十二.ねむりへのいざない
駆けるとは言いがたい速さで鴉は駆けつづけた。
穏やかな灯火を辺りに投げかけていた苔はもうどこにも見当たらず、辺りは闇よりもなお暗い。
闇になれた眼をもってしても何一つ視ることのできないほどの暗がりの中、それでも道は……それを道と呼ぶことが相応しいのか鴉には分からなかったが……どこまでも続いているかのような顔で目の前にあった。
混乱に翻弄されるがまま、3本にの足で湿った土をかいて前へ、前へ。
硬い石や湿った土塊が体にぶつかってくることを気に留める余裕もなく、鴉は進んだ。進んでいるのか、戻っているのか、そもそも何処へ向かっているのかも分からないまま。
鴉の頭にあるのは、唯一つ。あの灯りから遠ざからねばならない、という脅迫にも似た観念だった。
ふ、っと足がもつれて、鴉は転んだ。途端、絶え絶えの息をなんとか繋いでいた観念が遠ざかり、崩れ落ちた体に疲れだけが残った。
ぜいぜいと咽喉が痛み、おこりにかかったかのように全身が震える。
うずくまったまま息を吐き、そして吸おうとして激しく咳き込んだ。
ようよう咳がおさまった頃には、静寂が辺りを包んでいた。
地下の、さらに地下。ひとすじの光も射さない闇の底。
聴こえる音は一つもなく、見えるものは何もない。
何も見えない世界に、何があるというのだろう。
何も聴こえない世界に何が、そんな場所を歩き続けることに、どんな意味があるというのだろう。
虚無感に、鴉は眼を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、先ほどの走馬灯。
鳥籠の扉、白と黒の世界、逆流する風、地底からの声、ヒミズの言葉……。
ヒミズに会いたい、と鴉は思う。
会って、何を考えていたのかを知りたい、と。
けれどその術は見出せず、闇の中で鴉は啼いた。
「誰か、いないか」
啼き声は、少しも響かなかった。無論、いらへもない。
冷めた顔で鴉は嗤う。
この暗闇に、誰が居ると言うのだろう。
居たとして、己の問いかけに誰が答えてくれるというのか
“時ハ凍リ、生キトシ生ケルモノハスベテ眠ッテイル”
ふと脳裏に浮かんだ声に、鴉は首をかしげた。
では、ヒミズはどうして起きていたのか。
投げかけた問いに、答えはなく。鴉はうずくまったまま、考える。
そもそも、ヒミズは本当に居たのだろうか。
実は私も、凍った時の中で眠っている多くのうちの一つに過ぎないのではなかろうか。だとすれば、この暗闇は夢なのだろうか。
ぐるぐると、血潮の代わりのように渦巻く思考に、鴉は眠気を覚えた。
いまだかつて感じたことのない感覚であるにも関わらず、それが眠りへの誘いであることを鴉は知っていた。どこか深いところで。
逡巡する間もなく、こくりと頭が揺れはじめ、揺れるたびにどこかでくっつけてきていた土塊がわずかばかり落ちる音が聞こえた。やがてそれも遠くなり、鴉は眠りについた。




