第4話:父子(おやこ)の葛藤。
いきなり、ホテルから飛び出していった籠原。 一体、彼はどこへ向かったのか?
箱根小旅行の初日。 いきなり、籠原がホテルからいなくなり、それを報告する為に担任へ連絡し、彼女がホテルの受付に到着した時には、籠原脱走からかれこれ1時間弱経過していた。 担任を待つ間、俺は籠原の携帯に電話を掛けたのだが、電源を切っているのか電波の届かない所に居るのか繋がらなかった。
中野:
「それで、籠原君が逃げ出した原因って一体何なの?」
溜池:
「いきなりの事だったんで、解りません…。 ただ、籠原は何か不満や悩みを抱えていたのかもしれません。」
中野:
「…とにかく、今はあなた達全員、ホテルで待機していなさい。 籠原君は、私と他の先生方、そして地元の警察の方々と協力して責任を持って捜しますから安心して待ってなさい。」
溜池:
「…はい、解りました。 宜しくお願いします。」
中野:
「もしかしたら、ホテルのフロントかもしくは溜池君の携帯に籠原君から電話が掛かってくるかもしれないから、もし掛かってきたら彼を出来るだけ落ち着かせて、慎重に今居る居場所を聞き出して。」
溜池:
「…解りました、出来る限り尽くしてみます。」
中野:
「じゃあ、行ってくるわね。」
そう言って、担任はホテルから出て行った。
溜池の心の声:
「一体どうしたんだよ、籠原…。」
[連絡20分後、辰巳の部屋]
辰巳:
「ったく、あのトラブルメーカー。 一体、どこに行ったのよ…。 まっ、バカだからお腹が空いたら帰ってくるでしょ。」
辰巳は、他人事のように振る舞っているが、何だかんだ言って一番心配してるのはやはり彼女だろう。 よく口喧嘩する仲なら、突然相手が居なくなると不安になるのも解る。
赤羽:
「とにかく今は、籠原の無事発見を願うしかない。 間違っても変な気を起こさない内に。」
汐留:
「へっ? 変な気って、まさか…。」
辰巳:
「いっ、いくらバカでも、それは有り得ないっ! …有り得ない、絶対死んじゃ駄目なんだから…。」
辰巳は俯いて、肩を震わせている。 場の空気が一段と重くなったのは、必然的な事か。
溜池:
「俺は、信じるよ。アイツがムカつく程の笑顔でここに帰って来るのを。」
赤羽:
「溜池…。そうだな、俺も信じようかな。」
汐留:
「…うん、柚莉果も信じるぅ!」
鶯谷:
「…私も。」
辰巳:
「みんな…。 ひっく…、私も、信じるっ。 帰ってきたら、思う存分アイツの顔を殴ってやるんだから!」
俺達は皆一同、籠原の帰りを懇願していた。
[神奈川県 箱根町 芦ノ湖]
籠原の心の中:
「関東人の皆に、関西人の俺の気持ちなんか解る訳ないんや! ホンマの友達が居る、皆が笑って待っとうてくれる、門真に帰りたいわ…。」
俺は、湖岸で前方の湖面を眺めながら考えていた。
[回想:1年前の籠原家]
籠原の父親 惟沖:
「今度、やっと東京にワイの店を出せるようになったんや! 遂に関東進出や! ワイのホンマモンのお好み焼きを関東人に喰わせてやるんや!」
籠原:
「えっ?!」
惟沖:
「ワイのお好み焼きが美味すぎて、関東モンはきっとびっくりして腰抜かすで、新喜劇のようにな! ワハハッ!」
籠原:
「…あんな、父ちゃん。 水を差すようで悪いんやけど…俺、東京なんて行きたないわ。」
惟沖:
「なんや、お前は大阪の方がええって言いたいのか?」
籠原:
「せや。 俺は、今のここでの暮らしがごっつ自分に合ってると思うねん。 だから、今まで過ごしてきた環境が変わると、解らんけどどうしようもなく不安になるんや。高校入っても、今の友達とずっと一緒にバカやっていたいねん!」
惟沖:
「うーん…、お前の気持ちは解った。 せやけど、もう決まった事なんや。 一家全員で関東に移って、お好み焼き作って幸せに暮らすんや! なぁ、父ちゃんの事を解ってくれや…。」
[回想終了]
俺達家族はその後、俺が中学を卒業する2ヶ月前まで門真でお好み焼き屋を営業し、卒業と同時に店を畳み、東京へ引っ越した。
そして、東京に来て2週間経った3月中旬、予定されていた東京でのお好み焼き屋『籠原』が開店した。最初は生活が大阪時代より貧しくなったが、1ヶ月ぐらい経つと、大阪時代と同じでビジネス街での口コミにより東京でもサラリーマンやOLらがかなり来店するようになった。 だが、客数は大阪時代より少ない。 やはり、あのまま門真で店やってた方が良かったと思ってる。 そんなに長くは続かないと思う。 東京は、大阪に負けず劣らず商いにシビアな面があると、テレビ番組に出ているドエライ専門家がよく言っていたし、そんな甘くないと思う。
籠原の心の中:
「父ちゃん、早よ目ぇ覚ましてくれや!」
俺の心中は、やるせない気持ちでいっぱいになってしまっていた。
籠原の心の声:
「はぁ…、せやけど溜やんには悪い事してしもうたなぁ。 勝手にホテルから飛び出してしもうて…。 今頃、かなり怒ってるやろうなぁ。」
???:
「おーい、そこの少年や。」
籠原:
「ん?」
誰かに呼ばれ、後ろを振り返るとそこには一人の老人がにこやかな表情で立っていた。
???:
「少年、芦ノ湖は美しいじゃろ?」
そう言いながら老人は、俺のいる湖岸まで歩いてきた。
籠原:
「あの…すんまへん、どなたでっか?」
???:
「おぉ、自己紹介がまだじゃったな。 私の名は、宮ノ下。 この芦ノ湖近辺に住む、ただの老いぼれ爺じゃ。」
籠原:
「自分は、籠原と申します。 ところで、何か俺に用でっか?」
すると、宮ノ下という老人は俺の隣に腰を下ろした。
宮ノ下:
「どっこらせっと…。 いやぁ、さっきワシがここを散歩している時にふと見ると、君がうなだれて座っている姿があって、何かあったのかと声を掛けてみたんじゃよ。 お節介やきの爺を許しておくれ。」
籠原:
「すんまへん、ご心配お掛けしてしもうて。」
宮ノ下:
「いやいや、ワシで良かったら君がうなだれている理由を教えて貰えんかのう。」
俺は、宮ノ下さんに心の中でモヤモヤした気持ちを正直に吐露した。
宮ノ下:
「ほぅ…成る程な。」
籠原:
「俺、どうしたらえぇのか解らんようになってしもうて、この場でうなだれておったんです。」
宮ノ下:
「実は、ワシもそういう経験があってのう…。」
籠原:
「えっ、そうなんでっか?」
宮ノ下:
「実はワシ、若い頃は銀行員で転勤族じゃった。 だから、ワシの倅は幼い頃から友達がなかなか出来んかった。
仕事の方もやっと落ち着き、愛知県の豊橋に定住する事が出来た頃にはもうワシの倅は、高校卒業を間近に迫った時じゃった。 倅は、それまで人と長く付き合った事が無かったもんで、人間関係の面において未熟じゃった。
ほんで、倅は就職してから数年で精神的疲弊により体を壊してしまい、結局倅は仕事を自ら辞めざるを得なくなってしまった。 ワシら家族は、倅を療養させる為にこの箱根で暮らすようになった。
自分自身で言うのも難じゃが、銀行員をしていた頃はバリバリ働く仕事人間じゃった。 倅の事なんか、ちっとも考えてあげる事は無かった。 今でなら、本当に申し訳ないと思えるのじゃが、その時は自分自身と世間体の事だけしか考えられなかった。 家庭の事は二の次で、単身赴任なんか冗談じゃない、家族はワシと一緒にいないと駄目だと勝手に決めつけていた。 妻は、何も言わなかった…いや、言えなかったんじゃろう。 当時の公務員は、転勤族が多い時代で働き手を単身赴任させる家庭は殆ど無かったんじゃよ。 新たな街から街へ、ワシらは移住し続けた。 ワシと妻、少なくともワシ自身は新しい土地でも難なく生活する事が出来たと思う。 しかし、まだ未熟だった倅にとっては苦痛であり、長年に渡る悩みの種になっていたんじゃろうな…。」
宮ノ下さんは、昔を懐かしむように湖面の奥の方へ目を向けた。
宮ノ下:
「…おう、スマン。 いつの間にか、ワシの話ばかりしてしまった。 ワシから言える事は、君の気持ちをきちんと整理してから、お父さんへちゃんと君の正直な気持ちを訴えかけるべきじゃろう。 それは、君が後悔しないようにな。 じゃが、それをしたから正解だとは限らない事を覚えておいて欲しい。 若い内に、よく考えなさい。 それじゃあな。」
籠原:
「あっ、ホンマおおきにです! 宮ノ下さん、もう一度俺、自分の気持ちを親父にぶつけちゃろうと思います。」
宮ノ下さんは、こちらを向くとゆっくり微笑んで湖岸から去っていった。
籠原の心の中:
「…ふぅ、何や気持ちが落ち着いた気がするわ。 後悔せんように…、か。」
ゆっくりと立ち上がり、俺は皆が待っているホテルへ戻る事にした。