[10]
主天へ捧げる讃美歌の荘厳な音楽が静かに流れている。声を拾わないマイクの前で、シーラは今にも泣き崩れそうだった。会場は何かトラブルがあったと察してざわついているのだが、あまりの静けさにそれもすぐに止んでしまう。
(どうして…)
シーラは自分で真っ向勝負をするつもりだった。だが、この音の出なくなったマイク。そして、あれほどまで必死に順番の変更を拒否しようとしていた従者たち。すべてが物語っている。
従者たちはこのみじめな状況をマリーのために用意していた。
(あまりにも…ひどい…我々の矜持、と言いながら…こんなことを…)
シーラは世界を拒むように目を閉じてしまった。
やがて音楽だけが盛り上がり、一番の聴かせどころへと差し掛かる。
舞台裏では人間のスタッフたちがこの場を中断させようと慌てて作業をしている。だが、音楽も固定、外部からはいじれないようになっていた。それもこれもすべて、従者たちが前もって準備していたことである。
シーラは己を呪った。
この事態にしたのは自分の不徳のなすところである。甘んじて受け入れよう…。
(私はもう……何をやっても…ダメなのです…)
にわかに会場のざわめきが大きくなった。驚きのような声が聞こえる。
シーラが目をうっすら開けると、
「現王…様…」
光とともに大一の姿が飛び込んできた。彼は穏やかにほほ笑んでいる。
「シーラ。」
大一が舞台挨拶の時に持っていた小さなピンマイクを取り出す。
「ようやく会えた…。」
大一はそういってシーラのドレスの首元にマイクを差した。トントンとマイクの頭を叩き会場に音が伝わっていることを確認する。
「ずっとこうやって面と向かって話したいと思ってたんだよ、俺。でも、なぜだかなかなか会えなくて。何をやってもダメで…それでも、みんなの力を借りてようやくここに来れた。」
大一は少し見上げるようにして、シーラの目元をそっと拭いてやった。
「聴かせて、シーラ。君の想いを。」
ただそれだけ言って側に控えた。
だが、曲ももうすぐ終わる。感謝もせず、泣き出しもせず、ずっと黙ったままのシーラ。
「私は…歌えません…」
会場にその一言だけが響いた。シーラの持つ透き通るような声が寂しく鳴り、一言一言語られていく。
「この歌は…我々木星正教の正当なる讃美歌…。これを歌って、今日、この場で…他の姫様たちに打ち勝つこと…打ち勝って我々が優秀であるということを…示すつもりでした。」
シーラはうち震えた。
「ですが…。今日のトラブルで分かってしまいました…私はもうこの場から………この場から降りて…」
「じゃあ…さっさと私の番にしてよ!」
突如割れるような音とともに舞台に乱入者がやって来る。マイクスタンドを両肩にかけて顔のペイントを怒らせながら、のしのしと足を踏み鳴らしている。
「はっ!?マリーっ?!」
今日初めてマリーを見かけた大一は素っ頓狂な声を上げる。真面目なマリーが何でこんな格好を…!
大胆に開けられた胸元と黒系で固められたレザー調の衣装。シルバーのアクセサリーなんかもごてごてと身に着け、まるで別人である。
マリーはただ一点、シーラを睨みつけながらドカッと替えのマイクスタンドを舞台に突きさすように叩きつけた。
「マリー殿…。」
不良少女は無視して讃美歌のBGMが流れるスピーカーに、ミュートパッチと呼ばれる、取り付けるだけで音が聞こえなくなる小型の装置を投げつけて中断させた。ここまでの行いは誰がどう見ても無法者のそれである。
「大体さー!」
別のところからマリーの憤怒の声が流れた。予備のスピーカーのようなものはどこかにあっただろうか。いや違う、マリーのマイクである。
あれはマイクというより拡声器であった。マリーが連れてきたマシーンバンドが勝手にマリーの音楽を始めてしまう。
「…あなた、いつもそうやって、いいこぶって、いい顔して!」
マリーは怒鳴り始めた。
「一度も聞いたことがない!あなたが自分でしたいこと!好きじゃないなら、出てってよ!」
「な…な…?」
大一もシーラもぽかんとしている。ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる割にはどうも、マリーは…
(ラップ?!ラップしてるのか、マリー!?)
即興で韻も踏めていない、未熟すぎるストレートな内容。だが、歌が下手なマリーの出し物はこれが正解であった。慣れない手をふらつかせなんだかよくわからない方向を指さして、膝をがくがくとさせている。(多分あれはリズムをとっているだけ…。)
「どうせ、あんたは、考えない!自分でやること、考えない!いいように使われて、自分がした気になってるだけ!」
あまりにも粗末な煽り方。だけどシーラはみるみる内に、マリーとそん色ないほど赤く顔を震わせていた。
「どうせ、王も愛せない、ただただお金が欲しいだけ!」
「…っちがう!」
夜空までシーラの叫びが響いた。
「私は一番になりたいの!ホントはイチャイチャしてたいの!」
シーラはハッと顔を見上げる。マリーがニヤリと笑っていた。
(…もう、構うもんか…!)
シーラは深く深く呼吸を整えた。
「現王様は。」
シーラは歌うように語り始める。
「私のあこがれ。私の支え。ここにきてから。何度も何度も、お側にいたいと思っていました。」
「じゃあなぜ、あなたはそうしない?」
「戒律。伝統。現王様と私を阻む宗教。でもせめて、心だけは通わせたく。」
現王様…お優しい方。ここにきて、誰かのために、何かのために動く姿に、私は心打たれてしまいました。されど、他の姫のごとくベタベタなんてできません。それは清らかさを守る、木星正教徒だから…。でもどうしても、お話がしたかった。
「それができなかったのは…私が、自分で決めてこなかったから…。」
シーラは人前だというのに大げさなほど大一に抱き着く。
「嗚呼、私もみんなのように優しい言葉をかけてほしい。顔を拭いたり、ご飯を分け合ったりしたい。」
前のルオンにも引けを取らないミュージカルのような甘やかな歌声。
「ずっとずっと願っていました。」
「シーラ…。」
大一は自分よりも背丈の高いシーラの肩に手を添えた。
「これからもよろしく。」
「はい。」
会場から拍手が沸き起こる。
「…じゃあ今度こそ私の番ね。」
激しい音楽が鳴る中、マリーが仕切り直しと言わんばかりにマイクを持ってくる。
「マリー殿。」
「ん?」
「今まで、ごめんなさい…。そして、ありがとうございます。」
頭を下げたシーラが今流れているイントロに気づいた。すぐさまシーラはマリーにもう一言声をかける。
「…マリー殿、この歌…私も歌いたいです。」
「……う、うまい人と一緒にされるとか…地獄じゃん…」
先ほどの勢いはどこへやら。マリーは急にしおらしくなる、それもそのはず。歌の下手さを誤魔化すためにラップやシャウトを選んでいたのだ。(音程が取れないと本当はそっちの方が難しいのだけれど。)普通の歌では自分がかき消されてしまう。大一が見かねて前に出た。
「…じゃあさ、俺もそれ歌えるから、俺も混ぜてよ。」
三人で顔を見合わせてうなずく。仲良く並んで今宵最後の歌を歌い始めた。もちろんこの歌のために、舞台袖から飛び出しそうなカリストの従者たちを抑えていた、他の三人の姫が加わったのは当然のことであった。




