〘3〙
何事もない、いつも通り、を過ごしている。大一は放課後彼女に呼ばれた。もうそろそろ夏休みが近いのでどこかに行きたいという。大一はだまって彼女の話を聞いていた。
「…でぇ、やっぱさあプールもお祭りも全部行きたいんだけどねえ?代寺はどこに行きたい?」
何を言われても、さっきから大一はどこか虚ろなまなざしで全身に力が入っていない。
「…代寺?」
「あっ、いやごめん…何の話だっけ。」
「もー。」
怒りながらも彼女は大一の肩を軽くパンチした。
「夏休みの予定!どっかいこうよ。」
そう説明されてもなお大一は、考えの読めない不思議な顔をしているだけでうんともすんとも言わない。
「…どうかした?なにか悩みごと?」
彼女は大一の顔色をうかがってその身を案じているような仕草をした。彼女と目が合ってようやく大一が自分から話し始める。
「いや、なんていうかさ。ここのところ頭がぼーっとしちゃって。」
「風邪?」
「そんなもんじゃないと思うけど…。」
熱っぽさも気だるさも感じていない。ただ大一は何となく自分が何を見ているのかわかっていないようだった。
「夏休みに入っていきなり倒れられたりしたら困るんですけど?」
「え、どうして。」
彼女がもう一度大一のことを叩く。
「どうもこうもないじゃん、代寺。彼氏としての自覚あるの?」
「ああ、そうか…デート…。」
「そうだよ。」
彼女がフンと怒って椅子に座りなおす。だがすぐに機嫌が直ったようで、またスマホの画像を見せながら額を寄せて相談し始めた。
「デート…約束したもんな。」
「…え?いや…約束はこれからじゃん?」
突然、ずれたことを言い出す大一に彼女の方も戸惑いを隠せないようである。だが大一は確かにデートの約束をした覚えがあった。彼女以外とするはずがないので間違いはない。彼女は構わず会話尾を続けるので、やがて大一もその約束のことは多分これから決めようという、「約束のための約束」だったと一人で納得した。
いつものように二人で一緒に帰る。デートの行き先もいくつか決められたようで、彼女は満足そうであった。
帰り道、少し長く一緒にいたいと彼女が言い出したので大一はいつもと違って遠回りの公園を抜ける道を通った。夕陽が街に郷愁を運んでくる。
「ああ、ここロマンチックだよねえ。公園デートとかもいいかもね。」
彼女は大一に寄り添って腕を組んでくる。
「あ…。」
ふいに大一は立ち止まった。
突然後ろに引っ張られた彼女が大一の方を向き直る。公園の中心で呆ける大一の視線の先には、公園のシンボルの噴水があった。赤く染まりまるで水が燃えているようである。
「代寺、あっちのベンチに座ろ。」
彼女は大一の手を側にあったベンチまで引いていった。一緒に見るためにさっさと座って大一と横に並ぶ。
「ああいうの好き?」
噴水に見とれている様子の大一。彼はブツブツと何かを歌いだした。何日か前に彼女が流した曲である。
「もう覚えてくれたの?」
大一はこくりと頷いた。
「あ、そうだ。」
反応の薄い大一のことを気にせず、彼女は大一の膝に覆いかぶさって反対側にある彼のカバンを漁る。大一は無反応で、ただその様子を眺めているだけだった。
「なんか歌が適当だから私が歌詞書いといてあげるよ。」
紙とペンを取り出して見せた。大一の不思議なペン。銀色の筒の真ん中を黒いインクの芯が通っている。紙も和紙を使っていて不思議な筆記用具たちを大一は持っている。
「和紙だとざらざらして書きにくいよ。」
彼女はせっかく取り出した紙だが、そのまま捨ててしまおうとした。
大一はその手首を強く捕らえた。
「なっ、なに!?」
「あっ、いや…。」
「ごめんね、大事なものだったんだ…。」
大一はまた黙ってうなずいた。
二人でまた帰り道を歩いていく。他愛もないことを話しながら今日も一日が過ぎていく。そう思っていたが…。
大一は何かに呼び止められたように近くの空き地に視線を送った。また急に動きが止まる大一に彼女は驚く。
「ちょっと、どうしたの?」
心配されても大一は何も答えなかった。彼女が大一の見ている方向に視線を合わせると、一輪のコスモスが咲いていた。
「変だね。確かに今は時期じゃないと思うけど…。ま、そんなことはいいじゃん。早く帰ろ。」
と彼女はまた大一の手を取って歩き出そうとした。
大一はその場から離れず、彼女に訪ねた。
「俺たちさ、なんで付き合ってるんだっけ…。」
突然の意味深な発言に彼女はうろたえる。
「どっどういうこと…?」
大一は彼女の顔をじっと見つめた。何を言われるのか気が気ではないのか少し震えている彼女。
「俺…どうやって君と付き合い始めたんだっけ…。」
彼女はほっと息をして胸をなでろした。
「彼氏のくせに、そこ忘れる?ありえなーい。『好きです、付き合ってください!』って教室に呼び出していってくれたじゃん。」
「……それいったの…俺じゃない。」
大一の目が黒くはっきりとしている。彼女は動揺を隠せないようだった。
「寝ぼけてんの!?あんな風に言ってくれてうれしかったのに、そんなこというの?!」
「うん…ずっと…」
大一はゆっくりと語りだした。
「俺は、たしかに…負けたはずなんだ。それで…」
それで…なんだっけ?
彼女はあきらめずに大一のことを引っ張る。
「夢の話なんてされても面白くないし、もう帰ろうよ。」
「…そうだ。ずっと俺、夢を見ているような…。」
それじゃそっちが夢だよ。彼女の声が頭に響いた。頭の中に他人の声が響いたのは初めてではない。それはいつどこでだったのか…。ここで平穏に暮らしているよりもずっとずっと大切な…。
「俺が好きだった人たちが…この世界には…いない。」
「はぁ!?何言ってんの、私は…いま…ココニ…
彼女の声がどこかに吸い込まれていく。彼女。彼女って名前は?
そう、知っているのにずっとわからない。それはなんでだ?それはここが…
「夢の中だからだ!」
大一は腕を振って周りの景色をかき消すように走った。心臓の音がまた聞こえてくる。バクン、バクンと強く。遠くから自分の名を甘く呼ぶ声が聞こえる。
(違う、俺が聞きたい声はそれじゃない!)
ずっと昔のようなつい最近のような、自分のそばにいてくれた自分の好きな人たちの声。こんな街中では聞こえないもっともっと遠くへ。
「そうだ!」
大一は浜辺に駆け出す。その瞬間、大一の周りの景色があの日の浜辺に切り替わった。
息を荒げながら月夜の砂浜を見渡す。砂を蹴って駆け回る。空を見上げた時、それはあった。
「あれだ!俺はあれを見てたら…波にのまれて…それで!」
空に浮かぶ真っ黒な穴。そこからかすかに聞こえてくる声。自分を呼ぶ声。大一は吠えた。
「俺はここだ!」
穴に手を伸ばしてその先へ向かおうとする。
「俺は、みんなのことを幸せにしたいんだよ!」
ただ一人揺らぐ泡沫の世界で力強く叫んでいた。もう一度彼女たちに合わなければ。夢の世界の「彼女」におぼれている暇はない。この世界が何であろうと、自分が生きていくと決めた世界はあの虚の向こう側にある。
「俺は『王』の代寺大一だ!妻のルルを、イブを、マリーを、シーラを、ドゥニアを迎えに行くんだ!だから!ここから出してくれ!」
ぐにゃりと視界がゆがむ。強烈なめまいを覚えた先で、自分は部屋の照明の光をつかんでいた。
「……あ?」
広い空間。見慣れないライト。不気味なほど静かな丸い部屋の中心で大一は目覚めた。
そこにはベッドも、クローゼットも、何もなくただただ自分が眠っていた台とその第二接続されている丸い不思議な装置があるだけだった。
大一は未来の地球へ帰ってきた。




