161.うまくいくのかねぇ
「……」
そして、お兄ちゃん王子は渡した報告書を全部読み終わった。
「……うん」
皆がごくり、と思わず唾を飲む。
あ、ケルちゃんは寝てるね。
「建前は分かった。それで? どうやって彼女のことを俺に説明するんだ?」
「……っ」
王子が嫌な顔をする。
報告書にはあたしが闇属性でそれを隠すためにいろいろ画策してた、みたいなことが書かれてる。
お兄ちゃん王子からしたらそれは前提みたいで、すぐにその先を要求してきた。
きっと学院長とのやり取りも把握してるんだろうね。
まるで見ていたかのように話を進めようとするお兄ちゃん王子にこっちは攻められた気分だね。
もう少し報告書についてやり取りするはずだった王子がそんな顔をする気持ちも分かるよ。
「……」
「……はぁ」
黙っちゃったシリウスにお兄ちゃん王子があからさまにため息を吐く。
「そちらが手札を切らないならこちらから切ろうか?」
「!」
「ミサ・フォン・クールベルトは闇属性の持ち主。闇属性の魔法なのか、あるいは固有魔法なのか、もしくは魔法ですらないのか分からないが魔獣に高い親和性を持ち、ひとつ、魔獣言語を理解する。ふたつ、魔獣に敵対されないもしくは好意を抱かれる。みっつ、魔獣と契約する。よっつ、魔獣を自由に使役する。
そして、それらを用いて北と南の魔獣の問題を解決。現時点でアルベルト王国、スノーフォレスト王国、リヴァイスシー王国、三国の魔獣の主や長と契約している。そのために野良以外の統率の取れた魔獣の襲撃がなくなり、魔獣による被害が相対的に激減したと考えられる」
「……っ」
「ま、こんなところだ」
「……はは」
ほぼバレてーら。
もはや笑うしかないね。
さすがにあたしの前世のこととか記憶のことに関しては分かってないみたいだけど、この世界であたしがやってきたことはほぼほぼ把握されてるみたい。
えっと、これはどうすりゃいいのかね。
「……さ、おまえの話を聞かせてくれ、シリウス」
お兄ちゃん王子はそう言ってシリウスに手を差し出した。
今度はおまえの番だと言いたいんだろうね。
「……それは」
シリウスは下を向いて少し言い淀んでから、ゆっくりと口を開いた。
さすがにお兄ちゃん王子の推察が的確すぎて驚いたけど、概ね想定通りだ。頼んだよ、バカ王子。
「それは、兄上の勘違いだ」
「……なに?」
シリウスはお兄ちゃん王子の目をまっすぐに見つめながら、確かな自信を持ってそう言い放った。
さすがのお兄ちゃん王子も眉間にシワを寄せてる。
「兄上がそう解釈した根拠はなんだ?
それは主にタイミングだろう。たしかにミサが演習で魔獣の森に入ったり、各国に赴いたタイミングで魔獣の問題が解決した。
それは紛れもない事実だ」
「……」
お兄ちゃん王子はシリウスのことをじっと見つめてる。
話の意図を掴めずにいるから、わずかな情報も漏らすまいとしてるんだと思う。
「たしかにミサのおかげで魔獣たちをおとなしくさせることができた。だが、それはミサが魔獣と対話したり、あまつさえ使役したりできるからじゃない。
ミサが交渉材料を提供してくれたからだ」
「……なに?」
「さっきタイミングと言ったけど、ミサが魔獣の森や各国に関わっているとき、同時に俺たちもまたそこにいたんだ。そして、そのすべてに関わっていたのが……」
「……私ですよ」
「……ミカエル」
静かに呟いた先生をお兄ちゃん王子は睨むように見据える。
「魔獣の森とリヴァイスシー王国に関してはクラリスが。スノーフォレストに関しては俺が主に中核を担った。ミサが提供してくれたそれを持って魔獣の長たちの元に赴き、転移魔法を使えるミカエルがそれでもって長たちと交渉したんだ。
あちらにその気があれば、人類に分かるように対話することは可能だからな」
「……まず、ミサ・フォン・クールベルトが提供した『それ』とは?」
一気にもたらされた情報から必要な部分をピックアップして、ひとつひとつ解消していこうとする。
やっぱりお兄ちゃん王子はすごく頭が良い。
「それはこれよ」
そう言って、クラリスは懐からハンカチを取り出した。
丸まったハンカチの中にはあたしが今朝用意したものが入っている。
「……クッキー?」
お兄ちゃん王子はそれを訝しげに見る。
どっからどう見ても普通のクッキーだから。
「そう。それはミサが今朝焼いてくれた手作りのクッキーだ」
「……で?」
「……見ててくれ。……っ!」
「おいっ!?」
シリウスは腰に差していた剣を少しだけ抜いて、刃で自分の腕を少し切りつけた。
すっと入った刀傷から痛そうに血が流れる。
「はい」
「ああ。ありがとう」
そして、シリウスはクラリスからクッキーを受け取って、おもむろに口に運んだ。
一口で口に入ったクッキーをぼりぼりとかじり、ごくりと飲み込む。
「……なっ」
すると、さっきまで痛そうに血が流れていた傷口がすうっと消え、あっという間に元通りになった。
「……これが、ミサが提供してくれたもの。そして、俺たちが隠していたものだ」
「……ポーションの自作か」
「……演習や留学にかこつけて俺たちが魔獣の長と接触したところでミカエルがその場に転移。この簡易ポーションの定期的な提供を条件に長による統率の取れた人里への襲撃をやめてほしいとミカエルが交渉を行ったんだ。
つまり、魔獣との主な交渉はミカエルが行っていて、ミサは俺たちに同行してクッキーを提供しただけなんだ」
「……」
「……」
お兄ちゃん王子がシリウスをじっと見つめながら考えてる。
一応、筋は通ってるはず。
魔獣の長さんたちとの接触の時は先生とかアルちゃんとかが結界を張ってたから詳しい状況は分かってないはず。そもそも分かってないからこんな回りくどい突っつき方をしてるわけだしね。
「……この簡易ポーションはどれぐらいの効果で、どの程度量産可能だ?」
それについても打ち合わせ済み。
「下級ポーションと同等の効果。数は1日5枚が限界。それ以上はどれだけ作っても効果が出なかった。おそらくミサが1日でそれに込められる魔力がそれだけなんだと思う」
「……ふむ」
ポーションの質や量に関しては実際よりだいぶ落とした。
ホントは上級ポーションと同等だし、作ろうと思えばたぶんいくらでも作れる。
でも、それだとお兄ちゃん王子的に有用すぎる。
下級ポーションを1日5本ってのは、それなりに使えるけどわざわざ目をかけるほどでもないってぐらいの絶妙なライン。
それでもお兄ちゃん王子に興味を持たれたら困るからってことで先生や王子たちが隠そうとしてたと思っても不思議ではないレベル。
ホントのことではないけど、嘘ってほどの嘘じゃない。
そして、お兄ちゃん王子にそれを確かめることはできない。
「……」
お兄ちゃん王子はシリウスから視線を外してうつむいた。
どうやら自分のなかで情報を精査して考えてるみたい。
皆が固唾を飲んでその様子を見守る。
正直、これで通らなかったらあたしたちに手はもうない。
「……ふむ。なかなか良い結論に着地させたな」
「……」
お兄ちゃん王子が不敵に笑う。
その真意は分からない。
「まあ、いいだろう。その程度ならたいした脅威にはならない。彼女と俺との婚約はなかったことにしてあげるよ」
お兄ちゃん王子が肩をすくめる。
拍子抜けしたと思ってもらえてるなら何より。
ともあれ、これで一安心ってとこかね。
「ミカエル。俺に黙って魔獣の長と交渉していたことに関してはそれなりに問題だ。父上はおまえのやることならと許すだろうが、あとでそれなりに処分を受けてもらうぞ」
「……ええ。分かってます」
お兄ちゃん王子は部屋を出ていこうとしながら先生にそう言った。
先生には悪いけど、それが一番の着地地点だろうって先生が言ってた。
まあ、処分って言っても面倒な仕事をさせられるとかぐらいみたいだけど。
「……ああ。だが、ひとつだけ確認させてくれ」
「……え?」
お兄ちゃん王子は思い出したように立ち止まって、腰に差した剣を抜いた。
「わっ! えっ!?」
そして突然、あたしは後ろから誰かに羽交い締めにされた。
「ミサっ!」
「はい、失礼しまーす」
「その声、ツユちゃん!?」
「はいな。正解ですー」
あたしは後ろから現れたツユちゃんに掴まれて身動きが取れなくなった。
「……兄上っ! どういうつもりだ!」
シリウスが慌てて剣を抜く。
「……ふむ。ちょっと、確かめたくて、ねっ!」
「わっ!」
お兄ちゃん王子はそう言うと、あたしに剣を向けてまっすぐ向かってきた。
いやいやいや、刺されるっ!?
「……ミサっ!!」
「ケルちゃん!」
あたしに危険が迫ったのを感じて、眠ってたケルちゃんがバッ! と飛び起きた。
ヤバい! そういうことかっ!
「ケル! ダメなのですっ!」
アルちゃんもお兄ちゃん王子の狙いに気付いて止めようとする。
「ミサに何するんだっ!」
ケルちゃんは四つん這いになって全身に力を入れる。
お兄ちゃん王子はケルちゃんを魔獣の姿にしようとしてるんだ!
人化できる魔獣なんて長や主レベルぐらい。
そして、ケルちゃんはどう見てもあたしの従者。
つまり、魔獣を使役してるのはあたしってことになる。
お兄ちゃん王子はそれを確認するためにこんなことを。
「ケルちゃん!」
「ミサ! いま助ける!」
「ダメだよ!」
そして、お兄ちゃん王子の剣があたしの目の前まで迫った……。