手紙とミリオン 2
「お前の国の身分証に威力があり過ぎたんだ」
確かにうちの国はあちこちに名が通っているらしいが……そんなにか。
「国の名前を出したら震えだした。おかげで話も手早く済んだが」
そんなになのか。
ミリオンからの「お前の地元は何なんだ」と言いたげな視線から目をそらす。
「俺もよく知らないが知ってる奴は知ってるものらしい」
「海賊にあれだけ恐れられているのなら、確かにレニーが無事でいる可能性は高い」
話が脱線気味になったので、俺は竜の手入れに取り掛かりながら続きを促す。消灯時間ままであまり時間がない。
ミリオンは通路の端にあった小机を持ってくると手帳と裏帳簿を広げる。
「彼女がそんなところの関係者だとわかったので、海賊は扱いに困った。表立って捕虜にしたくはないし、売ることもできない。その結果この裏帳簿にだけ記載されている海賊船に預けられることになった」
だから途中で名簿から消えていたのか。
「それを見せてくれ」
裏帳簿を受け取って中を確認する。
色あせた防水紙に海賊特有の癖がついた文字が並ぶ。折り目のついたページに一隻の船についての情報が書いてあり、その横に明るい色のインクで「クリーニーちゃん」という項目がある。続いて日付と「捕虜女一人」の文字。これか。
「このクリーニーというのがこの海賊船の名前か? 記載された船体情報だとそこまで大きくない船のようだが、ここまで徹底的に隠すのは金庫代わりの私財船なのか?」
「いや……」
俺の言葉にミリオンは変な顔つきになった。何だ?
「どうしても部下や同業者にバレたくないとかで、あまり詳細な情報を吐かなかった。薬には軽い自白作用もあったはずなのに」
なにか秘密があるということか。
「他に情報はあるのか? 位置情報は?」
ミリオンは別のポケットから折りたたまれた防水布を取り出した。手書きの海図だ。
「クリーニーの船はこの海域に潜伏中で、あらかじめ指定した集合日時まで姿を現さない。それまでどこで何をしているかは海賊船団長にもわからない。判明したのはそこまでだ」
地図を覗き込むと俺の知っている範囲から外れた場所だった。たしか小島が多く複数の小国が入り乱れているあたりだ。
「かなり広範囲だな。身を隠しているならどこかの小島で物資の補給や船の手入れをしているんじゃないか? 移動していないのなら探しやすいが」
だがこれは竜で飛んで調べられる規模を超えている。
「集合日時まで待つのか? それとも探すのか?」
ミリオンは地図から顔を上げ、俺を見た。
「探す。海賊達の次の集合予定日はかなり先だから待たない。レニーは必ず見つけ出す。方法も考えてある。でもこれは俺達だけじゃ難しいから、準備には時間がかかる」
「学校は」
「もちろん卒業する」
ミリオンはそう言って机の上に広げていた物をまとめ始める。
全てをポケットにしまうと、男は普段の落ち着いた表情に戻っていた。
「お前の国にも依頼の手紙を書いたから、時が来たら正式な指示がいくはずだ。忙しくなるから学内の用事は早めに片付けておいてくれ」
情報共有はそのためか。
俺は彼女を海の向こうへ案内した責任がある。
正直ミリオンが動いていなければ学院を飛び出していただろう。だが……
「わかった」
一介の学生が動ける範囲を超えた事態だが、俺を信じてくれたように俺もミリオンを信じる事にする。
こいつは本気だ。
*
俺が再びミリオン達と会ったのは海の上だった。
必要な課題や試験を終えて学年末の休暇に入ると予告通り実家の国から出向命令が来た。
指示通りに竜に乗って飛び立ち、指定された日時の、指定された海の上に到着する。例の海域のすぐ近くだ。
見下ろせば一隻だけで航行する真新しい船。
竜に乗ったまま上空から様子を観察していると、向こうも気付いて甲板の動きが慌ただしくなる。
特に合図は無いが問題ないと判断して下降し、そのまま甲板に降りるとかつての同級生二人が見慣れない騎士服を着込んで待ち受けていた。
「ジル、久しぶり」
「ああ、そちらも無事でなによりだヘリット」
竜の背から降りた俺にヘリットは変わりない様子で笑いかけてくる。再会に喜んでくれているようだ。
その横に立つミリオンは無言で書類を渡してきた。こちらはなんの感情も読み取れないが……
「その顔はどうしたんだ」
久しぶりに見た顔は左半分が包帯で覆われていた。
「別に。これがお前と竜の借り出し証だ。こっちは今回の所属証明書と誓約書。中に目を通したら署名してくれ」
「わかった」
渡された書類にざっと目を通していく。彼らの胸元にある見慣れない紋章と書面にある紋章は同じ図案だ。
書類の中身は……機密保持に関するものがやけに多いな。何のためのものだ?
「詳しく説明する。こっちだ」
案内されたのは倉庫だった。広い空間の片隅に椅子と机、寝台といった最低限の家具といくつかの資材箱。あらかじめ依頼していた、竜と一緒に滞在できる部屋だ。
「ここは防音にしてあるんだ」
確かに外にいた他の船員の足音も、波の音すらかすかにしか聞こえない。
「居住区とは別の区画なんだけど僕らの部屋もすぐ隣に作ってある。機材置き場代わりにね」
ヘリットが説明する横でミリオンが桶に入った真水を竜に差し出している。
俺は背負っていた鞄を下ろし、中から手のひら大の球体型密閉容器を取り出すとヘリットに渡す。
「うちの傷薬だ。そいつの包帯の下にあるのが外傷なら使ってくれ」
「うわ、ありがとう。ミリオンほら、いい加減治療しておこう」
俺が椅子に座り、書類を広げる横でミリオンは大人しく包帯を外す。
包帯の下は見事な打撲の痕だった。
「レニーの兄のジネヴァさんに、彼女を探しに行くから貴方は待っていてくれと言ったらぶん殴られた」
それは……よく一発で済んだな。
「わがままを言ったのは俺なんだから絶対に言うなよ」
「わかった」
解決済みならそれでいい。その薬を使えば跡も残らないだろう。
「眼球はよけてくれたし、いい人だったね」
ヘリットが薬を塗りながらのんびりした調子で言う。
……そうなのか?
「言う暇が無かったが、二人とも卒業おめでとう」
「ありがとうジル」
「式典の後は大丈夫だったのか?」
「大変だったけどなんとかなったよ。あれはすごかったね」
こいつらの卒業式は厳戒態勢で執り行われた。
毎年の行事のはずなのに、めでたさを吹き消してしまうような緊張感に満ちた式典だった。
警備の人手が足りずに一般生徒まで駆り出され、俺も武装して竜舎で待機していた。
「お前達は一体何をしたんだ」
何か犯罪でも起こしたのか。
又聞き程度にしか話を知らないが、この二人は卒業証を受け取るとすぐ退席してそのまま行方知れずになっていた。
「いやあ、ミリオンが色々しちゃって」
「俺達の価値を引き上げただけだ」
ヘリットは笑い、ミリオンは表情を変えず自分で包帯を巻き直している。
「だいぶ前にヘリットの発明を『わかりやすくして』いくつか国外にばら撒いて、いろんな国が興味を持った」
これは騎士科の大会の直後から始めていたことだと、とミリオンは説明する。
「そのうち作った人間達を本気で欲しがる奴らが現れて、争奪戦に発展した。でも俺達は学生だったから、学院が守ってくれた」
「卒業式で証書をもらって、敷地を出るまでは学院が、門を出たところからは所属先の騎士団が、うまく守ってくれたんだ。あれでよく死人が出なかったよねえ」
ミリオンの言葉にヘリットが続けた。
どうでも良さげな顔と呑気そうな顔とが並ぶ。この青年二人は俺が知らない間にかなりの重要人物となっていたらしい。
「それで、胸元の紋章からすると所属先はルー国、いやルー騎士団国か」
この鮮やかなオレンジ色はよく覚えている。たしかどこかの騎士団によって成立した国だったはず。学院とも交流はあるが、かなり遠方の国だ。
「半分はわかるが、もう半分は知らない紋章だな」
「この部署は僕らが研究開発をするためのもので、出来たばかりなんだ」
お前達専用の役職か。
「たくさんお金をくれるとか、条件の良さそうな勧誘は他にもあったけど、発明品の運用や試験も自由にさせてもらえるのが魅力で、ミリオンも一緒に来てくれたし良い所だよ」
条件が良すぎないか。何をどう交渉したんだ。
思わずミリオンを見ると、こっちは俺に書類の束を突き出してきた。
「ヘリット、俺は今から計画の概要についてこいつに『熱弁をふるう』から」
「わかった。僕は『興味を失くして』隣の部屋で作業してるね」
俺が署名した書類だけ持ち、へリットはにこやかに出ていく。
「俺達はルー騎士団国に売り込みをかけた」
そう言いながら出してきたのは船の設計図だった。
「ルー騎士団国は小さな国で、海に面してはいるが海洋戦力はいつも他国から借りている。だからへリットが発明した新型船を欲しがっていて、条件交渉に追加で俺が研究の応用で作った海図もつけたらすべて希望通りに進んだ」
「あ、ああ」
出てきたのは知っている海に関する、見たことのない海図。おい、これは本当に知らないやつだぞ。
「新型船とこの海図で新しい航路を開拓できたから、騎士団での最初の任務は船の試験航海と、この海域で新規航路が本当に使い物になるかの調査になった。計画書はこれだ」
「……さっきからほいほいと渡されたものに目を通しているが、いいのかこれは」
さらっと説明しているが、新規航路開拓はかなりの事件だ。独占してしまえば海での勢力図が一変するだろう。
「もちろん全部最重要機密だ。この複製した海図は『俺が練習で作成した廃棄予定のもの』だから『返却しなくていい』が、あとは記憶して自国に持って帰ってくれ。船の設計の肝は図面のこことここ」
俺の借り出し賃はこれか。
「海図以外は『あとから騎士団が他国に流出させる』ことになっているから機密情報なのは今だけだが、海図を読み解けないと航路は活用できない」
でかすぎないか。
「お前の国には色々動いてもらっているからな」
「確かにあちこち飛び回って海賊の動きを牽制するのは大仕事だったな」
うちの国は頭数が多くないから、動ける者総動員で飛び回ることになった。
「だが一番はこれだろ」
外套の内ポケットから小さな袋を出すと、初めてミリオンの目つきが変わる。
「言われた通り、ここへ来る前に中継島をいくつか確認したら届いていた」
彼女からの手紙だ。