吸血公爵VS怨霊
大都会東京。24時間眠らない街として有名だ。夜になると、多くの者達が歓楽街へと足を向ける。
会社帰りのサラリーマン。若いカップル。様々な国籍の者。
どこに視線を向けても人間で溢れかえっている。
夜が深まるに連れて、煌びやかなネオンの光が人間達の心を惑わし、街は欲望に満ち溢れていく。
「さぁ、瞳を閉じて……」
私の甘い囁きに、黒髪ロングヘアーの美しい女性がゆっくりと目を閉じた。彼女はきっと、今から始まるロマンスに心を踊らせているに違いない。
私も紳士を自称しているので期待には応えるつもりだ。慣れた仕草で軽く唇を重ねた後、白く透き通った綺麗な首筋へと唇を滑らせる。
目に魔力を込めると、彼女の首には光り輝く血管が浮かび上がる。私とはそのまま血管に牙をつきたてた。
彼女は驚いて目を見開くがもう遅い。血を吸いながら魔力を注ぎ込むと、甘美な喘ぎ声が聴こえてくる。
「はあぁぁぁぁっ」
そのまま恍惚とした表情を浮かべ痙攣をはじめた。
私に血を吸われると、この世で体験出来ない程の強烈な快感が全身を襲う。更に魔力を注ぎ込む事で私の指示を忠実にしたがう下僕へと変貌を遂げる。家畜が一つ増えた事に私は満足していた。
「さぁ、今日はもうお帰り。私が声を掛けたら来るんだよ?」
「……はい」
瞳をトロンとさせたまま、私から離れ家路についた。
彼女は私の下僕となったが、私が何もしなければ普通の日常を送る事が出来るので安心して欲しい。
私はヴァンパイア、地球上で最も偉大と呼ばれるモンスター。
名はトロイアル公マスタング3世。だがその名前は遥か昔に捨てていた。今は適当にジャックと名乗っている。既に500年は生き続け、仲間からは真祖と呼ばれる事もある。
私は一月前に日本へとやってきた。
以前から日本と言う国があるのは知っていた。けれど見知らぬ土地に行くのは危険が伴う。その事を考慮し私は自分の領土でひっそりと暮らしていた。
けれど近代化の波は私の領土にまで及び、遠くの情報がインターネットで簡単に手に入るようになる。
その中で私は日本と言う国に興味をもった。永遠と生き続けるだろう長き人生。一度位は住み慣れた地を離れるのも悪くない。
そうして私は日本へ行く事を決めた。
都合の良い事に日本は国際化が進んでおり、私のように自分達と容姿が異なる他国の者が居たとしても特に警戒される事も無い。
日本に着いてから一番最初に私が驚いた事は、我々に近い存在と出会った事だろう。そいつは電柱のそばに立ち続け、ただジッと私を見ていた。身体は半透明で強い力も感じない。
瞬時に警戒態勢をとってみたが、その場から動く気配もなく、道行く人間たちもそいつの存在には気づいていない様子。
後で知った事だが、この地には古来より幽霊と呼ばれる【物の怪】が存在していた。
その種類は多く、霊や妖怪、更には神の使いなどと多岐にわたる。
私の事を見ていたのは地縛霊と呼ばれる奴らだ。
奴らはその場に立っているだけの存在で、特に害も無く私としても共存出来るだろう。
だが怨霊と呼ばれる奴は違う!! 怨霊達は手当たり次第に不幸を撒き散らし、恐怖を喰らい、最後は呪い殺してしまうと聞く。
私から言わせればナンセンスとしか言い様がない。人間とは我らにとって大切な食料。大事に飼育するなら兎も角、無闇に殺すなど理解が出来ない。
まだ会ったことは無いが、怨霊とやらに出会う機会があれば、懲らしめてやらねばいかん。
ふんっ! 誰が相手だろうが最強のモンスターである。このヴァンパイアに掛かれば、ヒョロヒョロした幽霊など敵ではない!!
★★★★★★★★★★★★★★
今日は10月31日、ハロウィーンと呼ばれる日。日本の人間達は何故か他国のモンスターに扮して盛り上がっている。この国の人間は自国の【物の怪】を蔑ろにして良いのだろうか?
駅前には人間がごった返し、すれ違うだけでも肩が触れ合う位だ。そんな密集した場所を星がきらめく空に浮かび眼下に見る。
私はヴァンパイアで空を飛ぶ事など造作も無い。背中から漆黒の翼を出現させて自由に空を舞う。
「今日の食料は選り取りみどりですね。それじゃ私も彼等に合わせて、本当の姿を晒して紛れると致しましょう!」
ヴァンパイアの正装になり、黒いマントを装着させる。瞳は金色で何時も隠している2本の牙は元に戻しておく。
私が人気の少ないビル街に降り立ち、駅前に向けて歩いていると、すれ違う人間達が視線を向けてくる。私から発せられる本物のオーラに惹かれたのだろう。
今日だけは目立っても関係ない。逆に目立った方が上質な獲物と巡り会える可能性が高い。
視線を無視して駅前に向かって移動を再開しようとした時、ビルとビルの細いすき間から、ゾンビの格好をした一人の女性が近づいて来ている事に気づく。
彼女はゾンビの仮装をしており、その姿はかなり凝っている。リアルな腐食化粧とおぞましさを彷彿させる歩き方をしていた。
この場所はまだ人が少なく、ゾンビ姿の女性に気付いた者は殆どいなかったが、私は一瞬にしてあのゾンビが本物であると見抜く。
「何故、ゾンビが……? いや何か違いますね。あれは一体……」
このままこのゾンビを放置して置けば大切な獲物が襲われてしまう可能性が高く。折角の式典を台無しにされるのも、不愉快極まり無い。
「仕方ありませんね……」
今の内に遠ざけるべきだと判断し、私はゾンビの元へと近づいて行く。
「ごぉろぉずぅぅ。ごろすぅぅ」
近づくとゾンビは小さな声で恨み言を呟いていた。すぐに行く手を遮り私はゾンビに声を掛けた。
「お待ちなさい。この先で一体何をするつもりですか?」
「殺ずぅぅ。あいつをごろすぅぅ!!」
近くで見ると、女性は泥まみれの白いワンピースを着ている。片足を引きずり両腕は重力に逆わらずにダランと垂らしていた。首の骨は折れて顔は90度の角度で前に倒れ、手入れもされていない黒髪のロングヘアーがフラフラと揺れている。
「ふむ、喋る割には私の質問に応える思考力も無い……。もしや貴方が怨霊と言う者ですか?」
「ごろずぅぅぅーー!!」
女性との距離が3mになった時、突然女性の動きが素速くなる。両手を大きく振り上げ私の腕を掴みあげると首筋に噛み付いてきた。予想以上の力に私は驚きの表情を浮かべる。
「これは驚きました。凄い力だ!! ここで戦うのは人目に付き過ぎます。移動しますよ!」
私は女性に噛みつかれたまま、力づくでビルの間へと押し戻すと、闇に紛れて彼女を掴んだまま空へと飛び上がる。
そして深夜で人間がいない、工事用フェンスで周囲を囲まれた工事現場を見つけ、その場に降り立った。
着地と同時に掴まれた腕を見てみると、腕は引きちぎられており、大量の血が噴水の様に飛び出している。噛みつかれた首を残った手で擦ってみると肉がまるごと食いちぎられている。
「怨霊は強いと聞いていましたが、ここ迄強いとは……私が知るゾンビとは違いますね。ですが私には効きませんよ!」
すぐに噴出する血を固めると、血を媒介にして腕は一瞬で元に戻る。この超回復力がヴァンパイアを無敵だと云わしめる一つの能力。私に物理的攻撃は殆ど効かないと言っても良い。
「ぎぐぃ……。にぐぃ……。憎い!!」
怨霊の女性は四つん這いの姿勢になり、犬のような歩き方で飛び掛かってきた。
「今度は私の番です。遠慮は要りません本気で来なさい」
余裕の笑みを浮かべて、怨霊に手招きを見せた。
怨霊は爪を立てて振り下ろしてくるが、途中で腕を掴み取ると、そのままへし折り、ガラ空きの腹へと前蹴りを叩き付けた。
怨霊の体が5m後方へと吹き飛ぶ。けれど再び動き始めてくる。
「これではキリがありませんね……さぁどうしますか?」
「彼奴だけは……呪いころずぅぅ」
まだ戦おうとする怨霊からは純粋な恨みだけが伝わってくる。これ程までに相手を恨むと言うのは一体どんな事が原因なのか?
ここで私の悪い病気がここで発症してしまう。
「ふむ。話を聞くにしても、まずは動きを止めないといけませんね。ならば……ポルターガイスト!!」
右手を全面に突き出し魔力を注ぐ。周囲には何も起こっては居ないが、怨霊の動きだけがピタリと止まる。
【ポルターガイスト】とは海外では有名な現象で物が勝手に動き出す事をいう。要するに念動力である。私の場合はその規格が少々桁外れなのだが。
「美しいですねぇ。ここまで純粋に人を恨めるとは……。決めました。私が貴方の恨みを晴らすお手伝いを致しましょう」
ギリギリと体を震わせているが動けない怨霊の耳元で、私は優しい笑みを浮かべながらそう呟いた。
★★★★★★★★★★★★★★
怨霊を捕まえてみて初めて解った事だが、話せばちゃんと会話ができる。人間を見ると恨みに支配されて襲いかかっていたが、彼女はちゃんと意思を持っていた。
彼女は見知らぬ男に殺されて怨霊となったらしい。その男に復讐するために現れたとの事だ。
ハロウィーン当日の昼間、犯人の男が女性を殺害した場所を通りかかる姿を目撃し、追いかけて来たらしい。
手がかりはヴァンパイアのコスプレ!! ハロウィーン当日、この街に何人居ると思っているのか? 怨霊はヴァンパイアのコスプレをした男を手当たり次第に殺すつもりでいたらしい。
そんな事をされなくて本当に良かった。
話をよく聞くと、色々と男は特徴があるコスプレをしている。
まずはマントの背中に十字架の絵が刻まれている事。次にフェイスペインティングは顔を白く塗り口から血が流れていた。そして髪型はセミロングの長さで後ろに一本に束ねている。
「ふむ、ここまで解っているなら見つける事が出来るかもしれません。私が必ず男を貴方の元へ連れていきます」
怨霊にそう告げると私は空に向かって声なき声を発する。これは怪音波とも呼ばれており、私の下僕にしか聴こえない。
暫くすると、空を覆い尽くす程の大量のコウモリと敷地を埋め尽くすネズミの大群が姿を表した。
「さぁ、あなた達!! 私が言った男を探し出しなさい!!」
その掛け声で一斉に散り散りに拡散し辺りは静寂を取り戻す。
下僕達は街中を走り回っている。数万の目からは逃れられない。目的の男はすぐに見つかる筈だ。
「さて此処では人目につくかもしれません。私の家へ案内しますよ」
私は怨霊を掴むと、空へと飛び立ち隠れ家へと招待した。
★★★★★★★★★★★★★★★
駅前にある静かな雰囲気のあるショットバーで、一組の男女がハロウィーンの衣装に身を包みカクテルを楽しんでいた。
男はヴァンパイアのコスプレで女性は看護婦の衣装を着込みゾンビのフェイスペインティングをしている。
「今日は朝まで大丈夫なんだろ?」
「もぅ。いやらしい目をしてぇ。エッチな事を考えているんでしょ!?」
「俺は吸血鬼だからな。いい女が目の前にいると襲いたくなるんだよ!!」
イチャイチャとじゃれ合う姿はそこら中で見受けられる。そんな2人の背後から私は声を掛けた。
「ちょっと、すみません。実はあなたに用があるんですが?」
「あっ!? 何だよアンタは?」
「ここでは話し辛い事なので、少し離れた場所で……」
私はそう告げる際に連れの女性にウィンクを投げかける。女性は瞬時にトロンとした表情へと変えた。
これは【チャーム】と呼ばれる力。人間を魅了させ行動を抑制させる力がある。記憶をすり替えたりも出来るので重宝していた。
女性の記憶は改ざんし終わったので、後はこの男を彼女の元へ連れ行くだけ。けれど特殊な力を使って無理やり連れて行っても矜持にかける。
私としては自分の意思で来て貰いたい所だ。
「実は貴方が、1年前に強姦して殺した女性の件で……」
「なっ!!」
男の顔が蒼白へと変わる。体は小刻みに震えだし、過呼吸気味に変化していた。
「何のことを言ってるんだよ!! 証拠でもあるのか? しらねーよ!!」
「証拠ならありますよ。でも私達は貴方を警察に付きだそうとは思っていません。ただ話をしたい人がいるだけなんです。もし来てくれないと言うなら、証拠を持って警察に相談するまでです。そうなると困るのは貴方の方では? 関係ないならその人にそう告げるといい」
「俺は関係ないぞ。知らない……。 誰がそんな事を言っているんだ。クソッ……俺が話を付けてやる!!」
男の言葉は支離滅裂。けれど焦りは募り身体の震えは増している。
苛立ちを募らせて男が立ち上がると私に案内しろと告げた。
連れの女はチャームを掛けられ視点の定まらないぼやけた瞳で、男に手を振り「いってらっしゃ~い」と言っていた。
その事が男に安心感を持たせたかもしれない。もし男に何かあれば連れの女性が警察に私の事を証言する。ならば手荒な事はしないだろうと……。
私は男の前を歩き隠れ家へと案内を始めた。
★★★★★★★★★★★★★★★
私の隠れ家は5階建てワンルームマンションの最上階にある。一フロア4室ある全ての部屋を借りている。なのでこのマンションの最上階は私のプライベート空間と言って良い。
【501号】と書かれた扉の前で私はドアをノックした。
「約束通り連れて来ましたよ」
ドアを開き電気も付けずに一歩室内に入り声をかける。次に後ろに立つ男へ中に入るように促した。
「入ればいいんだろ!!」
男はズカズカと室内へと入る。足を止め周囲をキョロキョロと見渡した。
「おい、来てやったぞ!! 俺は関係ないぞ!! クソッこう暗くちゃ何もみえねぇーぞ。電気位付けやがれ!!」
暴言を吐いている男の首元に冷気が漂う。
「ヒッ!!!」
男は前方に影を見つけて身震いをし目を凝らしていた。すると最奥に設置されたベッドの上に何か人の様な影が動いているのを見つける。
「ごろずぅぅぅ殺ずぅぅ殺すぅ殺す殺す殺す!!」
怨霊の女性はベッドの上で首を締める体勢を取ったまま、ずっと男を待っていた。
男に気付き首をゆっくりと向けると、目を見開き恨みを宿した表情を浮かべる。
夜目に慣れてきた男は、怨霊を目にし尻もちを付いていた。腰が抜けて思うように動けないようだ。
「もういいでしょう。貴方にも解るように電気を付けてあげますよ」
私は部屋の電気を付けると、ベッドの上にいる怨霊の女性はケタケタを笑いだし、四つん這いで近づいてきた。
「あああぁっぁぁぁぁ。だずけてくれぃぃ」
恐怖で動かないので、首だけを私の方に向けて懇願してくる。
「貴方が殺した女性でしょう? 会いたいと言っていたので連れてきて上げました。話でもしたらどうでしょうか?」
済ました顔で私が一蹴すると再び男は怨霊の方へと首を向けた。
「ひぃぃぃぃ。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。出来心なんです!!! もうしない助けてくれぇぇ」
既に顔の前には怨霊の女性の顔が、互いに触れ合う程の距離まで近づいていた。男は必死で手足を動かしてバタついている。
怨霊は一瞬だけ私の方へと視線を向けた後、男に向かって言い放つ。
「絶対に許さない!!!」
そのまま、男の上へと覆いかぶさっていく。
「あぁぁっぁぁぁーーー!!」
男の断末魔の叫びが響き渡る。だがこの部屋の防音は完璧で、いくら叫んで貰っても構わない。
男が死に絶えるまで怨霊は男を貪り尽くした。
事が終わるのを見ていた私が彼女に声を掛ける。
「男は死にましたね。これで貴方の目的も終わりです」
「うっうっう……。ありがとう御座います」
驚いた事に怨霊の姿が殺される前の美しい女性へと戻っていた。涙を流して私に頭を下げている。
その表情は実に晴れやかであった。
「これでやっと成仏ができます。もう思い残す事はありません」
怨霊はそう告げると、少しづつその姿を消していった。
「ふむ、これが成仏と言う現象でしょうか? 我々モンスターには無いので良く解りませんが……。ふぅ、それでは後始末をしましょうか」
私は怪音波を発するとコウモリたちを呼び寄せた。数百匹のコウモリは死体を空へと持ち上げる。
「太平洋のど真ん中にでも捨ててきなさい」
指示を受けてコウモリは男の死体を星空輝く空へと運び出した。男の血液はポタリポタリと雨の様に地上に降り注ぐが、今日はハロウィーンで人間達にとっては最高の演出だろう。
最初は怨霊を懲らしめてやろうと考えていた。けれど相対してみると怨霊にもルーツがあるようだ。
今の気分は悪くなく、寧ろ高揚している。私は今後も日本で楽しい出来事が起こる予感を感じていた。
「ふふふ。日本に来て正解でしたね。さてハロウィーンはまだ終わってはいません。今から今日の食事を探すとしましょう」
ベランダから飛び降りると、背中から翼を出現させた私は夜空へと舞い上がり、ネオン輝く街の中心部へと飛び立つ。