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言葉がわかるだけで、会話ができるだけでぐるぐると渦巻いている意識が多少マシになる。混乱してわからないことだらけだが、目の前の「ヒショ」はきちんと大一とコミュニケーションをとろうとしてくれるのがわかった。
微妙にお互いのズレを感じることはあるが…。大一が大人しくなったのを見計らいユエは無地のボードのようなものを用意した。そのボード上に映像が浮かび上がる。プレゼンテーション用だとユエは言った。ようやく本題に移る、といったところか。
「はじめに申し上げました通り、あなたにはしばらくの間、この世界の『王』の代理を務めていただきます。」
『この世界――』と言われても、まだ卵ドームと黒髪美女の姿だけでその片鱗すらつかんでいない。ただ見慣れない技術が先ほどからチラチラと目に映っている。大一はこう結論付ける。
「『この世界』っていうのは、つまり俺がいたところとは別の世界ってことですか。」
ユエはうなずく。
「はい、ですが厳密にいうとあなたのいた世界と場所は同じです。」指先を腕につけている端末に伸ばしゆっくりと操作した。
「『この世界』とは――」
卵の殻に外界らしき映像がどこからか投影される。
「あなたがいた地球の、遥か未来の太陽系のことです。」
見慣れない高い建物。浮遊する小型の乗り物。ところどころに張り巡らされた透明なパイプチューブ。
大一は思わず映像が映されている壁に駆け寄った。これ見よがしに近未来の都市。太陽の光がビル群に乱反射して大一の目に飛び込んでくるようだった。
「俺は未来に連れてこられた…?」
ぽつりとつぶやく。映像が本物かどうかは今はあまり気にならない。ここまで見てきた数々のオーバーテクノロジー、それに加えてもしこれが本当だったらつまり「そういうこと」である。それぐらい圧倒される大パノラマであった。
「『王の代理』ってどういうことですか。なんで普通の高校生の俺がそれに選ばれたんですか。未来の『太陽系』ってつまり…」
映像からは目をそらさず矢継ぎ早に質問を畳みかける。未来に連れてこられたという超然的な出来事への理解よりも強い、不思議な高揚感が大一の中を駆け巡っている。そんな大一の肩にユエはそっと手を添えた。
大一はハッとしてユエに振り替える。彼女のルビーのような真紅の瞳とばっちり視線が合った。先ほどまで冷たく思えた無表情が、その瞳を見つめた瞬間から何か物憂げな、艶やかな印象に代わった。お互いの顔の距離はかつてないほどに近い。ユエはその手を肩からなでおろし大一の手を取った。
「あっ」
ユエが大一の手を引いて、先ほどまで寝そべっていた台上へといざなう。大一はそれに大人しく身をゆだねた。
「太陽系のお話をします。」彼女の声がよく響く。
「地球の人口は増加の一途をたどり、あなたの時代でも宇宙開発が現実的になり、関心が高まっていたと思います。」
連日、何かしらの技術革新に対するニュースは飽きるほど目についていた気がする。
「それから遥かに長い年月を経た、水星、金星、火星、カリスト、タイタンなど各惑星、衛星のテラフォーミング計画を進めた世界。それが『この世界』です。」
ユエの両手がこめかみに添えられると、ブブブと、脳が振動して、頭の中に『情報が流れ込んできた』。突然知っていることが増えていることを感じて、大一は自分の脳が手術されたことを強く自覚する。
(学習機能ドライブとはこれのことか)
テラフォーミング計画は21世紀以降もずっと構想されていた、人類の新たな生存戦略…そしてそれ以上の大きなロマンであった。
ユエのいう通り、人口増加が止まらない地球はこのままではいつか資源が尽きてしまう。そこでかねてから目をつけていた多くの星々へと各国が莫大な予算を投じ移民計画を推し進めた。大気のない世界で人類が生活するには過酷極まる。テラフォーミング計画は苦難の連続であった。
だがこの世界はそれを成し遂げたのだ、地球と同一環境にするのではなく生命活動を行える環境を各星に作り上げることで。
水星。永久影から外殻を深く深く掘り進めることで巨大な地下都市をいくつも作ることができた。無尽蔵の太陽エネルギーを使い生活レベルを一定に保っている。
金星。ついに人体に有毒なガスを何とかすることはできなかったが、そこを浮かぶ大きな町、フローティングシティを建設。高度を調節することで気温や気圧をほぼ地球と同じぐらいにすることができた。
火星。水があった形跡はあったが、地表に直接住むことはどうしてもできなかった。火星に住む人類は移動式のコロニーで生活しており環境の変化に合わせて火星を渡り歩く。
木星。衛星のカリストがちょうどよく人間が住める星となった。大きな氷に覆われたその星の上で生活はできないが、氷の層の下に居住区を作成、大型の機械と組み合わせることで万年氷の世界でも生活することができている。
土星。衛星タイタンがテラフォーミングに成功した。偶然も重なったが衛星に小さな隕石が当たり地表の氷が蒸発。大気の層が形成された。テラフォーミングが一気に進んだ星だが人工太陽によって昼夜のサイクルを安定させている。
太陽系のいたるところに人間が移り住んだ世界。それがこの世界なんだ、と大一はひとまず理解することにした。ユエがそっと手を離す。
「ご理解いただけましたか?次は『王』に関してです。」
「『王』とは」再び手がこめかみに添えられる。
「この宇宙の平和の象徴なのです。あなた方の時代よりもはるかに高い技術力になりました。医療も建築も何もかもが発展し不自由はほとんどありません。ですが、いえだからこそ。戦争など非生産的な活動は二度とする気にならないのです。」
これは情報が入ってこなくても理解できる。ここまで進んだ技術力なら次の戦争ではすべての人類が死に絶えるだろう。その抑止としての『王』だそうだが…。
テラフォーミング計画初期段階。各星の発展は当然地球が主体となり、他の星もできうる限りで支援を行った。水星なら太陽エネルギーを変換し惑星間に電力供給したり、金星ではガスを有効利用して燃料開発に協力したり。だからこそバラバラにならないよう一つの心の支えが必要だった。最初の『王』となった者は、形だけの統一された世界をまとめ上げ、皆を宇宙開発へと一つの目標に向かわせるだけの力を持つ強いリーダーだった。そんなできる人間の系譜がこの時代まで脈々と受け継がれている。
「『王』の歴史はわかっていただけましたか?」
静かに情報を受け入れる大一にユエが語り掛けた。
「次はその重要性と、あなたを連れてきた理由になります。」
ゆっくりとその瞳に笑みをたたえる。きらりと紅く輝いて見えた。