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Through the Past  作者: 冬長
一章
8/32

【7】 見守る風は、行く先を見定める

 寝床、といっても裏路地に簡単に作ってあるそれは、実に粗末なものだった。それでも、彼らは厳しい極寒の季節を乗り切る。そのために、犯罪と言っても差し支えのない行為を繰り返してきていることを、ヴィルフールも知っていた。

 ファーリットがまとめている集団では、そうした行為は行われてはいない。とはいえ、それではどうしても生活に限界が来てしまう。ゆえに、ヴィルフールやサーレはこうして、時おり彼らのところへと訪れては手伝いをしていく。その代わりに、ファーリットたちは『地吹雪』の子どもたちが何かに巻き込まれたとき、助けてくれることもあった。そうして、彼らはどうにか互いの生活を支えあっていた。


「ファーリットはさ、『地吹雪』に来る気はないの?」


 大変だろうに、というヴィルフールの瞳に浮かんでいたのは、純粋な疑問だった。それに苦笑して、ファーリットはもろくなった部分を補修しながら首を振る。


「馬鹿野郎、俺らが集団で行ってみろ。あんな狭い家、すぐに満員になっちまう」

「それはまぁ、確かだけどね……」

「だろう。大体、俺らはどうにかこれで生きていけんだから、いいんだよ。そうじゃねぇ奴らを構うべきだろ、お前は」


 切り捨てるような強さすら持って、ファーリットは言い切る。彼は実際に、強い。それは、ヴィルフールとサーレも知っているところだ。

 そんな中、急に風が吹き荒れて、驚きに二人は振り返った。


「うわぁ」

「やるねぇ、あいつ」


 ヴィルフールは呆れとも感嘆ともつかない声を出し、ファーリットは楽しそうに口笛を吹いた。

 先ほどまで、ルドは材木を切る作業をしていたはずだ。だが、それに使っていたのこぎりは、今は放り出されている。そして、切断された材木の切り口は、のこぎりで切ったにしてはいやに滑らかだった。特に、先ほどまでのこぎりの扱いに悪戦苦闘していたルドが切ったにしては、なおのことである。

 そこから導き出される一つの結論に、ヴィルフールはわずかに首を振って息を吐く。ファーリットはやはり面白そうに、笑みの気配を湛えて口を開く。


「風で切りやがった。すっぱりと」


 そんな彼らの視線に気付いているだろうルドは、綺麗に無視していた。そんな彼の前に、サーレが材木を運んでくる。カラン、と音を立てて材木を置き、このくらい、と指で示す。それに頷き、ルドはまた風を放った。

 音を立てて、その通りに切られた材木に、ヴィルフールは頭痛を感じて額に指を当てた。

 スピリット・パワーというのは、多大な精神力を消費するものなのだ。それなのに、ルドはスパン、スパンと小気味良い音を刻みながら、サーレが差し出す材木を切っていく。それでいて、疲れた様子など微塵も見せない。軽い運動にすら当たらない、とばかりに黙々とこなしていく。

 そんな彼も彼なら、差し出すサーレもサーレだ。一体、どんな神経と精神力をしてるんだ、と呻くヴィルフールに、ファーリットはとどめの一言を放った。


「さすが、お前の友人」

「どうして、僕のせいになるんだい」


 もう分かりたくもないよ、と呟くヴィルフールに、ファーリットが返したのは爆笑だった。




 ルドは大きく息を吐き、立ち上がる。長いことかがんでいたため、少しだけ腰が痛んだ。軽く伸びをして、こんなもんだろ、と見る。粗末なのは変わらないが、ある程度の修繕はしておいた。

 そこで、はたと気付く。どうして自分は、こうも手伝いに没頭していたのか。それも、スピリット・パワーを使ってまで。

 本当に、自分は何をしていたのだろう、とルドは肩を落とす。阿呆か、と自分に問いただしたくすらなってくる。

 その通りかもしれない、と思う自分がいて、余計に悲しくなったが。


「はー。お前、見た目と違って使える奴だなぁ」


 そんなルドに、ファーリットが爆笑の気配を堪えつつ声を掛ける。どういう意味だ、と睨みつけるルドを、やはりファーリットは気に留めない。それどころか堪えきれなくなったらしく、ぎゃははははは、と大爆笑を始める始末だった。


「相変わらず、よく笑うよね……」

「ファーリットだしな」


 呆れの色の濃いヴィルフールに、サーレが答えにならない答えを返す。だが、妙に納得できる部分があり、ヴィルフールは何も言わなかった。


「あー、くそ、おかしー。ほんっとお前の連れてくる奴は、笑える奴ぞろいだな、ヴィルフール!」

「だから、どうしてどこで僕に話を振るんだろうね?」

「あー、悪かった。悪かったから怒んなって」


 ヴィルフールの冷たい眼差しから、ファーリットは思い切り視線を逸らした。


「と、それより。そろそろ昼飯じゃねぇの? お前らどうすんだ?」

「帰るよ。午後からは仕事するつもりだし」

「そうか。じゃ、またな」


 ファーリットは気安く片手を挙げた。ヴィルフールとサーレもそれに応える。ルドは一人、知らん顔をしていた。


「おい、こら、そこの新入り。礼儀くらいは覚えとけ?」


 ニヤリ、といかにも悪ガキといった印象を受ける笑みを浮かべて、ファーリットは遠慮なくルドの背中を叩こうとした。だが、ルドが察知した方が早い。

 攻撃を加えられようとしたルドは、反射的に風を纏った。そして、それは刃となってファーリットへと向かった。


「ルド! ファーリット!!」


 しまった、と言わんばかりのヴィルフールの叫びが響く。だが、慌てるその肩をサーレが掴み、動きを止める。


「サーレ!?」

「落ち着け。分かるだろ」


 思わず怒鳴るような口調になったヴィルフールに、サーレはいつもどおりの声を返す。落ち着き払っているかのような、単純にぼーっとしているかのような、判別のつきにくい声。抑揚のない、感情の乏しい声を。

 だが、その声はヴィルフールの頭を冷やすだけの効果はあった。サーレへと向けていた視線をルドたちへと戻したヴィルフールは、驚きに息を呑む。


「おいおいおいおいおい、マジでどんな奴連れてきたんだよ、ヴィー。俺じゃなかったら死んでたぞ、これ」


 放たれた風の刃を、ファーリットは腕を斜めに組み合わせて受け止めていた。その腕には纏わりつくのは、風だった。二つの風がぶつかり合い、相殺しあう。

 そのままの体勢で、ファーリットは楽しげにも見える笑みさえ浮かべていた。群青色の瞳は細められ、好戦的な光を放っている。ルドから視線を外すことなく、力強い風を身に纏う少年は、からかうような響きを乗せて言葉を紡ぐ。


「ったく、よぉ。過剰反応のしすぎじゃねぇの?」


 ルドは憎しみさえ感じさせる瞳で、ファーリットを睨みつけた。感情が消え去り、能面のように表情のない顔の中で、紫の瞳だけが冷酷な光を放つ。それは地面を温めることはない、夜空に君臨する月のように。

 その一触即発の空気に、ヴィルフールは顔を引きつらせた。確かに、ルドの一撃は問題なかった。ファーリットは強い。先ほどにしても特に危機を抱くような状況でなく、ルドが来た時の状況も知らない彼だ。まさか、殺意すら含んだ攻撃が来るなど、思いもよらなかっただろう。それをとっさに、しかも傷を負うことなく止めた技量と判断力は賞賛に値する。

 だが、ファーリットの性格からして、ルドをからかわないということはないのだ。それは唐突に加えられた、理不尽とも呼べる攻撃に対する彼なりの怒りの表れでもある。それを諌めることは、ヴィルフールにとって困難ともいえた。彼の気持ちは、分からなくもないのだから。


「しまったな」

「のん気に言わないで欲しいんだけど、ちょっと」


 他人事よろしく抑揚のない声で言い切ったサーレに、ヴィルフールは脱力しそうになるのを必死に堪える。

 そんな彼らの前で、ファーリットは笑みを深めた。同時に、彼を包み込む力強い風の気配が、強くなる。あからさまな挑発だった。

 それを感じ取り、ルドは瞳を細めた。針のように鋭く神経を尖らせた彼に、応えるように風が吹き始める。青の髪を撫でるように、風の気配が満ち満ちてくる。

 一触即発の均衡は今にも破られ、破壊を告げる合図をかき鳴らしそうだった。

 それだけは止めて欲しい、とヴィルフールの表情がさらに引きつる。止めるだけの力を持たない彼だからこそ、なおのことだった。サーレとファーリット、二人からして動体視力と反射神経がない、と放たれた言葉は、掛け値なしの真実なのだ。

 それを横目で見やったサーレは、軽く肩をすくめた。そして、一歩踏み出そうとして。

 止めた。


「お前ら、なにやってんの?」


 響いた声は、重量のある声だった。それでいて、込められた明るさで重さを感じさせない声だった。

 短い黒髪を風に遊ばせて、不思議そうに呟かれた男の声は、どこか間抜けな響きすら含んで場に響く。それに気を殺がれたらしく、ルドとファーリットは揃って脱力したようだった。ルドは纏っていた殺気が薄れ、ファーリットは笑みがだらしなく崩れる。呻き声が漏れた。


「バザック先生」

「よぉ、おっさん」


 ヴィルフールが安堵したように肩の力を抜き、サーレが気安く片手を挙げる。それに片手を挙げて応えながら、バザックは不思議そうな表情のまま首を傾げる。


「よぉ、ヴィルにサーレ。で、何やってんだ? ルドとファーリット」

「見てのとおり、一触即発」

「おぉ、そりゃ分かりやすい」


 簡潔すぎるほど簡潔に言い切ったサーレに、バザックが返したのは同意の頷きだった。それに違うだろう、と思いながらも、他の面々は突っ込めずにいた。


「というか、お前ら疲れないか? 能力使いっぱなしで」


 さらに続くバザックの言葉に、ルドとファーリットは揃ってため息を吐いた。なんだか馬鹿らしくなったのだろう。二人とも、纏っていた風を解放した。消え去った二つの力は、余韻すら残さず空気に溶けていく。


「さすが、おっさん」

「それは何か違う気がするんだけど、サーレ」


 感嘆したようなサーレの呟きに、ヴィルフールは苦笑した。けれど、彼としても何事もなく済み、肩の力が抜けたのだろう。吐息が、安堵の響きを持って一つ落ちた。


「んでまぁ、どうしてこうなったのかは置いといて。飯だぞ。戻らないのか?」


 普通であるならば先ほどの状況こそを気に留めるだろうに、バザックはあっさりと言い切った。それに苦い笑いを誘われながら、ヴィルフールは答える。


「行くよ。そのつもりだったんだし」

「だな」


 サーレも頷き、二人は揃ってルドとファーリットに視線を向けた。ルドは平然としていたものの、ファーリットは気まずそうに視線を逸らす。


「わぁるかったよ。余計なことして引きとめて」


 ヴィルフールは笑って、それに気にしなくていい、と答えようとする。サーレは元々気にしていないし、ルドはどうでも良さそうな顔をしている。


「うわぁ。お前、相変わらず誠意が欠片もねぇなぁ」


 だからこそ、ヴィルフールが一言それを言ってしまえば、この場はお開きとなるはずだった。だが何の悪戯なのか、運命という何かはそれを許してはくれなかったらしい。

 聞こえてきた第三者の声は、バザックの後方からだった。そしてそれが誰であるのか、ほぼ全員が確信を持って振り向く。ルドだけが、それが誰であるのか分からなかった。知らなかったからだ。

 そこにいたのは、短い砂色の髪を持つ少女だった。ただ、少女と断言してしまうにはためらうような容姿をしている。それが少女の顔立ちのためなのか、それともその言動ゆえなのかは判断の分かれるところだ。両方、というのが少女を知る者たちの一般的な見解だったが。

 勇ましさを感じさせる藍の瞳で場を見据え、その少女は口を開く。張りのあるはきはきとしたその声は、響き渡る強さを持っていた。もっとも、今は笑いの気配を多分に含んでいるが。

 ファーリットはそれに応えるように笑みを浮かべた。ハッと鼻先で笑い飛ばし、嘲るような笑みを浮かべる。


「お前こそ、相変わらずだよ男女。何してんだこんなところで」

「バザック先生と会ったから一緒に戻ろうとしたら、妙な気配を感じて、来てみたらお前らが喧嘩しようとしてたんだけど? しかも能力使って。よっぽど暇?」


 けっ、と応えるように笑い飛ばした少女は、可愛げのない動作で肩をすくめた。

 双方、口の悪さと威勢のよさでは負けていない。


「あー、分かった。仲がいいのは分かったから、落ち着け。お前ら」

「誰が仲いいんだっ」

「専門の医者に行って目を見てもらえっ」


 大笑しながらのバザックの言葉に、ファーリットと少女は同時に噛み付くように言い返した。


「喧嘩するほど仲がいい」

「やかましいサーレっ」

「黙れこのダメ男っ」


 サーレの呟きに対する反応も、二人とも驚くほど早かった。

 何だこいつら、とルドはいぶかしむ目をそんな二人へと向ける。それに気付いたのは、ファーリットが先だった。


「おい、お前もしかして、この新入りに知られてねぇんじゃねぇの?」


 自分のことは棚に上げて、ファーリットは少女に話題を振った。


「あぁ? お前の馬鹿さかげんの方に呆れてるんじゃねぇの?」


 だが少女は、片目をすがめてファーリットを見やる。その瞳には言葉のままに、馬鹿にする感情が強くあった。


「うわっ。ほんっとかわいくねぇ、お前」

「お前にかわいいと思われる方が気色悪ぃ。大体、そう言われるの嫌いなんだよあたしは」


 ファーリットの言葉を切り捨てておいてから、少女は思いなおしたようにルドを見た。ルドは彼女に、無機物を見るかのような視線を向ける。


「まぁ、確かに知られてないかもな。こいつ、今のところヴィルとサーレにしか興味を示してないから。どっちかっつーとヴィルで、サーレはおまけって感じだが」

「イズウェル、その言い方はどうかと思うんだけど」


 ヴィルフールが顔を引きつらせて言うも、少女は気にした風もなく笑った。


「ま、お前はあんまりいないしな。昨日も遅かったんだろ、帰ったの」

「色々とやってるからね。ってことで、一応自己紹介でもしておくべきなのか? これは」


 少女はその問いを、ルドへと向けたのだろう。だが、他でもないルド本人がそれを無視したため、ヴィルフールが代わりとばかりに頷く。


「まぁ、一応ね」


 その言葉を受けて、少女は了解とばかりに軽く手を振った。ルドの前まで歩み寄ると、まっすぐに視線を合わせる。


「あたしはイズウェル=アンダーソンだ。一応、今のところはお前と同じ『地吹雪』の住民ってところだ。よろしくな?」


 藍の瞳から放たれたのは、射抜くような強い、見定める視線だった。自らの本質を隠すことなく瞳に映す少女に、ルドが向けたのはやはり変わらぬ視線だ。

 だが、イズウェルはそれに臆すことはない。勝気な笑みを浮かべて、手を差し出す。

 ルドはその手を取ろうとはしなかった、のだが。


「ほい」


 気の抜ける声と共に、サーレがルドの手を取ってイズウェルに差し出す。待てこら、と言いたげな視線をサーレへと送るルドだったが、同時にイズウェルに手を掴まれてそちらへと視線を戻す。

 悪戯が成功したような笑みを浮かべたイズウェルは、その手を大きく縦に振りつつ、言った。


「よろしくな?」


 強い宣誓のようなその声に、ルドは大きくため息をついた。また変なのが増えた、と思ったためだ。

 その彼の反応をどう受け取ったのか。いち早くファーリットが爆笑し、イズウェルの顔に楽しげな笑みが宿る。サーレは無表情のままながらも瞳に楽しげな光を浮かべ、ヴィルフールは宿す色彩に良く似合う柔らかな笑みを浮かべた。

 子どもたちを見守っていたバザックは、口元に笑みを昇らせた。三日間、彼なりに心配していたのだが、大丈夫だろうと思ったからだ。心配は山のようにあっても。彼らだけでも、大丈夫だろうと、思い始めたからだ。

 その笑みは、天と大地の境を吹き抜けていく風のように、強さと優しさを兼ね合わせたものだった。

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