(1)
帰ろう。帰ろう…。
夜も更けて。大一は王の寝室を飛び出しひたすらに医療棟を目指していた。逃げるような早足で、今夜は新月なのかあかりもなくその表情は暗い。
(そもそも俺がここにいてやる義理はないんだ。)
ダンダンダンと人もまばらな宮中に足音が響く。今までは若干の煩わしさのあったドライブをフル回転させて『時間遡行』『過去 戻る』など調べている。検索結果は――オカルト記事や都市伝説級の眉唾ものばかりで何も出てこない。タブーなのだから仕方がないがそれでも大一はどんな記事でも一通り脳を通した。目で読んで理解するよりも素早くで内容が理解できるので今の自分にはありがたい。
着いたのは医療棟。宮殿の中央、噴水広場から見て王の居住区の後方。あの卵の部屋は治療室だった。そこに戻るヒントがあるかもしれないと思い建物に駆け込む。
建物内に入ると夜更けにいかがなさいましたか、現王様。と受付の女性が声をかけてきたが大一は無視をする。『王』を引き留めるような声も聞こえたが関係のない話だ。自分が入れられてた部屋を探す。学習機能ドライブで病棟内の情報に接続する。自分が入れられてた部屋はすぐに見つかった。
しかし、当然部屋にはセキュリティロックがかかっている。考えている暇はない。後ろから『王』を息を切らして追いかけてきた先ほどの女性に大一は声をかける。
「悪いけど、開けてもらえる?落とし物をしたようで。」
張り付いたような笑顔。口角が極端に吊り上がり目元もそれに引っ張られるように垂れ下がっている。一瞬女性はたじろいだようにも見えたがそれももはやどうでもいいのだ。
慌ててロックを解除する。見られると恥ずかしい、見つけたらすぐ出ていく、と女性を追い払う。扉が閉まり大一はこの殻の部屋をくまなく探した。さすがに手掛かりになるようなものは何もない。どうやって連れてこられたのかもわからない。
(宮殿内にいたらいずれ見つかるか…。)
普通は重要人物が外出しただけで大騒ぎになるだろうが、しょせんこの世界の人たちは『王』すら見つけられないのだ。いっそ誘拐してくれてもいい。探し物は見つかりましたか、現王様と受付を横切る大一に女性が声をかけたが、軽く会釈するだけで無言だった。俺は代寺大一だ。『現王様』なんかじゃない。
大一はまっすぐ宮殿の外門まで向かう。自分が夜中に歩き回っていても、他の人は関心がないんだろう、横切る人にこんばんはと一言頭を下げられるだけだ。
(これなら普通に出ていけるな。)
『王』がいなくなったのも納得のザル警備だ。
謁見の間を抜け大広場を通り、門へと続くつづら折りの道を駆け足で下っていく。外はもうすぐであった。
「ごきげんよう、現王様。」
どこからか鈴の音のような声が聞こえた。
大一の足がぴくっと声に反応して動かなくなってしまった。だが声の主の方は振り向かない。
「…?現王様?」
何も言わない大一を不思議そうにうかがってくる。
「ふふ、やっぱり。」
恐る恐る顔を覗き込んできたルオンが笑う。
「どうされたのですか?すごく怖いお顔をされてますわ。」
ルオンが大一の頬に手を伸ばしてくる。大一は拒絶するように身体を避けてしまった。
「あ――。」
大一は驚いた顔をするルオンに思わずいつものように謝りそうになる。
俺は『現王様』じゃない。この先の未来の世界のことなんて知ったことじゃない。だから彼女が傷つこうが俺には――ルオンの目元が少し寂しそうに揺らいだ。
「…ごめん。」
やはり謝った。
「……少しお話をしませんか?ワタクシがどうしてここに来たのか、とか気になりませんか?」
調子をわずかに取り戻したルオンがいたわるように手を差し伸べてくる。
「現王様…。」
「…ごめん。俺は現王様なんて呼ばれるような立派な男じゃないんだよ。」
大一はルオンの手を取らなかった。そうだ俺は代寺大一。高校生。そもそも彼女の手を取れるような立場ではないのだ。大一は自然とうつむいてルオンから目を背けた。黙ったままルオンを越えて先へ進む。門はセキュリティシステムにより閉じられている。自律思考型のドロイド32IPPOがその左右に控えているが、『王』相手では特に反応はない。AIすらも見た目だけで判断する時代で逆に不安が残る。
「タイチ様。」
後ろから声をかけられる。
「そのままで構いませんから、少しワタクシの話を聞いていただけますか?」
そよそよと夜風があたりの木々を撫でる。
「ワタクシは水星の権力者の最高位、水星の王女として育ってきました。だから正真正銘『お姫様』なのですよ。あなた様と結ばれるために育ってきました。それがワタクシの役割。」
当然大一もそのような立場の人間のはずだと感じていた。ただどこか憂いを帯びた声の音だ。
「水星人はもうご存知の通り、外の皮をかぶって地球上で生活をしています。他の惑星のものと結ばれるならば中身のことに対して拒否される前に誰よりも先んじて相手を篭絡せねばなりません。」
それでルオンはたとえ協定を破ってでも『王』の心象を良くしたかったのだ。
「他の星の方には卑怯者とよく罵られるのが水星人の宿命、偽りの塊のようなワタクシたちに対する偏見はそう浅くはありません。」
「そんなこと…。」
悲しげな声に誘われて大一はルオンの方を向いてしまった。これもルオンの相手の気を引く策なのか。そんなはずはない。
「そう、そうですタイチ様。」
ゆっくりとルオンが頷く。
「でも本当は他の人にはどう思われてもいい…ただあなただけにはしっかり見ていてもらいたい。」
彼女の手が大一の胸の真ん中に触れる。
「あなたが『王』だと、ワタクシの旦那様だとわかるあの時まではつらい想像ばかりしていたのです。」
現王様は派手な女好きだと。
「恥ずかしいお話ですがワタクシには願いがありました。おとぎ話のような素敵な恋がしたい。決められた相手ではなく自分で見つけたい。しかし立場がそれを許さない。だったらせめて素敵な旦那様がいい。けれどそれも難しそう。ここに来るまでの船の中でもずっとずっとそう覚悟していました…。」
ルオンは握った片手を自分の胸元に当てて目を閉じた。彼女の鼓動が手を伝わって自分まで届くようだった。それだけなのにこれまで彼女が感じていた暗い思いをわずかに感じ取った。
「噂で、嘘でよかった……。」
彼女が大一を見てにっこりと微笑む。
…嘘ではない。自分は全くの別人なのだ。だがこれを知ったら彼女は…。
大一の表情が複雑に歪む。『王』はそもそも王位につくまでの間、『王子』と呼ばれた上でさらに限られた者しか知らない世俗名が与えられている。その限られた者というのがユエ達の直属の部下なので、結局世俗名は誰も知らないようなものだ。ルオンはそれを図らずも教えてもらえたと思っているらしい。
「本当の現王様…タイチ様は女の子に弱すぎます。だけど己の弱さをわかって、受け止めて、ワタクシたちと付き合っていこうとしてくださる。だから――。」
ルオンと肌が重なった。
「ワタクシは素敵な恋が出来そうです。」
ルオンの深い息が聞こえる。眠りにつくような夢見心地の吐息。
今ここで彼女を抱きしめて上げられない自分が嫌になった。




