。スケさん。いつの間に2人のアルちゃんへの信頼がそんなことになってたんだい?」
カクさんたちはジョンたちを見張ってくれていたらしい。
それも無事にジョンたちへの魔法が解除されたから終わり。
2人にも状況を説明すると、2人してそんなことを言い出した。
いや、たしかにアルちゃんにはいつも頼りきってるけどさ。
ケルちゃんやルーちゃんだって魔獣の長なんだからね。
「ミサー! お腹すいたー!」
「私もよ! 早く食堂行きましょ!」
そんな2人がお腹をぐーぐー鳴らしながらあたしの袖を引っ張る。
「いま大事な話してるからね。もうちょっと待ってね」
……うん。たしかにちょっと不安かもね。
結局、今回はあたしとケルちゃんとルーちゃんだけでマウロ王国に行くことになった。
名目はマウロ王国への留学と、第二王子の婚約者として国王に挨拶に行くため。
その旨を伝えたら、マウロ国王も先日の第一王子のアルベルト王国への留学の礼をしたいので歓迎するという旨の書状が届いたという。
たぶん、それらのやり取りは全部帝国に伝わってる。
どれだけ隠そうと、国と国のやり取りを完全に隠すことはできないんだって先生が言ってた。
だからこそ、今回はあたしだけ。
カイルが行方知れずであることをアルベルト王国はすでに知っていて、マウロ王国とのやり取りに関して王族は大っぴらに動けない。
それでも公務やらやり取りやらをしないわけにはいかないから、あたしっていう第二王子の婚約者という薄めの関係者を動かすことにした。
これは帝国に対して、アルベルト王国は今回のカイルの件に積極的に関わらないよって意思表示も兼ねてるらしい。
もし、マウロ国王がカイルのことをアルベルト王国に手伝ってほしくても、やって来るのはただの第二王子の婚約者。
そんなのにたいした権利も発言力も決定力もあるはずなくて、マウロ国王はそのアルベルト王国の態度でアルベルト王国としてのスタンスを理解する。
……って帝国に思わせる作戦らしい。
うん。よく分からん。
国同士の高度な情報戦とか、あたしについていけるわけないやん。
まあ、とにかく、そうやって帝国を油断させといて、あたしが東の魔獣の長の力を借りることを帝国に気付かれないようにしようってことらしい。
つまり、あたしはマウロ王国の魔獣の長さんと仲良くなってカイルの居場所を調べてもらえばいいってことだね。
「お嬢様。ご安心ください。今回は私も同行させていただきますから」
「え? フィーナも来るの?」
学院が終わって家に帰ってお風呂に入ると、フィーナがあたしの体を洗いながらそんな報告をしてきた。
「もちろんです。きちんとミカエル様の許可はいただいてますから。お嬢様の身の回りのお世話をするメイドが同行しても何の不思議もないです。見習いのお付きだけでは逆に不自然ですからね」
ケルちゃんとルーちゃんはあたしの侍女の見習いってことになってる。
たしかに見習いと3人だけってのも変かもね。
「そっか。フィーナがいてくれたら心強いよ。よろしくね」
「……ふふふ。リヴァイスシー王国では辛酸を舐めましたが、今回は粘りましたからね。お嬢様のお体を洗っていいのは私だけなのです。ふふ、ふふふふ」
「……え? ちょ、フィーナ!? なんかいつもと洗い方違くない!?」
「ふふふ、ふふふふふふ」
「ちょっ! そこはっ! ヘ、ヘルプミー!!」
「……はぁはぁ。エラい目にあったよ」
見事にフィーナに全身くまなく洗われたあたしは息も絶え絶えに自室に入る。
フィーナは飲み物の準備をしに部屋を出ていった。
「ん?」
少しすると、部屋のドアがノックされた。
「ミサ。ちょっといいかな」
「お父様? どうぞ」
声の主はお父様だった。
こんな時間になんの用だろうね。
「もう寝るところだったのにごめんなさいね」
「お母様まで」
ドアを開けるとお父様とお母様が部屋に入ってきた。
2人ともなんだか深刻な顔してる。
「どーしたんだい?」
「「……」」
あたしが尋ねると、2人はしばらく俯いていたけど、やがて決意を固めたみたいに顔を上げた。
「……明日、マウロ王国に出発だな」
「うん、そーだね」
「……東の魔獣の長に会うんだろう?」
「そーだよ。カイルの居場所を探してもらえるようにお願いするんだ」
お父様たちは事情を全部知ってる。
お父様は国の宰相的な立ち位置だし、あたしの能力についてもアルちゃんたちを連れてきた時に説明してあるからね。
「……東の魔獣の長には気を付けた方がいい。少し、いや、かなり気難しい方なんだ」
「なんかそーらしいね」
……なんか、会ったことあるみたいな言い方だね。
「リヴァイアサンに関しては封印されていたから分からないけど、西と東の長は他の長たちとは違うのよ」
「……お母様?」
なんか、気になる言い方だね。
「……私たちでは、ダメだったから……」
「え?」
俯いてボソボソと喋るお母様の言葉を、あたしは聞き取ることができなかった。
「……ミサ。マウロ王国から帰ったら、ミサに話さないといけないことがある」
「……お父様」
「……だから、無事に帰ってきてくれ」
「……お願い」
お父様とお母様はそう言ってあたしの手を優しく握った。
「……2人とも」
なんかよく分かんないけど、あたしがまだ知らない事情があるみたい。
2人がそんなに心配するぐらい、東の長さんは気難しい人なのかもしれないね。
「……わかった。しっかりやってくるよ」
あたしは2人の手をぎゅっと握り返した。
「だいじょーぶ。あたしに任せときな!」
そう言って笑うと、2人も申し訳程度に笑みを浮かべてくれた。
この世界に右も左も分からずにやって来てしまったあたしを2人は優しく迎え入れて、娘にしてくれた。
2人が居なかったら今のあたしはいない。それどころか、きっとその辺でのたれ死んでたよ。
2人には本当に感謝してる。
だから……。
「2人が帰ってこいって言うなら、あたしは必ずここに帰るよ。あたしの帰るべき家はここだからね。
あたしの大事な家族が待つこの家に、ちゃんと帰ってくる。
だから安心してよ」
「「……ミサ」」
2人の目にうっすらと涙が浮かんでる。
「……ありがとう。時間を取らせてしまってすまなかった。明日は早い。もう寝なさい」
「ええ。体を冷やさないように。ちゃんと布団かけるのよ」
「うん。ありがとね」
そう言うと、2人はようやくあたしの手を離して部屋を出ていった。
少しして、入れ違うようにフィーナが戻ってきた。
温かいホットミルクを飲むと、体は自然と眠りを欲しがる。
「お嬢様。お嬢様のことは私が必ず守ります」
「……フィーナ。
フィーナもあたしの大事な家族だよ。フィーナも一緒に、皆で家に帰るんだからね」
「……もったいないお言葉」
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ゆっくりと頭を下げるフィーナを見ながら、あたしは眠りについた。
なんかいろいろあるみたいだけど、あたしはあたしに出来ることをやるよ。




