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三.逆風と逆行。

 あわてて見回してみた四方には、何も変わることのない世界が広がっている。

 幻聴だろう、と鴉は笑い、止めてしまっていた足を再び動かした。

 今度は少し頭を使って、尾羽の方へ進んでみる。

 やはり頭の方へと流されて、鴉はァアとため息をついた。

 

『ほおぅい、ほおぅい。

 そんなに風を好いていなさるのかね小さきおひと』


 笑いを含んだ声がまたしても耳に届いて、鴉は仰天した。

 もう一度、今度は先ほどよりも注意深く、辺りを見回してみる。

 そこには、垂直にそびえる直線的な石の連なりや、真っ黒で硬い大地、そしてやはり真っ黒な天が在るだけだった。唯一見かけた生き物といえば、行列を作って行進中であったらしいアシナガアリたちだったが、ある者は白い欠片を、ある者は何かの羽らしきものを担いだまま、ぴたりと動きを止めている。彼らが声の主だとは思えず、鴉はとまってしまった足を、アシナガアリを踏まぬようにそっと動かした。


『ほぉうい。ほぉうい。

 それとも風に好かれていなさるのかね、小さきおひと』

 

 これで三度目だった。いい加減、空耳であろうはずもない。

 鴉は気まぐれに、言葉を返してみることにした。

 いらえなどあろうはずもないが、それでもかまわなかった。

 進もうにも戻るばかり、八方塞がりなこの現状を打破する何かが欲しかったのだ。


「好かれているというならそうだろうさ。

 どこへ向かおうにも風が向かいから吹いて進めやしない。

 はた迷惑なことだ」


 口にしてみれば、たしかにその通り、迷惑千番極まりない風のありように鴉はくつくつと笑った。

 記憶にある中で、はじめての笑いだった。


『ほおぅい、ほおぅい。

 そんなら離れりゃよかろうに小さきおひと』


 返ってきた突拍子もない言葉に、嘴を閉じることができなかった。

 そこに大気があるかぎり、風から逃れられるものか!

 そう怒鳴りつけてやりたいような気もしたが、この程度の憤りではじめての会話を終わらせてしまうのは少々惜しく、笑い声を作って鴉は言った。


「そんな方法があるなら試してみたいものだ」


『ほおぅい、ほおぅい。

 そんなら眼をつぶって口を閉じてくなんしょ』


 意味するところを理解しがたい返答に首をかしげた鴉は、なにやら重くなる身体を感じた。

 いや、これは足元からひっぱられているのだ、と恐慌をきたした頭が鴉に告げる。慌てて眼と口を閉じるが早いか、黒い体は土中へと引きずり込まれていった。

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