共倒れでも大丈夫
コロナ感染によるパンデミックで医療崩壊がおきかけている
医療従事者も、患者も、家族も日々すさんでいく。終わりのない戦いに挑むその姿に
自分たちの今を重ねた
1.虫の知らせ
祖母を看取って以降、夢で会える時は決まって何かの前兆を知らせていた。俗にいう虫の知らせというものだ
最初の知らせは、母の癌。右足だけが異常にむくみ、微熱が続いていた。医師は何もないと言うが、検査結果は悪性リンパ腫という血液の病気のステージ3だった。
専門の病院に診察してもらうと、治療をしないと3か月持たないというので、つらく長い間治療が始まった
抗がん剤治療がはじまり、3週間くらいで髪の毛は抜け落ち、眉までもなくなっていた
また点滴治療による副作用で、治療から2週間ほどで免疫力がほとんどなくなり、血液も凝固しにくい体になり、
感染や転倒など細部まで注意が必要になった。肺炎をおこすこともしばしばあり、認知症を患う母は、完全な理解ができず静かに治療を受けるため、夜も泊まり込み交代で家族でみていた
このころから父も病気が進行していたのだろう。しかし
母の看病に付きっきりであったため、気づくことはできなかった。母は肺炎が重症科したり、尿路感染になったり治療は体にとってダメージが多く悲鳴をあげていたが医師と看護の懸命な努力で退院できるまで回復していた
しかし何が一番大変かというのは、入院し退院して
体が元気になると、また入院し治療をしないといけないということ。本人も家族もそれを受け入れることが、精神的にめいっていた。
抗がん剤は、最低3か4クール同じように点滴治療をしないといけない。癌の増殖はとても早く治療しないと生命にかかわるからだ。家族一丸となりなんとか乗りきった。そして
入院から、外来での治療に移行していく
母が外来で抗がん剤治療をするときも、父は点滴の間に散歩に行くことが多く、この時はただ気楽だなと思っていたが、いま考えてみると父も何か体に異変がおこり始めていたのかもしれない。あとのまつりだが、ちゃんと前兆はあったのだ。ただ私が見つけきれなかっただけ
この時気づいていたら、何かが変わっていたのだろうか?
新たな虫の知らせも来ていたがあまりにも母の看病に神経を張り巡らして余裕ができなかった。
そして父もまた病魔におかされていると気づくのは、さらに一年後の話となる
終わりのない戦いはない
いずれかは、戦いはおわる
大事なのはどう乗り換えようとしたかということ。結果が大事だが、すべては結果ではない。過程が大切だ
医療従事者の方がいるから、私たちは生きてる。また最後まで自分らしく生きることができる。本当にありがとう