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それにしても、昨日の晩御飯。おいしかった。
最近週末も家を空けるな、とは思っていたんだけど。まさか料理教室に通っているとは思っていなかった。
……こっそり浮気を疑っていたけれど、ドラマの見過ぎだったみたい。
不意打ちを食ったような不思議な気分だ。
私も、お母さんから料理を教わらなくっちゃ。そんな考えが、焦りが、自然と浮かんでくるくらいには、おいしかった。
こんだてとかは、お母さんと相談して決めたんだって。
あと、カロリーとかもちゃんと考えて作ってくれたみたい。食材ごとのカロリー覚えて、グラムで計算して……なんて、ちょっとできる気がしない。
兄さんも驚いていた。兄さんは、いつも遅くまで残業で、家にいる時はいつもだらだらしているお父さんに対して、なんとなくではあるけれど家族の中では一番下に見ているふしがあって。
見直したって言っていた。
自分も料理を勉強してみるって。
こうなると、私の立場が危うい……。このままだと、家族で唯一ごはんを作れない人になってしまう。非常にピンチ。やっぱり、今夜からでもお母さんに料理を習おうかなぁ。
――いつものように、雑多なことを考えながら歩く。
むくむく膨らむ危機感をしまい込んで踏み出す一歩。
視界に雪がチラつく。
風が弱くてよかったと、素直に思う。電車通学の兄さんが家にあった最後のカイロを持って行ってしまったから、スカートのポケットに入っているのは財布とケータイだけ。
口元を覆うマフラー越しに、冷たい空気を感じる。
今年の初雪って、天気予報のお姉さんが言っていた気がする。今日の最高気温は何度とかなんとか。低気圧がなんとかかんとか。
今日のキャスターさんはずいぶん美人さんだったな。彼氏とかいるのかな。
なんて、中身のないことをつらつらと考え続けていても、道に迷うことはない。
見慣れた道、見慣れた景色。手元にはビニール傘。
アスファルトの道に、積もらない雪が落ちてくる。
いつもの通学路だ。家々に囲まれたこの細い道を、半分以上は惰性で歩いている気がする。
服に落ちた雪が、しみをつくった。
それにしても。
昨日の夜、お父さんがびっくりしている私に見せた得意そうな表情はしばらく忘れられなさそうだ。今も思い出しながら、ちょっぴりむかむかしてきたかも。
……でも。
(…………ちょっと、イイかも)
ずいぶん腹立たしいどや顔だったけれど、私が食べているとき少し不安そうにそわそわしていた姿とか、お母さんと話しているときの無邪気な表情とか、なんだかいろいろ思い出してしまって。
お調子者でかわいいなって。
……ちょっとだけ、お母さんの気持ちがわかったかも、なんて。
気のせいだと思う。
いつも家にいないし。きっと安月給だし。かっこいいわけないんだけど。
でも、なんだろう。
不思議な高揚感に包まれる。
「あ、レポート……」
ふと、引き戻され、立ち止まる。そして、湧き上がる焦燥感。
やばいかも。やばい。
物理のレポート、今日だった気がする。というか、今日だ。
3日前、金曜日の夜に、謎にテンションが上がって、一気に終わらせたんだった。なんで持って来るのを忘れてしまったんだろう。やったけど忘れました、なんて、小学生が使う言い訳にしか聞こえない。やばい。
取りに帰るべきなのか。しかしもう家から半分以上歩いてきてしまっている。今から引き返そうものなら、遅刻だ。
明日提出ということで、許してもらうほかにはなさそう。
ひとつ思い出すと、昨日の晩御飯の衝撃で、他にもなんだか色々忘れている気がしてくる。
「……筆箱忘れたかも」
あーもう、全部お父さんのせいにしよう。そうだ、全部お父さんが悪い。
帰ったら、文句を言ってやるんだ。
そう心に決めて、一度止めた歩みを再開する。
みぞれ雪はまだ、降り始めたばかり。