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俺と信。
長いもので、もう10年以上になるこいつとの間には、実はあんまり会話はなかったりする。
互いの無言が苦にならない、そんな関係。
ビニール傘を差し横並びになって、ゆっくり歩を進める。
しかし今、二人の間には、普段の心地よいものとは別種の、重たい沈黙が横たわっていた。
傘を打つぱらぱらという音と、道行く自動車があげる水しぶきの音が混ざり合う朝の一幕。
まだ1限まで余裕はあるが、心の余裕が失われている。
俺は、頭を抱えたい気分でいた。
「……どうしよう」
「……どうしようねぇ」
しゅくだいを やっていないのである。
やってくるのを忘れた。というよりは、普段通りの週末を過ごしていたら、いつの間にか月曜日を迎えていた、というのが正しいか。
学期最後のレポート課題で、評定を大きく左右するものであるのに違いなかった。
やらかした。というのが、率直な思いだ。
脅すようなことも、先生は言っていたような気がする。
やばい状況。めっちゃ怒られる。もしかしたら、単位が貰えなかったりして……
考え始めると、思考は悪い方向へどんどん転がり落ちていく。
焦燥が、頭いっぱいに埋め尽くす。
「やべぇよ、やべぇよ……」
「陽に写させてもらったら?」
「……、やっぱそれしかないよなぁ……」
信と同じく小学生来の付き合いの陽は、すっかり女子高生デビューを果たしてしまい、茶髪にピアスと見た目はやんちゃ。しかし元々のマメな性格は変わることなく、遅刻なし・提出期限は守る・テストもしっかり高得点で、先生受けもいい優等生ちゃん。
陽には、昔から課題を写させてもらっていたのが癖になっていて、つい先日、叱られてしまったばかりだ。ちゃんと課題をやります、なんて子供みたいな宣言もさせられた。
それがあっての今日、また写させてくださいなんて。……ちょっと、言えない。
だが、この課題。出せねばどうなることか。
「ほら、一緒に謝ってあげるから。シャキッとしなよ」
「他人事と思ってんな」
「当たり前じゃん?」
「こいつ……」
そう。こいつは、俺がこんなにも苦悩しているこの科目を、そもそも履修していない。よって、俺のように苦悩することもない。親友がこんなにも、苦しんでいるというのに、隣で笑っていられるのだ。
いいご身分ですこと。なんて、冗談の一つも言いたくなるというもの。
しかし、信に腹を立てている場合ではない。
今すべきことは、謝罪の言葉を必死で考えること。なんとか許してもらって、課題を写させてもらわねば。
陽は、なんだかんだ言って、ちゃんと謝れば許してくれる。
そう信じよう。
大丈夫、大丈夫。あいつは優しい。今隣でヘラヘラしている奴とは違うんだ。
「あれ?」
ふと、信が声をあげる。
つられて顔を上げた先には、なにも見当たらない。
「なんだよ」
「違うよ、あっち」
指をさされた方向。3方向をそれぞれ住宅に囲まれた袋小路に、うずくまる人影。
ぎょっとする。
目を凝らすと、ウチの高校の女子制服を着ているように見える。
ピンクの傘から覗く長い黒髪。周りの女子と違って何色にも染めていない髪が、新鮮に映った。
しかしこんな朝の時間に、こんな場所で、何を。
「なんだ、アイツ」
「声かけてみようよ、面白そう」
好奇心いっぱいの信に対して、俺の心は興味とめんどくささが半々くらいだったけれど。
まぁいいか。くらいの軽い気持ちで、この謎の女生徒に声をかけることにした。
少し近寄る。
さっきは距離があってわからなかったが、こいつ、だいぶ小柄だ。中学生と言われても、疑いを持てないくらい。
「あの」
さらに近付いた信が声をかける。
女生徒はまだ、こちらに気付かない。
鞄を地べたに置き、何かを探しているような……?
「あの、どうかしました?」
2度目の声かけ。しかし、それにも反応を見せる様子はない。
彼女が振り向けばもう、すぐ目の前に俺達がいる。
しかし彼女は振り向かない、気付かない。
制服の背中が濡れてしまって、紺色が一層濃くなって見える。
大丈夫か、コイツ。
見ず知らずの相手に、それどころか顔も見ていない人間が相手なのに、心配するような、見守っていたくなるような、そんな気持ちが湧いてくる。
「ねぇ。どうしたの?」
信が、ついに少女の肩を叩いた。