決意とデートと
そんなことのあった翌日だった。いつもどおり真面目に授業を受け終え、部活動も入っていない誠介は、さっさと帰ろうと鞄に教科書を詰めていた。
が、廊下がやけに騒がしい。
「あれ誰? 誰かの彼女?」
「馬鹿、よく見ろよ学ラン着てるだろ」
「じゃあ何? どっかの学校のカチコミ?」
「おまえ、ヤンキー漫画読みすぎ」
そんなざわめきがどんどん大きくなり、それと同時に、廊下を歩く足音が聞こえてきた。足音は、誠介の教室の前で止まった。
誠介は教室の入口を振り向き──そして、目を剥いた。
そこには、市彦がいた。学ランに身を包んだその姿は、昨日とは違い、少女には見えない。が、とびっきりの美少年であることは間違いなかった。誠明館高校の制服がブレザーであることもあいまって、非常に目立つ。
市彦は、誠介に向けて片手を上げ、ニヤッと笑ってみせる。
「よ、藤堂。昨日ぶり」
どよ、と教室がどよめく。教室中、いや、廊下に集まった野次馬達からも視線を浴びて、誠介は立ち尽くす。
「な、なんで……」
ようやく絞り出した声に、市彦は小首を傾げる。
「ああ? ちゃんと校門のところで、警備員さんに学生証見せて、名前と学校名を届け出たぞ。おまえと『矛と盾』魔法大会に出るから打ち合わせって伝えたら、『楽しみにしてるぞ、頑張れ』って通してくれたぜ」
──うちの学校、警備ザルすぎないか!?
誠介が心中で叫ぶ間にも、教室のどよめきは大きくなっていく。
「うそ、藤堂、『矛と盾』出るの!? 絶対上位行くじゃん」
「500万獲得したら、なんか奢ってくれよ」
友達でもない奴らが、バシバシと誠介の背中を叩いて、勝手なことを言う。
ここで流されてはいけないと、誠介は背筋を伸ばして市彦を睨みつける。
「勝手に決めるな! 僕はまだ、出場するなんて言ってない!」
優等生の誠介が出したかつてない大声に、辺りはしんと静まり返った。だが、市彦はまっすぐ誠介を見返した。
静かな声で語りかけてくる。
「自信がないのか?」
「──なに?」
その言葉に、誠介は思わず反応してしまう。
「テレビの前で、恥をかくのが怖いのか? 予選を通る自信もない? ああ、それとも──自分が所詮、オールAの秀才にすぎないことを暴かれるのが、そんなに嫌か? 理由をつけて挑戦しなきゃ、誰にも言われないもんな。『お前には所詮無理だった』って」
その言葉に、目の前が怒りで真っ赤になる。
『京介の真似はするなよ。おまえには無理だ』
そんな父の言葉が、頭をよぎる。そして、昨夜の京介の、へらへらした笑顔。
「──やってやろうじゃないか」
気づけば誠介は、そう口に出していた。
「僕に無理かどうか、目にもの見せてやる。絶対に、前言撤回させてやるからな!」
挑発されて、乗せられている。そう判断するくらいの理性は残っていた。
が、誠介はもはや止まれない。胸から全身にかけて、燃えるように熱くなる。
市彦がニヤリと笑った。
「OK。じゃ、打ち合わせと行くか」
薄いクリーム色の壁紙に、現代的な絵画が飾られたおしゃれなカフェ、ふわふわのパンケーキフォークに一口分乗せて口に運び、『千鳥』は満面の笑顔になった。それは見る者の心を暖かくするような、ふわふわとした笑顔だった。
──市彦と同じ顔のはずなのに、ぜんぜん違うなぁ。
そう思って、誠介は苦笑し、ホットコーヒーを啜った。千鳥が小首を傾げる。
「それで、市彦と誠介くんは、一緒に『矛と盾』に出ることになったの?」
「うん。申込みも済ませた。練習場所は、うちの学校が実習室の一つを放課後貸してくれることになった」
担任に相談したら、その日のうちに校長まで話がいき、『我が校きっての英才のためなら』とあらゆる便宜が図られた。学校の名を上げるチャンスを逃すわけにはいかない、ということらしい。
「それで、放課後、進藤がうちの学校に来て、打ち合わせと練習をしてるんだけど──」
市彦から浴びせられた罵声の数々を思い出して、誠介は眉を潜めた。
『違うって言ってんだろ! 五大属性を全部引き立て合うんだ! このままじゃ潰し合ってるだろうが!』
『今度は金属性の魔法力が他とつりあってねぇよ、この下手くそ!』
──思い出すだけで腹が立つ。他のパートナー候補者全員に断られたというのも当然の性格の悪さだ。
だが、それを千鳥に言うわけにもいかない。
「──まぁ、最初だから、なかなかうまくいっていないよ。難しい魔法陣だし」
と言うに留めた。だが、千鳥には察するところがあったらしい。
「市彦と仲良くしてあげてね。本心では、誠介くんが引き受けてくれて、すごく喜んでるんだから」
「え」
千鳥は再びパンケーキを一口口に含み、至福の笑顔を浮かべる。そして、なんでもないことのように言った。
「昔から市彦、『机上の空論くん』って渾名されててね──なによ市彦、本当のことでしょう?」
千鳥は、身体を共有している市彦の意識との会話を始めるが、誠介は口元を引きつらせ、
「あはは……」
と笑うしかなかった。『机上の空論くん』。なんて言い得て妙な渾名だ。あの精緻で見事な魔法陣が、全部机上の空論で、実際には市彦の思うようには実行不可能だったらどうする?それこそ、予選落ちもあり得る。
──だが、一度やると決めたことだ。市彦を信じるしかない。
そう決意を新たにした誠介に、市彦との会話を終えたらしい千鳥が微笑みかける。
「それに私も、新しいお友達ができて嬉しいな。──今度から、外で遊ぶ時は誠介くんが一緒に着いてきてくれるって市彦が言ってたけど、こうして、一人じゃ入りづらいお店にも入れるし──
それに、誠介くんとお話するの、楽しいもの」
輝かんばかりの笑顔に、誠介は目が潰れそうだ。
市彦がニヤニヤと笑いながら、『約束どおり、千鳥とのデートはちゃんとセッティングしてやるよ』とからかうように言ったことさえ許せそうだ。それが、『その代わり、デートの時はおまえが支払えよ、男の甲斐性を見せな』と続いたとしてもだ。幸い、誠介は同級生がからかう通り、裕福な家に生まれた『お坊ちゃん』だ。金に余裕はあった。
それに、誠介も千鳥と話すのが楽しかった。同級生と話せば、『真面目すぎてつまらない』と言われたり、『なんかずれてる』と笑われたりする誠介だったが、千鳥は誠介といるのを心から楽しんでくれているようで、それが嬉しかった。
その時、外からサイレンの音がした。かなりの数の消防車が出動したようだ。隣の席のカップルがスマートフォンを確認し、
「隣町で炎害発生だって。大したことはないみたい」
「最近、炎害多くない?」
と会話を交わすのが聞こえる。
『祈りの塔』の『祈りの姫』が地底の炎を鎮めているとはいえ、時折地上に小規模な炎が吹き上がることもあり、それは『炎害』と呼ばれている。そう珍しくもない。
原因がわかれば気にすることでもない、と誠介は再びコーヒーカップを手にとったが、目の前の千鳥が青ざめているのを見て、戸惑ってしまった。
「……どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。……炎害って、苦手で」
震える声でそう答えられて、誠介はさらに慌てた。
「あ、もしかして、炎害でご家族に怪我や不幸でも──? あ、ごめん、聞いていいことじゃかなかったかもしれないけど」
千鳥は首を横に振った。
「そうじゃないの。そうじゃないけど──……ねぇ、誠介くんは、炎害ってどう思う?」
「どうって──」
誠介はしばらく考えて、言った。
「僕らみんなで、乗り越えなきゃいけない災害だよ。もちろん、『祈りの塔』の『祈りの姫』もいてくれるけど、それだけで十分じゃない。さっきの消防車もそうだし、最近のアスファルトは地底からの炎を防ぐ素材で出来てる。舗装のできない畑や山林でも、炎避けの儀式をしたり、炎避けの網や薬品を散布して、対策してる。──炎がこの地を焼き尽くしてから七十年。僕らは──っていうか、僕らの先人たちはずっと炎害と戦ってきて、成果を上げてきた。それに、僕らも続くんだと思う。そしていつか後の人に引き継いで、そうして続いていくんだと、そう思ってるけど……」
答えになっているか分からずに、語尾は小さく消えていく。だが、千鳥の顔色は、ずっと良くなったようだった。
「──ありがとう、誠介くん」
「え?」
意味が分からずに聞き返すと、千鳥はちょっぴり悪戯な笑みを浮かべた。
「お礼、しなきゃね。魔法の練習、私も付き合ってあげる」
千鳥に連れて行かれたのは、人気のない河原だった。川風がビュンビュン吹いて、かなり寒い。誠介はコートの前を掻き合わせた。
「こ、こんなところで、何するの?」
「魔法の練習だよ。──手、貸して。手袋は取ってね」
手袋を外せば、とたんに冷気で指先がこわばる。千鳥の手が誠介の手を取って、その温もりがわずかに手を温めた。
「ここには河があるから、水属性の魔法力が漂っているね。それを感じて。──その水を根から汲み上げて、河原の樹が育っている。木属性の魔法力が生まれている。それも、分かる?」
千鳥の声とともに、周囲の景色がまるで変わったような気がした。それはただの景色ではなく、魔法力の循環がそこにある。千鳥の手がほのかな魔法力を帯びた。水属性から木属性へ、木属性から火属性へと変化していく。
「枯れ葉が燃えるのをイメージして。木属性の魔法力が、火属性の魔法力を生み出すの。そして、灰が土になる。土属性の魔法力が生まれ──土は土中に金属を育む。金属性の魔法力が生まれる。空気中の水分が金属に触れて水滴になる。ほら、水属性が生まれた。──ここに、相生が為される。すべては繋がっているの」
その感覚は、誠介を魅了した。教科書では読んでいた。一応の魔法も使えた。──でも、自分の使う魔法が、こんなに世界と関わり合っていると実感したのは初めてだ。
誠介は興奮して、千鳥の手をギュッと握った。
「ありがとう。なんか、感じが掴めた。なんていうか──すごいものを感じた気がする」
感じた感動の半分も表せない、自分の口下手が嫌になる。だが、千鳥は微笑んだ。
「ううん。──嬉しかったから、お礼だもの」
その言葉の意味は誠介には分からなかったが、あまりの興奮と満足感に、気にもならなかった。
ちょうど二人のそばに街宣車が近づいて、『祈りの塔』の不要論をがなりながら通り過ぎた。
もう行かなきゃ、と千鳥は言って、それでその日はお開きになった。
帰ってからも、誠介は今日覚えた感覚と、千鳥の手の温もりを、ぼうっと思い出して、あやうく風呂でのぼせるところだった。