139.そういや、みんなは今ごろ何してるのかねぇ
「……」
アルベルト王国の学院の廊下をクレアは1人で歩いていた。
ミサたちもいないので、授業の空いた時間に鍛練でもしようと人気のない廊下を訓練場に向かって歩いていた。
制服を身に纏い、腰には愛用の剣が吊り下げられていた。
緊急時以外は抜剣禁止だが、騎士志望の学生は基本的に学院での帯剣が許されていた。
ちなみに、許可を得ていない場で剣を抜いたりすれば学院の結界が反応し、ただちに職員が駆け付ける仕様になっている。
これは魔法の使用においても同様である。
「……ミサたちがいないと静かなものだな」
クレアは誰もいない廊下を歩きながら、そう呟いてフッと笑ってみせた。
「寂しいのかい?」
「!」
突然、背後から声が聞こえ、クレアは数歩離れてバッ! と振り向き、剣に手をかけた。
「すまない。驚かせたようだね」
「……ゼ、ゼン殿下っ!?」
そこには、さらりと流れる金髪を揺らしながら両手を挙げるゼンの姿があった。
ゼンは申し訳なさそうに微笑みを浮かべた。
「な、なぜこのようなところに?」
クレアは剣から手を離しながら困惑した様子を見せた。
とうに学院を卒業した彼がこの場にいる理由。そして、自分に話しかける理由が皆目見当つかなかったからである。
「いやなに。雑務で学院に来たんだけど、訓練場が懐かしくなってね。昔はよくここで鍛練したものだ。
で、訓練場に向かおうと思ったら1人で歩いてる子を見かけたから声をかけてみたんだ」
「そ、そうでしたか」
穏やかで柔らかな笑みを向けるゼンにクレアは一定の距離を保っていた。
クレアはゼンが苦手だった。
その優しい柔らかな笑みにほだされる女性は多いが、クレアはその奥が読めない笑みが逆に恐ろしかったのだ。
クレアがゼンの子飼の騎士候補たちではなく、シリウスの側近であるカークに師事しているのもそれが理由のひとつだった。
「君はたしか、シリウスの婚約者であるミサさんと仲が良かったね。最近、彼らはどうだい? 仲良くやっているのかな?」
「……」
クレアはその質問になんと答えるべきか迷っていた。
ゼンは王太子といえども、シリウスは第二王子。王位継承権がないわけではない。
そんな関係性の相手に自分などが些細とはいえ安易に情報を渡していいものか。
クレアはそう考え、ゼンからの問いに答えられずにいた。
「……ふっ。良い友人を持ったな。私に情報を与えていいものか判断に迷っているのか。普通、王子に尋ねられれば答えずにはいられないと思ってもよいものを」
「!」
その軽い笑いは本当に笑っているように思えて、クレアは驚いた。
「……」
「……きゃっ!」
そこでゼンは突然、クレアを壁に押し付け、手を壁につけた。
クレアのすぐ目の前にゼンの柔らかな前髪が揺れる。
「……な、なにを」
クレアは身を縮込ませながら目だけを上に向けた。
すると、ゼンは目を閉じていた。
「……」
そして、ゆっくりとその瞳を開けていく。
クレアはさっきまで碧色だったその瞳が、かすかに金色に光っているのをまぶたの隙間から見た。
「何をしているのですか!」
「!」
「スケイル先輩っ!」
そこに、杖に手をかけたスケイルが現れた。
今にも抜杖しそうな勢いだ。
「……ああ、君か」
ゼンは開きかけていた目を再び閉じ、クレアから体を離した。
スケイルの方を見る頃にはもう瞳は元の碧色に戻っていた。
「ゼ、ゼン殿下っ!?」
スケイルは最初のクレアのように目を見張って驚いていたが、手はやはり杖にかけたままだった。
「いやなに、ちょっと彼女の資質を確かめていただけだよ。彼女は良い騎士になる。大事に育てたまえ」
ゼンはそう言って、スケイルの肩をぽんと叩くと訓練場ではなく学院の本校舎の方へと去っていった。
「……そのつもりです」
スケイルは去っていくゼンを強く見つめながら、かすかにそう呟いた。
「……クレアさん!」
そして、ゼンが完全に見えなくなると、スケイルはすぐにクレアに駆け寄った。
「……スケイル先輩。助かりました」
何かをされたわけではなかったが、クレアはあのままだったら危なかったと本能的に感じていた。
「……殿下は、なぜここに」
「……訓練場を見に行くと。昔、よく使ったから懐かしくなった、と」
「……殿下は訓練場に行ったことなどありません。あの方はそんな必要がないほどに強かったのですから」
「え!? で、では、殿下はなぜここに……」
「……初めから、クレアが狙いだったか」
「わ、私ですか!?」
スケイルの呟きにクレアは驚くしかなかった。
「クレア。ゼン殿下には気をつけてください。とくにその瞳を見てはいけない」
「……瞳、ですか?」
「私がシリウス殿下にお仕えるすることになったとき、殿下とミカエル先生から言われたのです。あの方の瞳は危険だ、と」
「……魅了系の魔法でしょうか」
「わかりません。ですが、何らかの能力があるのは確かです。
シリウス殿下の婚約者であるミサさんに近しい人間に接触しようとしている可能性は高い」
「……でも、シリウス殿下は王位を継承するつもりはないのでは?」
「……それでも、あの方は可能性があるのなら手は打っておきたいのでしょう。
……本当に、何を考えているのか分からないお方ですから」
「……そう、ですか」
2人はしばらくそのまま、ゼンが立ち去った廊下を眺めていたのだった。
「……」
城の自室でゼンはゆっくりと目を開ける。
空のように碧い瞳が現れる。
「……ふっ。失敗だな。せっかくミカエルの結界を抜ける幻影魔法を作ったというのに。
強引に進めても良かったが、結界に感知されない分、使える魔法が少ないからな。逆にやられていた可能性もある。
……ヤツが現れたタイミングも絶妙すぎる。これは彼女自身に、彼女の異常を検知する魔法をかけていたな。スケイルめ。なかなかやるじゃないか」
ゼンは窓の外へと目を向ける。
その視界が窓からぐんと飛び出し、一気にリヴァイスシー王国まで飛ぶ。
そこでは、水平線に現れた巨大な魔獣に相対する王国の人々の姿があった。
そして、その手前、小高い丘はもやがかかっていてよく見えなかった。
「……また阻害結界か。まあいい。ツユからの報告を待つか」
ゼンはそう呟くと目線を再び自分に戻し、ゆっくりと紅茶を用意した。
湯気が優雅に立ち上る紅茶を一口飲むと、ふっと微笑む。
「さて、今度はどうなることやら」
「ん? アルちゃん、どったの? 空を見上げて。もう十分飛んでたよ?」
「……いや、なんでもないのです。結界を張っておいて良かったのです」
「んー?」




