(5)
ただただ月を見る。何日ぶりなのかようやく落ち着いた気がする。その証拠に、どんなに月を眺めても学習ドライブは働かない。会う前は自分と同じように運命に翻弄され、理不尽な思いをしていると思っていたが、実際の姫たちはそんなことをちっとも感じさせない。そればかりかあまりに自然に接してくるのでこちらも身構えてしまっていた。
「ユエは女の子に弱いって言うけどさあ…」
全くもってその通りだが、さすがにそれ以外にも身を硬くする理由はあるだろう。でもそれが何なのか大一にはわからなかった。ポリポリと人工頭髪をかき呆けたように月を見つめる。
「月が綺麗ですね。」
突然真横から声をかけられて大一は仰天した勢いで足を滑らせる。ルオンとまた出会った。顔を赤らめながら手すりを支えにして身を起こす。
「こんばんは、現王様。お食事までお散歩ですか?」
ルオンは優しく語りかけてくる。
「うん、ちょっと一人になりたくて。…あ、はい、少し一人になりたくてですね。」
「ふふ、現王様、ワタクシはこう見えて賢いのですよ。一度おっしゃってくだされば。」
言われなくともぱっちりとした瞳と整った顔立ちから聡明さが伝わってくる。そんな彼女がもじもじと肩を揺らして訪ねてきた。
「ワタクシもご一緒したいのですが、やはりお一人のほうが…?」
「あ、いや大丈夫、ですよ。」
そう二つ返事で応えるとルオンはスッと肩を寄せてきた。少し動けば月光に照らされる彼女のスラリとした腕にあたってしまいそうだ。
「あの日の夜は覚えておりますか?」
ともに同じ月を眺めながら、ルオンは問いかける。
「うん、あ、ええ」
「…その御髪、とてもよくお似合いです。」
葉っぱヘアを思い出しているのだろう、くすくすと口元に手を当ててルオンは笑う。
「ワタクシの正体は気づかれていましたか?」
今度は大一が協定に関して思い起こす。はっきりとわかってはいなかったが、おそらく婚約者の一人だとは思っていた。だがそれを指摘していいのか今の自分には判断がつかない。大一は無言だった。言いにくそうな苦悶の表情を大一はルオンに晒し続ける。
「……良かった。」
ルオンがほっと息を漏らす。そのかすかな動きで二人の腕が少しだけ擦れあった。
「あそこでお会いしたことは二人だけの秘密、ということですね。」
大一は一言も発していない。だがこの上なくお互いのために最良の選択だろう。彼女に本名を告げていることがこれから先にどれほど影響があるのか考えたくはなかった。
うんうん、と思慮深く頷く大一の様子を見てルオンはなぜだか不満げな表情を見せる。そして急に深刻そうな表情をしだした。そのしかめた眉すら美しく見える。
「ええ、ええわかっておりますとも。現王様の“秘密”もワタクシは絶対お守りいたします。墓場まで持っていきましょう。」
まさか。
まさか、あれだけの情報で自分が本物ではないというとこまで悟るに至ったのか。嫌な汗が大一の頬を伝う。
「まさかその整ったお髪がおカツラだなんてっ。」
ギッと奥歯を食いしばったあと、歯をみせて意地悪に笑う。
「いや!いやいや!好きで禿げたわけじゃ!」
「そうでしょう、そうでしょう。御髪様の方から愛想を尽かされたわけですものね。」
「それも違うよ!!」
恥ずかしくって声を張り上げる。
「ふふ、ごめんなさい。」
「っ…!」
ハゲをからかわれて興奮した大一を抑えるようにルオンがピッタリと身を寄せる。ルオンはその柔らかな頬を大一の肩に預けた。息が上がり汗ばんでくる。じっとりして気持ち悪くさせたらどうしよう。彼女の温度を感じながら大一の余裕はどんどん削られていく。しばらく二人の呼吸の音が誰一人通らない廊下で静かに広がっていった。
「現王様。」ポツリとルオンが大一を呼ぶ。
「ワタクシは嘘つきですか?」
先程までとは違う、どこか不安そうなルオン。
「どうして?」
「どうしてって…」
その先は言いだせなさそうだった。彼女は細い手を大一の腕に絡ませてくる。心なしかかすかに震えたような気がした。出会って間もない少女、水星人という自分の知らない進化を遂げた人類。でもここにいるのは普通の女の子だ。大一なんてまだ恋愛経験も異性から好意を向けられたこともない、ハーレムなどは遠い国のおとぎ話。でも、だからこそ正直に答えた。
「確かにルオンは冗談ばっかり言ってるよ。でもさ、嘘ってほどでもないしかわいいもんだ。それになんか俺、それで助けられてるところあるんだよ…」
思ったより素直に言うのは恥ずかしい。でもこれが今の彼女に対する大一の言葉だ。
「……え?あ、あの…」
おや…?思ってたのと全然違う反応を返される。無論ルオンも想像と違う返答が来たからこその反応だろう。するりと彼女の腕がほどけ落ちる。大一は失敗を悟る。
(思わず普通に会話してしまったが、まずかったか――)
「現王様、つまり、その…気になさらないんですか?」
「え、口調??」
察しが悪い男にも困ったものだ。だがそれはつまるところ。
「加圧スーツと全面マスクのことなんですが…」
「……あー…ああ!!」
その時の大一はどれほど間抜けな表情をしていたのだろう。ルオンがこらえきれずに吹き出した。
「ん厶、ブフッ!」
あまりにはしたないと慌てて手で口を抑えるがついにはケタケタと笑いだしてしまった。
「ひっ人が、真面目に訪ねていることを…『ああ!』、あー、で終わらせるのですかっ?!…むぐっぐひひ…」
そんなに可笑しかっただろうか。どんな顔をしていたのか。そんなに笑わなくても…。大一は顔をさらに赤くして棒立ちである。
「わかりました、現王様。」
目尻の涙を拭き取りルオンが大一に向き直る。
「ワタクシ、これからは現王様がお気づきになられるほどたくさんの嘘をついてまいりますわ。」
ルオンがスカートの左右の裾を持ちあげ緩やかにお辞儀をした。
「え、それってどういう…」
「ふふ、教えて差し上げません。」
水星の姫はくるりとターンした。持ち上げられた髪の生え際から見える、なめらかなうなじが大一を誘っている。
「それにしても、高い使用料を払った甲斐がありましたわ。」
大一から離れながらルオンが聞こえるようにつぶやく。彼女の行く先をよく見ると、バリケードアンドロイドCB-09が廊下の端を占拠していた。当然反対側の端にも。自分が来たときはなかったのにいつの間に。
「こんなことを…だから誰も通らなかったんだ…」
「まあ、現王様。」
ルオンが満面の笑みで振り返る。
「かわいい冗談ではないですか。」




