(8)
宇宙はそんなに遠くなかった。
多くの乗用船が行き交う無重力の世界。地球の周りに無数に浮かぶリング状の入出星ゲートをくぐり火星の衛生フォボスを目指す。ちなみにゲートをくぐらずに宇宙へ出た船は警戒対象となり近隣の星へ注意喚起がされる。
大一とユエだけで今この船に乗っている。その後に続いて三人の姫を乗せたそれぞれの船が並ぶ。運転手はカサネギさんである。主任なのに。役職はあまり関係がないのか、ユエが特別扱いなのか。
宇宙に行こうがなんてことはなく、いつものようにしゃがれた声で管制センターとやり取りをしているようだ。
「虫歯とかあったら駄目なんじゃなかったっけ?」
大一の歯は健康そのものだが、昔聞いたような話を出発前に聞いていた。
「それは姫たちの前ではあまりおっしゃられないほうがいいですからね。」
ヒソヒソとユエが耳打ちをしてくる。外圧の調整が容易な時代では特に大きな問題はないようだった。
発射する時もとくにカウントダウンなどなく、反重力装置によってプカプカと浮上していった。イブが見せてくれたフローティングボードにあったガスエンジンは地上船に搭載されている。この船の装置はグラヴキャンセラーというらしい。
一人一つの座席シートは極上の柔らかさで調べなくてもこの船が高級車レベルだということは察せる。
「せっかく朝早くから起きたのになあ…」
至極あっさりとした人生初の宇宙旅行に肩透かしを食らっていた。
「そろそろ会場に着きます。」
ここまでものの二時間もかからなかった。超スピードで移動している感覚が全くない。
フォボス最大のクレーターの上に作られた催事用会場アサフホール。荘厳な佇まいの建物は柱からして装飾の仕方など地球のものとは異なる。その周りを覆う、巨大なクリスタルガラスの半球で蓋をしている。ガラスの外と内で宇宙と地上が区切られていることを意味していた。
すでに多くの船舶がドッキングポイントに停まっているところを見てこのパーティの規模が伺える。
(大丈夫だよな…)
大一は船の窓からガラスドームを見つめた。
カサネギさんが大一とユエを地上へ降ろしてどこかへ行ってしまった。
「ここで姫君の到着を待ちましょう。」
ユエがピタリと大一の右斜め後ろに立った。
程なく三人の姫が現れる。
「ごきげんよう、現王様。」
ヒラヒラと手を振ってやってくるルオン。今日はいつもの比ではないほどふっくらとしたシルエットの白と空色のドレスだ。頭に控えめに乗っているティアラが慎ましやかな彼女を演出している。大一の前でくるりと回ってみせるルオン。彼女の長い髪を留める小さな花が目に止まった。
「あっ、それ使ってくれてるんだ。」
大一のあげたブルースターの髪留め。
「ふふ、こういう時にこそ使うものですよ。」
嬉しそうにする彼女の後からガラガラと何かを移動させる数人の付き人の姿が見えた。
「あれは…」
「現王様のお願いですもの、抜かりありませんよ。」
イブとマリーもやってくる。イブはルオンと対照的にあらん限りの装飾品を身にまとっている。なのに上品さを失ってないのは彼女のスタイルがなせるワザである。ただ大一から見ると少し重たそうだ。イブが深くお辞儀をする。
「おはようございます。と言ってもここでは昼も夜も関係なさそうですが。」
明け方の出発で太陽から離れるようにして移動した。今の時間、フォボスからは太陽がみえない。見えたら見えたで大気のない衛星なので問題はあるが。
「ご所望のあれはもちろんございますからね。今日は楽しいパーティを。」
イブは小さく大一のそばでささやくともう一度礼をした。
「この度は私達、火星の星での舞踏会に来ていただいて光栄です。ぜひとも楽しんでいってくださいませね。」
マリーが努めて明るく振る舞う。大一はマリーを見つめていた。彼女はコルセットを身に着けて首までカッチリとした動きやすいダンスドレスである。着る人が着たら男装の麗人にも見えなくもないシルエットだ。だがマリーは女の子である。エスコートするのが今日の『王』のつとめだ。
フォボスの外側、このドームからは見える無数の星々がきらめいた。間もなく開場される。




