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白峰に眠る人

作者: 馨




 ちょっと前に何気なく見ていた歴史番組で知ったが、我が故郷は島流しの地だったらしい。

 地元民から言わせてもらうと誠に遺憾である。




「何が地元民か。故郷を裏切って京の都に行きおったくせに」

「いてっ。いや、だって住民票まだこっちにあるし」

「面倒で移しておらんと先日言っておったではないか」

「ぐ、」

 ぱしんと小気味良い音を立てて扇で頭を叩かれる。妙齢の女子の頭を扇で叩くとは何事かと物申したい。

 今私はひんやりとした石段に腰掛けているのだが、私を扇で叩いた御人は私より二段上の所に腰掛けており、Tシャツにジーパンの私とは違い、暑苦しそうな法衣を一糸の乱れなく着こなして堂々と石段に座している。

「このような鄙びた土地はそなたのような荒々しい娘にこそ似合おうぞ」

「私と香川同時に落とすの止めてもらえます? せめてどっちかにしてもらえます?」

「そなたのような粗野なものこそこの地に相応しい」

「いともたやすく私にしたなこのやろう」

 放課後の高校生のようなやりとりをしているが、この御方こそかつてこの地に流された崇徳院である。

 約千年前、政権争いの末この讃岐の地に流され非業の死を遂げた天皇であり、平将門や菅原道真と並んで日本三大怨霊とされた恐ろしい御方。

 私は今年の春に京都の大学に進学し、夏休みの今は地元に帰って来てのんびりというよりもぐうたらと人生の夏休みの夏休みを過ごしていたのだが、ばあちゃんのお供で白峰寺にやって来た時、この崇徳院と出会った。




「そこな者」

 照りつける強烈な夏の日差しの中、ばあちゃんの後ろについてだらだらと歩いていたら不意に声をかけられた。私は反射で振り返ったが、ばあちゃんは聞こえていないのかそのまま歩いている。私を呼んだのは法衣を着たお坊さんだった。

 だが、ばあちゃんが先に行っているので止まるわけにもいかず、お坊さんにぺこりと小さく会釈をしてばあちゃんの後を追った。会釈をした瞬間、お坊さんが目を丸くさせていたが、そんなに礼儀知らずの悪ガキに見えたのだろうか。

 参拝を終えて帰ろうとした時、先ほどのお坊さんがまた立っていた。

「そなた、私が視えるのか」

 私たちの正面に立っていたのに、ばあちゃんはまるでそこに何もいないかのようにお坊さんの隣を通り過ぎて行った。

 その瞬間、背筋が粟立つ。

 このお坊さんは私にだけ視えている。

 今まで霊感なんてなかったが、これに応えてはいけないことはなんとなく分かった。

 俯いて目を合わせず、足早にお坊さんの隣をすり抜ける。

 多分話せる人がいなくて寂しい思いをしているのだろうが、霊にとり憑かれるのはごめんだ。キリキリと痛む良心を押さえ込んで、私は寺を後にした。


 その日一日は幽霊を見たという人生初の体験に妙にドキドキしながら眠りについた。

 だが、その日は平穏に終わってくれなかった。

「そなた私が視えておるのだろう? なぜ視えぬ振りをする」

 枕元でぼそぼそと話す声が聞こえて、恐る恐る顔を上げると、ぼんやりと暗闇に浮かび上がる法衣姿の禿げ頭。

「うわあああああああ!!?」

 私は深夜にも関わらず大絶叫した。

「塩塩塩!! ばあちゃん塩ー!!」

 腰が抜けて動けず、襖の前まで這いながらばあちゃんにエマージェンシーを発する。必死にばあちゃんを呼ぶと、どすどすと凶悪な足音を立てながらばあちゃんがやってくる。

「綾子! あんたなにを夜中に騒ぎよんな! 怖い夢でも見たんな!?」

 ばあちゃんが顔をしかめながらやってくる。それだけでも十分恐ろしい。

「幽霊っ!! 坊さんの幽霊がいるっ……!!」

 ばあちゃんが私が指差す方に顔を向ける。その視線の先には法衣姿の男が未だに座している。険しい顔のままもう一度私の方へ顔を向ける。

「……あんたなに寝惚けたこと言うとるん。やけん夜更かしもほどほどにせぇてあれほど言うたやろう。目ぇつむってさっさと寝な」

 ぱしん、と無情にも襖を閉められた。

「えええええええ」

「あの者はそなたの祖母君か」

 男はパチクリと目を瞬かせながら襖を見つめていた。

 壁伝いに立ち上がって電気を点けるが、幽霊は消えない。

「えっと、すみません、あなたはどちら様でしょうか……」

「崇徳、と言えば分かるか? または讃岐院とも呼ばれておったが」

 どの名前もピンと来ず、枕元に置いてあったスマートフォンをなんとか手繰り寄せて名前を検索してみた。

「えっと、これで合ってますか?」

 検索画面で一番最初に出てきたページを開いてお坊さんに見せる。お坊さんはしげしげと画面を覗き込んで頷いた。

「うむ」

 もう一度中身を確認すると、崇徳院とは第七十五代の天皇だった御方だった。保元の乱という戦を起こした罪に問われて当時で言う讃岐国、つまり現在の香川県に飛ばされたらしい。そして積もり積もった恨みつらみの所為で天狗のようなおぞましい容姿となって非業の死を遂げたと言われている。その凄まじい怨念はかの有名な平将門や菅原道真と一緒に日本三大怨霊と呼ばれ、今日まで語り継がれている。

 そしてその崇徳院の御陵があの白峯寺の近くにあるらしい。

 なるほど辻褄は合う。

「最近はとんと視えるものがおらぬ。ちょうど暇を持て余しておったところでな」

「はぁ」

 日本三大怨霊が暇を持て余すってどうなの、と思いはしたが変なことを言って恨みを買いたくはないので一応頷いておく。

「ちょうど良いところに暇そうなお主が通り掛ってな。少しばかり話し相手になってはもらえぬか」

「はぁ」

 話し相手くらいなら……と思ってとりあえずその場は頷いておいた。

「では明日御陵の前で待っておるぞ」

 そしてご機嫌な様子の崇徳院はすぅっと空気に解けるように姿を消した。

 崇徳院の姿が消えた途端、身体中から力が抜けた。

「寝よ……」

 こんなことが起こってもう一度寝られるのかと思ったが、もう一度布団に転がって目を閉じれば、簡単に眠りにつくことができた。

 翌朝目が覚めた時は昼過ぎで、待てども暮らせどもやってこない私に痺れを切らした崇徳院が再び枕元に立っていて絶叫し、またしてもばあちゃんに夜更かしをしていた所為だとこっぴどく怒られた。



 あの日以来、私は毎日このクソ熱い中を白峯寺まで歩いて崇徳院の話し相手をしに行っている。最初は二、三日に一回でいいかと思っていたのだが、御陵に行かない日は崇徳院が枕元に立つので、毎日通う羽目になっている。

 そのお陰というかなんというか、私は「夏休みに帰省してきたぐうたら女子大生の綾子ちゃん」という肩書きから、「毎日お寺にお参りしている信心深い綾子ちゃん」の肩書きに変更されているらしい。

 今日はお仏壇のお供え物のお下がりの水羊羹を持って御陵にやってきていた。もちろん崇徳院にお供えする物もある。結局は私が食べてしまうけれど。

「京は今頃茹だるような暑さであろうな」

 扇を開けたり閉じたりしながら晴れ渡った夏の空を遠い目で見つめる。

「あっちは蒸し暑いうえに風が無いから参りますね」

 プラスチックのスプーンで水羊羹をすくいながら私は頷く。シャワシャワと降り注ぐ蝉時雨のおかげで非常に暑い気分になるものの、木陰はひんやりとして爽やかな風が通るため案外過ごしやすい。

「夏ばかりはこちらの方が過ごしやすくて良い。何も無くて風の通りが良いからの。冬は風が強くてかなわんが」

「……そうですね」

 何も無くてのところが引っかかったが、素直に頷いておく。私自身が香川を出て京都に居を移したと言えど、他府県の出身者に地元の悪口を言われるのは内心かなりイラっとする。

 だが、私も京都に行く前は地元の良さなんてあまり分かっていなかった。唯一上げられるとすればうどんが早くて美味しい事くらいか。

 その事も他の人が言うので美味しいのかなぁと思っていたくらいで、地元にいた頃は毎週うどんを食べていた私は地元のうどんは美味しいかと言われれば、うーん、と首を傾げていた。

 これが当たり前だと思っていたから、美味しいか美味しくないかなど分かっていなかった。

 私が地元の良さを実感したのは、京都に出てからだった。

「神社仏閣がたくさんあって、お祭りもイベントもたくさんあるし、見たこともないものが見れるし、欲しいものは通販しなくても大体近くで買える。雑誌で取り上げられるお店はたくさんある。京都本当に楽しいです」

「そなたは私に喧嘩を売っておるのか」

「毎日毎日クソ暑い中ここまでやって来てるんだから、ちょっとくらい私の話を聞いてくれたってバチは当たらないでしょう」

 崇徳院はバチを積極的に当ててくる御方だが、一般人には優しいというか興味が無く、ちょっとやそっと無礼なことを言っても流してもらえることに気づき、最近私は結構ぶっこんだ発言をするようになった。多分そこらへんの犬が吠えているくらいにしか思っていないだろう。

「京都には楽しいことがいっぱいあるんです」

 人も物も溢れていて、便利で、毎日がお祭りのような町。歴史が町のそこら中に息づいていて、日常の中に非日常が混ざり合っている。

「でも、京都の良さに気付くのと一緒に、香川の良さが理解できるようになったんです」

「ほう?」

 崇徳院が片眉を跳ね上げて、少し意地の悪い笑みを浮かべる。

「まず、今まで食べていた物がとても美味しいものだったということに気づきました。魚とか、果物とか。あとはうどんとか」

 生まれ育った土地を離れて、当たり前だと思っていたことはそうじゃないこと、今まで自分がどれだけたくさんのものに恵まれていたかということに気づいた。

「私には讃岐のうどんは強くてかなわんわ。出汁は美味じゃがな。魚なら京には鱧があるであろう」

「あ、鱧美味しいですよね。お豆腐もお揚げさんも、美味しいところで食べるとこんなに美味しいんだって思いました」

「讃岐は人が明るくて良いな。眺めておると思い悩んでいたことがいつの間にかのうなっておる。京の者は流れを読むことに長けておる。讃岐の人とは違った心地よさがあるの」 

「私は京都に行って、香川の人はせっかちだなぁって思いましたよ。信号青になる前から渡ろうとします。だから回転が早いセルフうどんが流行るんだと思いました」

「違いない」

 扇で口元を隠して崇徳院は上品に笑い声をあげた。

 二つの水羊羹を食べ終え、ふと疑問に思ったことを話のネタにしようと思い立った。

「そういえば、なんで私は崇徳院だけ視えるんでしょうか。他の幽霊は全く視えないんですけど」

 パタパタと扇を扇いでいた崇徳院は、扇をパチリと閉じてそれで私を指してくる。

「そなたの氏は『高遠』じゃな?」

「そうですけど……」

「ということは、そなたは私の子孫じゃ」

 突然の事実に目を丸くさせる。鳩が豆鉄砲を食らった時はこんな気持ちだったのかもしれない。「そして最近、近しい者を亡くした。違うか?」

「……二ヶ月前に祖父を亡くしました」

「やはりな」

 崇徳院は一人で納得して、閉じた扇をもう一度開いて再び優雅に扇ぎ始める。

 私が夏休みに入って実家ではなくばあちゃんの家にいるのは二ヶ月前にじいちゃんが亡くなったからである。一人になったばあちゃんを心配した私の両親が夏休み中の私をばあちゃんの元へ送り込んだのだ。

「死期の近い者や、身近な者を亡くした者は、彼岸との縁が濃くなる。それに、私の血縁ということで私の姿が視えたのであろう」

「えっ、その仮定だと前者もありえるんじゃ……!」

「無い無い。そなたのような生命に満ち溢れた者が突然死ぬんは考えにくいわ。日本がのぅなってもそなたと阿久多牟之あくたむしは生き残る」

 否定され胸をなで下ろしたが、バカにしたような笑みと、聞いたことのない単語が妙に引っかかる。

「あくたむし……?」

「今の言葉やとなんと言うたか……ほれ、動きが早ぅて茶色の、こう、角が日本ある虫じゃ」

「……それゴキブリのことじゃないですか!?」

「そうじゃそうじゃ。すっきりしたわ」

 あまりの言われように崇徳院に供えていた水羊羹に早々に手をつけてやけ食いする。幾ら何でも年頃の乙女をゴキブリと同列に扱うとかひどすぎやしませんかね!?

「さて、元の話に戻るがの、今までもたまに私の姿が視えるものがおったが、元々そういった能力を持った者以外は、彼岸との縁を持った血縁者がほとんどじゃ」

「へぇ。世の中狭いもんですね」

「彼岸との縁も薄まればいずれ視えなくなるであろう。それまではしばし付き合え」

 視え始めた当初はなんて面倒なことになったのかと思ったものだが、いずれ視えなくなると分かればなんだか物悲しくなるのだから、人間ゲンキンなものだ。

「……崇徳院は京都に帰らないんですか? 今は京都の白峯神宮に祀られていますよね?」

 いつか視えなくなってしまうのなら、と私はもう一つ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。 

 一度はこの地へ流された崇徳院だが、現在は京都の白峯神宮に祀られている。だから、本来なら崇徳院はここではなく京都にいる筈だ。 

「戻らぬ。戻りたいとは思うがな」

 寂しそうに、どこか諦めたように崇徳院は呟いた。

「神体としては京に戻ったが、私の体はこの地に眠っている。それに京に戻されたのは他人の勝手よ。もう他人の勝手に振り回されるなど御免でな。この地に流れ着いたのも何かの縁。我が身が恨み辛みを忘れ、いつか彼岸へ渡ることができればそれで良い」

 遠くを見つめて言葉を紡ぐ崇徳院の表情は凪いだ水面のように穏やかだったが、瞳だけが炎のように不気味に揺らめいていた。

 千年近く経った今でも彼をこの地に留めるほど激しい感情が、今でも燻っている。

 彼と出会ってから、私は基本的な崇徳院の生きた時代について調べはした。一族の中で政治の実権を奪い合い、一族に翻弄され続けた波乱に満ちた人生。崇徳院が抱き続ける激情は、平々凡々な人生を歩んできた私の想像すらも及ばないことだろう。

「恨むことに疲れはしても、恨みを忘れることはできぬ。忘れることができればどれだけ楽であっただろうか」

 崇徳院は乾いた笑みを浮かべた。

 気が遠くなるほどの歳月を、彼は一体どんなことを考えながら過ごしてきたのだろう。

「恨みを忘れることは出来ぬが、こう晴れた日ばかり続くと、鬱々とした気分もなくなって行く」 

 彼方を見つめる瞳には、先ほどまで揺らめいていた炎は消え、晴れた夏空を映していた。その表情と言葉に少しだけほっとした。と言うのも、

「……私、最初崇徳院は香川に飛ばされたのが嫌すぎて天狗になったんだと思ってたのでほっとしました」

 天皇だった高貴な御方が生まれ故郷から遠く離れた場所に飛ばされたことはかわいそうだとは思った。だが、住めば都と言うし、良いところだってたくさんあるんだぞ。そんなに嘆かなくてもいいじゃん、と面と向かっては言えないけど心の内で思っていた。

 まぁ私も故郷の良さに気が付いたのは最近のことなので威張って言えないけが。

 私の言葉を聞いた崇徳院はきょとんとした表情を浮かべ、声高らかに笑い声を上げた。

「ここが嫌で天狗になった訳ではないから安心せい。京も良きところではあるが、讃岐も良きところに変わりはない。来た経緯はどうであれここはここで気に入っておる。なにしろうどんが美味じゃ。ただ、コシが強過ぎることが玉に瑕じゃが」

「結局うどんか……」

 うどんも美味しい!美味しいけれども!それだけじゃないんだよという裏切りの地元民の言葉に、崇徳院はまた高らかに笑い声を上げた。

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