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千鳥


 予選は午前中で終わり、出場者達は控室で、用意された弁当を食べていた。それなりに美味しい弁当だったが、誠介はほとんど口をつけられない。

「つ、疲れた──」

 疲労困憊で、今すぐ、この長机につっぷして寝てしまいたいくらいだ。そんな誠介の隣で、市彦はパクパクと弁当を食べている。意外と健啖家のようだ。

「気の小さいやつだなぁ。もっとどぉんといけよ、どぉんと」

「……他のチームは魔法実行役を交代してるのに、僕は出ずっぱりだったから、そのせいで疲れてるっていうのもあると思うんだけど」

 誠介がジト目で市彦を睨むが、市彦は素知らぬ顔で、

「おっ美味いな、この唐揚げ。いらないならお前のも寄越せよ」

 などと言う。

「今からそれで、本戦になったらどれだけ緊張する気なんだよ、おまえ」

 ──そう、二人は、予選を突破し、本戦に残ったのだ。だが、予選成績三位。決して楽観できる順位ではない。特に、直接対戦することはなかったが、予選成績一位のチームはすごかった。攻撃魔法が水、金、土。防御魔法が火、木、金。全属性において、他のチームとは一線を画していた。

 チーム名は鏡見澤(かがみざわ)高等学校魔法研究部。リーダーは魔法力テストの実技科目の成績でよく見る名前で、確か──

「何? 本戦で勝ち残る気でいるの? おまえら。あの一芸で?」

須磨(すま)。何の用だよ」

 市彦が、低い声で唸る。見上げれば、ちょうど今思い返していた、鏡見澤高校のリーダーが、食べ終わった弁当を手にそばに立っていた。ニヤニヤと、嫌な笑いを浮かべている。そう、須磨敏夫(としお)、そんな名前だった。

「つれないなぁ。一緒に本戦に残ったんだ。中学の時の同級生に激励くらいしたっていいだろ? なぁ、机上の空論くん?」

「……」

 市彦は何も言わず、須磨を睨み据える。

「おお怖。相変わらず、愛想ねぇなぁ。笑えば女に見えるのによ」

「ああ、そうだな。おまえの面じゃ、どうあっても無理な芸当だろうけどな。ああ悪いな、俺の美貌を妬ませちまってよ」

 せせら笑う市彦の言葉に、須磨は表情を険しくする。

「調子こくなよ、進藤──」

 一触即発、といわんばかりの雰囲気に、誠介がハラハラとしたその時だ。


 炎害警報が、鳴り響いた。


 騒然とした控室だが、すぐに館内放送が流れた。

『近隣で炎害発生、近隣で炎害発生。ご来客の皆様は、職員の指示に従い、屋上へ避難してください』

 間を置かず、職員の誘導が始まる。

「皆さん、こちらへ来てください! 急がず、ゆっくり歩いて!」

 チッ、と舌打ちをして、須磨が誠介達に背を向け、職員の誘導に従い歩き出す。

「おい、進藤。俺たちも──って、どうした」

 市彦は、テーブルに肩肘をついて、顔を手に埋めていた。

「だからってな──ここは消防に任せて──ああ、もう! もういい分かった、『代わる』よ!」

 顔を上げた市彦を見て、誠介は目を見開いた。

 その顔はこわばり、唇を引き結んでいたが、確かに『千鳥』の表情をしていた。

「誠介くん、ごめん。私、行かなきゃ」

「え、行くって、どこへ──」

 誠介の言葉を最後まで聞かないまま、千鳥は駆け出した。職員の誘導とは、反対の方向に。

「──っ、なんなんだ!」

 少し迷ったが、誠介もまた、千鳥の後を追って走った。

 千鳥が非常ドアを開けると、外の風が吹き付ける。ビルの外につけられた非常階段に出た千鳥は、柵の上に飛び上がり、空中に身を躍らせる。初めて会ったあの時のように、飛行魔術で空を飛んだ。誠介もまた、その後を追って、宙に身を翻したのだった。

 千鳥のスピードは凄まじい。誠介も、飛行魔法の実技ではそこそこの成績を取っているが、全速力を持ってしても、千鳥を見失わないのが精一杯で、追いつくどころではなかった。

 だんだんと近づく焦熱。赤い光が眩しくて腕で目を覆う。

 まだ遠く、地面から噴き出す炎。それが強まったり弱まったりを繰り返しながらうねる様は、いっそ官能的にさえ見えた。

 消防はまだたどり着いていないが、サイレンが近づいているのは聞こえる。

 千鳥は炎のそばに降り立った。

「──危ない!」

 誠介は思わず叫んだ。炎害の炎は、突然爆発的に広がることがあるのだ。小学校の教科書にも載っている。

 が、千鳥は顔の前で両手を組んで、目を閉じる。まるで、祈るような姿だった。

「──鎮まれ。鎮まり給え。地の底におわす尊き御方よ。今は眠りの時。我が祈りは歌となり、貴殿の眠りをお慰めしよう」

 そして、千鳥は歌った。その歌は、まるで透き通る水晶の欠片を光に透かしたような儚さと煌めき、そして美しさが籠もっていて、とてもこの世のものとは思えなかった。身体に染み込むような、そして身体に染み付いた穢れたものが、すべて浄化されるような、そんな歌声。

 炎は次第にその勢いを失い、最後のあがきのように、ひときわ高く燃え上がって、そして、地中に消えた。

 気づけば、誠介は千鳥の傍に降り立って、呆然と立ち尽くし、涙を流していた。泣くのはおかしいと、そう思っても、涙は次々と溢れ出す。

 自分が、ひどく尊いものを目の当たりにしたのだと分かる。

 千鳥が誠介を振り向いた。それはもう、『市彦』の顔をしていた。

「ずらかんぞ」

 市彦の言葉とともに、もう、すぐ近くまで来ているサイレンの音が、誠介の耳にも届いた。


 誠介と市彦は、近くの公園に逃げた。並んでベンチに腰掛けながら、市彦は言う。

「おまえにも、さすがに分かったと思うけど、千鳥は──」

「『祈りの姫』、だろう?」

 あんな歌声を耳にしてしまえば、もう他に考えようがない。

「そ。いくら千鳥が祈っても、すべての炎害は押さえきれない。そのことを、千鳥は気に病んでて──俺の身体を使っている時、近くで炎害が起こると、鎮めに行っちゃうんだよな。消防に任せろっつってんのに」

 市彦は呆れたように言う。

 だが、誠介の思いは、別のところにあった。

 『祈りの姫』は、普通の人間とは違う、別格の存在なのだと思っていた。だが、誠介の知る千鳥は、よく笑って、はしゃいで、甘いものが大好きで──そんな、ごく普通の女の子だった。そんな普通の子が、あの天高い塔に閉じこめられて、ろくに外にも出られない生活をしているなんて、今まで考えもしていなかったのだ。

 千鳥と話していて、時々、苛立ちを覚えることがあった。世間知らずの彼女は、自分が甘味を食べるために、市彦がバイトをしたり、誠介が小遣いをやりくりしたりしているなんて、考えてもいないように見えた。だが、本当に何も分かっていないのは、誠介だったのだ。何も知らず、あの少女に守られて、安穏な日々を過ごしていた──。

 落ち込む誠介に、市彦が微妙な顔を向ける。

「悩んでるとこ悪いけどよ、テレビ局戻るぜ。荷物がそのままだ」


 二人がテレビ局の控室に戻ったときには、災害警報も解かれ、他の参加者たちも続々と控室に戻ってきていた。

「おまえら、見なかったけど、どこいたの?」

 と聞かれ、苦笑いで返す。そのままバッグを持ち上げて、帰ろうとしたその時だ。

 ひときわ大きな声が、控室に響く。

「しっかし、こんなに頻繁に炎害が起こってさぁ、しかも、今回は街中だぜ? 『祈りの塔』の連中、何してんだろうな。給料泥棒にもほどがあるんじゃね?」

 その言葉に、誠介はピタリと動きを止める。振り返れば、その大声の主は、あの須磨敏夫だった。誠介の表情が険しくなったのを見て取ったのだろう。市彦が制止する。

「藤堂、やめろ、相手にするな」

 だが、須磨は大声で喋るのをやめない。

「『祈りの姫』ってのも、怪しいよな。全然実態が分からないし──案外、俺らの税金で豪遊してたりしてな。ああ、そう思うと気分悪ィ」

「──藤堂!」

 あまりの憤怒に、市彦の制止の声は耳を通り過ぎた。

 誠介は、バアンと大きな音を立てて机を叩いた。その音に、控室にいる全員の視線が、誠介に向く。誠介は、まっすぐに須磨を見据えた。

「不確かな推測だけで、見も知らぬ人達を悪く言う、君の方がよっぽど気分が悪い」

「ああ? ただの世間話だろうが。なにマジになってんの?」

 須磨は目を眇めて誠介を睨みつけた。普段なら怯んでいたかもしれないが、今の誠介は怒りの頂点を越えていた。

「ああ、嫉妬かな。『祈りの塔』への就職は最難関。君の総合成績じゃ、絶対たどり着けない場所だものな。手の届かない葡萄はすっぱい、というやつか」

「……なんだと、てめぇ。喧嘩売ってんのか」

 須磨の声が低くなる。誠介も負けずに須磨を睨みつけた。

「売っているとも。ただし、ただの喧嘩じゃない。『矛と盾』魔法大会本戦、そこで絶対に、決着をつけてやる!」

「はっ、予選三位が、予選一位によく言うぜ。──だが、買ったぞ、その喧嘩!」

 睨み合う須磨と誠介。

 それに水を差したのは、実に楽しげな声だった。

「いいねぇ、いいねぇ。ぶつかりあう男と男の意地。実にいい画だ。CMに使わせてもらうよ、これは絶対に盛り上がるぞぅ!」

 振り向けば、テレビカメラがそこにあって、須磨と誠介を映していた。その隣で、髭面の中年男が、目をキラキラと輝かせている。確か──予選前の説明会で、プロデューサーと紹介されたような──。

 市彦が頭を抱えているのが目の端に映った。

 そういえば、説明会で同意書を書かされた。『なお、控室の様子も撮影し、放映することがありますので、ご了承ください』。そう書いてあったっけ。

 ──ということは、今のやりとりが、全国のお茶の間に──。

 誠介はようやく青ざめた。だが、時はすでに遅く──そして、前言撤回をする気もさらさらないのだった。


 帰り道、先を歩く市彦の背を見ながら、誠介はさすがに気まずく、市彦に謝った。

「ごめん、進藤。僕の勝手な行動で、君まで巻き込んでしまって」

 市彦は足を止めて、振り返らないまま言った。

「俺も、中学の時、同じように須磨にキレたんだ。千鳥の悪口言われてさ、我慢できなくて。──でも、魔法理論学以外では、一回も、須磨に勝てなかった」

 そうして、市彦は振り返る。いたずら小僧のような、楽しげな笑みを浮かべて。

「最初に巻き込んだのは俺だ。お互い様ってやつだ、気にするな。──絶対に勝つぞ、誠介」

「──! うん。二人なら、絶対に勝てる。あいつをボコボコにしてやろうな、市彦!」

 沈みゆく夕日が、二人の影をアスファルトに映した。

 そして、市彦はくるりと一回転して──『千鳥』の表情になった。

「それに、私のために怒ってくれて嬉しかった。ありがとね、誠介くん」

 夕焼けに照らされた彼女の笑みは、誠介が思わずバッグを取り落とすほどに美しかったのだった。

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