(2)
一日の始まりは自動アラームから。枕に編み込むようにして取り付けられた、弾力のある脳波測定装置が快適な睡眠時間を割り出し、その時間帯に穏やかな音楽が流れ始める。昨晩は徹夜をしていた上に、空での大騒ぎ。そのあと姫と秘書からのお説教。食事、風呂。ベッドに入った瞬間から眠りこけてしまい、昨日も誰か呼ばなくてはいけないと言われてもそんな余裕はなかった。
アラームのおかげで頭は割としゃきっとしている。
大一は窓から外を眺めた。暖かな朝日が噴水に弾かれてその一帯がきらめいている。これまで何度か朝を迎えるたびに、据えた天井と見慣れたカーテンそしてくたびれたベッドが現れないかと考えていたが、今日は違った。
(何となく彼女たちとの接し方がわかってきた気がする…俺なりにだけど。)
『王』の話が出るその都度、大一はこの世界の玉座はシンボルとして尊ばれ、また人としては余り大事にされていないのだと感じていた。
だが昨日、少なくとも姫たち、ユエは自分の心配をしてくれていた。だからあんな風に怒ったんだ。落ちたりすればもちろん死ぬのか。彼女たちの血相も青ざめていた。無表情のユエですらそんな感じに見えた。死の恐怖を克服などはやりできないんだな。うんうん。と朝から考えをまとめて頷く。
(うぬぼれては…ないよな。)
大一がベッドから足を下し、その床に用意されたドレッサーボードを起動させる。服の着替えから簡易のシャワーから、歯磨き、髭剃り、朝の身支度はすべてそれで整う。
「お望みとあらば目をこする機能も付けられますよ。」
とは、最初これを持ってきたユエの台詞。
大一は身の回りの世話をすると聞いていたのでユエが毎朝そういう仕事をしに来るものだと思っていた。自分が『王』を引き受けてから2日目の朝は結構緊張していたものだ。女性に何でもかんでもやってもらうなんて。恥ずかしいと思っていたところにこの楕円になった中華鍋のような機械を持ってこられたので安心した半面、ちょっと寂しさも感じた。
そうこうしているうちに大一がボードから射出される。これが結構乱暴な感じがするんだけど、文句は製造会社に言えばいいんだろうか。コール…2764-33…
「わ、まったまった!」
危ない。学習機能ドライブが製造会社のカスタマーセンターにつながるところだった。
この機能も結構、機密情報漏洩につながりそうでいい加減な気がする…。
一息ついて、ベッドに腰掛ける。そろそろ朝食のチューブが出てくるころだ。最初に「これニンジンなの?ジャガイモなの?」と言ってからなのか、ユエとのレッスンのせいなのか、おそらく両方が原因でチューブ流動食になったのはたぶん前にも話したと思う。
「お、今日はマスク型だ…」
ベッドの横からゆっくりとチューブが這い出てきて、吸い口には除菌シートがかぶされている。うねうねと自律して蛇行する姿は食事を摂るためのものの動きじゃない。大一はもう慣れたといわんばかりに、マスクからシートを外してガポっと口元を覆い、吸い口をくわえた。程よい温度のゲル状の食べ物が流れてくるのでそれを吸う。マスクがあるときは粘性が高い物の時だ。うっかりこぼすとシーツがベトベトになってしまう。
「とろろ…いやおかゆ…」
何とか知っている食べ物に置き換えて食べようとするが、それらはこの世界に存在しないらしい。検索語句を変えて検索を実行してくださいとエラーメッセージが脳内に流れる。
「味気ない…」
大一は一人で寂しい食事を摂った。みんなも朝はこんななのかな…。せめて、ともぐもぐ顎を動かしながらもの思いにふける。偽の王としてやらなくてはいけないのはみんなと仲良くなっておくことだ。険悪なムードを取り除いて彼女たちが笑顔で『王』に愛を示すような…。大一にはそれが少しずつわかってきていた。
「よいしょ。」
軽くゲップが出た後、大一はベッドから立ち上がろうとした。
「ん、む?」
ようやくここで気づいた。身体がおかしい。なんだか節々が痛い。え、病気?ここで?いや、熱っぽくはない。それより動くたびに筋が伸びて痛い。確かに耐えられなくはないが動かすのにプルプル震えてしまう。これは…。
(筋肉痛だ…。)
健康的に過ごしてきたとはいえ、昨日の過剰なダッシュが体に与えた負荷は相当なものだったようだ。それに寝不足なこともあり万全の状態ではなかった。だからか。大一は仰向けになる。動けない…。『王』が自室で独りで過ごしていても珍しいと思われるだけでほとんど問題がない。だから本物の『王』の失踪が遅くなったようなもの。このまま動かないと誰も来ないまま食事用のチューブだけが毎食現れる。
(いや、今日からやらなくちゃいけないことがあるんだ。)
大一は天蓋を見つめながら考えを巡らせる。そうだ、コール…ユエ・コノエ・ヒトエ…。
「いかがいたしましたか?」
思った通り学習機能ドライブがユエの端末にアクセスしたようだ。脳内に彼女の凛とした声が響く。便利だなこれ。
「便利でしょう。」
ユエが勝手に応答する。考えたことが相手にすべて筒抜けになるらしい。
「ゴメン、お願いしたいんだけど…筋肉痛になったみたい。すぐ動けるようになる治療とかあるかな?」
「かしこまりました。すぐ向かいましょう。」
そう言ってユエは通信を終えた。ひとまずは安心。大一は胸をなでおろす。
間もなく戸がノックされた。
「あ、どうぞ入って…!」
「失礼いたします。」
ユエが大きめの箱を持ち大一の横たわるベッドに近づく。大一も動ける上半身を起こして彼女を迎える。が、真っ先に今日の彼女の服装に目がいった。
「あ、あれ…その布…」
首から白い布をケープのように羽織っている。これだけならいいが、いつもの彼女の豊かな髪がまとめられ頭の上でタオルに来るんである。
ゆったりとした布が揺れ、彼女の体に当たってボディラインをくっきり浮かび上がらせる。少し上気した頬としっとりと潤う肌を見れば、霧散式シャワーがあるバスルームを利用していたのはわかる。あそこは声が響きやすいのだ。つまり響いたのは頭の中ではなくそちらで直接。
「え、もしかして、お風呂から直行してきた…?」
「ええ。他ならぬ現王様からのお呼び出しでしたので。」
いらぬことと頭から追い払いながらも、どうしてもその布の下が気になってしまう。ケープの襟元から彼女のピンと張った鎖骨がのぞいているのだ。彼女の手によってまた仰向けで寝るよう促される。ユエのいつもの感情のなさそうな顔がシャワーの熱か火照っているせいでどうしても彼女から目を背けられない。わきの下に手を入れられる。
「あっひょ…」
くすぐったさに身をよじった時に筋肉痛の痛みが走り、少しだけ冷静さを取り戻す。腕を横に広げられていく。彼女が身を乗り出して大一の体を動かす。彼女の吐息が体にかかる。そして、どうしても、どうしても目で追ってしまうものがある。姿勢を整えるために動く彼女の前後運動に合わせて大きくゆっくり揺れるのがわかる。大一はこらえきれず目を痛いぐらいにつぶった。
すると今度は足に触れられる。おそらくユエが下半身の方面に移動しているのだろう。ベッドの足元から下が沈んでいるのを感じた。両足を持たれゆっくり開脚されていく。
「えっえっ」
さすがに戸惑う。いつの間にかユエの手が大一の内腿あたりまで上がっきて外へと圧してきている。
「ユエ、何を…?」
うっすら目を開けるとユエが冷ややかな目で見下ろしてきていた。
「現王様が筋肉痛だと仰せでしたので、これからすることがやりやすいよう注意を払ってゆるやかに動かしていたまでですが、何をお考えでしたか?」
「ごめんなさい…。」
いままでもそうだが彼女は割と無自覚にこういうことをテキパキとこなす。こういう風な目で見られた後はたぶん、除菌シャワーに長時間手を置くに違いない。
ユエがベッドわきから、持ってきていた装置を取り出す。
「この外骨格を今日はお付けください。これは身体が不自由な方の運動補助に利用されます。」
ひょろ長い大の字をしていて、シリコン製の表面の奥に多関節の芯が見える。身体には専用の接着材を使ってくっつける。ユエは着衣したばかりの大一の衣装をひっぺがえし無感情でさっさと取り付けた。
「こういうのって背中側からつけるイメージなんだけど…」
「今日はダンスの練習だとお聞きしていましたので、姫君が背中に手を添えたとき、これがあったら邪魔でしょう。」
なるほど、これはユエの気遣いなのだ。謎の棒を付けられた半裸のままユエの心配りに感謝をする大一だった。




